じじぃの「人の死にざま_1187_福田・恆存」

福田恆存 - あのひと検索 SPYSEE
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「人間 この劇的なるもの」(福田恒存)2010 8 21) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=OUJdruzvIko
蘄田恆存 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UJsRlvHpUZM
福田恆存 ウィキペディアWikipedia)より
福田恆存(ふくだつねあり、1912年(大正元年)8月25日 - 1994年(平成6年)11月20日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。1969年(昭和44年)から1983年(昭和58年)まで京都産業大学教授を務めた。1981年から日本芸術院会員。
平和論への批判をした保守派の論客であり、またウィリアム・シェイクスピアの戯曲の翻訳で知られる。昭和・戦後・20世紀を代表する思想家として名高い。
【経歴】
1912年(大正元年)、東京市本郷区に東京電燈株式会社に勤めていた父・幸四郎、母・まさの長男として生まれる。
1947年(昭和22年)に『思索』春季号に発表された「一匹と九十九匹と」は、政治と文学の峻別を説く内容で、「政治と文学」論争に一石を投じた。この一文をもって福田の代表作とみなす声も多い。
劇作家、演出家としても活躍。1952年(昭和27年)に文学座に入り、『ハムレット』、自作の『龍を撫でた男』などの演出を担当するが、文学座の看板女優・杉村春子との意見の相違から、1956年(昭和31年)に退座。1963年(昭和38年)、かつて福田が手がけた『ハムレット』で主演を務めた芥川比呂志や、仲谷昇岸田今日子神山繁文学座脱退組29名と財団法人現代演劇協会を設立し、理事長に就任。同協会附属の「劇団雲」では、シェイクスピア劇の作・演出を担当する。
1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけ『福田恆存全集』を刊行したが、平成に入ってからは、いくつかの雑誌に数ページ分の随筆・所感を書いた以外は執筆発表を行わず、『福田恆存翻訳全集』が完結した翌年の1994年(平成6年)11月20日に、肺炎により東海大学医学部付属大磯病院で没した。享年82。

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『会いたかった人』 中野翠/著 徳間書店 1996年発行
福田恆存――大きくて懐かしい思索の森 評論家・劇作家 (一部抜粋しています)
福田恆存のことを書こうと思って、その著作集をぱらぱらとめくっていると、次から次へと面白い一節に出会い、仕事を忘れて引きずりこまれれしまう。それも、学生時代のように、鉛筆でぐいぐいと傍線を引きながら読んでしまう。すでに傍線が引いてあって、以前にちゃんと読んで感心した形跡があるのを見て、ガックリ来ることも多い。
まったくシャクだ。これだから嫌なんだ……。私は根本のところで福田恆存という人を信頼しているが、しかしどう考えても福田氏と私とは決定的に違うところもある。何とか抵抗したい。言い負かされたくない。反論したい。にもかかわらず、その著作集を読んでいると、大きな、懐かしい、気持ちのいい森の中に入り込んだような気持ちになって、自分の本来の居場所がわからなくなる。シャクなことだ。
どんなあばら家であっても、私は私の住みかに帰らなければならない。この森を自分の住みかだなどと思い違いしてはならない。いつもそう思う。
そういう意地っ張りな気持ちもあって、私は『福田恆存全集』(全8巻)を全部読んでいるわけではない。だからこれからもし全部読破したとしたら、話は違って来るのかもしれないが、私が読んだ限りで、福田恆存らしさが最も輝いていると思えるのは、「大衆」を論じた次のようなくだりだ。
「大衆の無知を軽蔑することはない。が、無知なものは無知だと言つたはうがよく、それを怒り、それを教へるに限る。無知なのに、何もかも心得た大衆の智慧を仮想することはあるまい。さうしておだてたり媚びたりせずにはゐられないのは、彼等が無知だといふことを軽蔑してゐるからではないか。無知を軽蔑してさへいなければ、大衆が無知だと言つても少しも気にならぬはずだ。大衆は専門家ではない。だから、無知だと言つてやつたはうがいい。政治でも裁判でも芸術でも、大衆が一番よく知つてゐるなどと錯覚を抱かせようものなら、商業主義よりも手に負へぬものにならう」(「五箇条の注文」)
「大衆は譯の解らぬものである。それは自然のやうに不可解のものであり、そして私の意思に対しては無関心のものである。しかも、それは意思をもたないのに、自然のやうに強い力をもってゐる。そしてその力は必ずしも善意に、あるいは建設的に働くとは限らない。私に、あるいは私達にとつて望ましまらぬ力を発揮するかもしれない。私は大衆を自分にとつて好都合な価値として信じないが、たとへ自分にとつて振りな存在でも力としてなら信じる」(「大衆は信じうるか」)
これが福田恆存だ、と私は思う。こういうことをこんなふうにはっきり書いた人を、私は他に知らない。言論人としての彼の姿勢はこの一節に言い尽くされていると思う。
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福田恆存は「大衆」を美化もしていなければ軽視もしていない。期待もしていなければおそれてもいない。よけいなルサンチマンが全然ない。それは、たぶん、日本人の知識人として珍しいことなのではないか。「大衆」についての像をそこまでとぎすまし、言論人の位置をそこまで明晰に設定して行ったのはもちろん福田恆存の知性の力だと思うが、そればかりではない、東京下町の職人一族の中に育ったところから来る独特の気質の力もあったのではないか。
私が福田恆存という人を根本のところで信頼している一番のポイントは、どうもそのへんにあるようだ。私の処世訓に、「思想は裏切るが、体質は裏切らない」というのがある。私は、何よりも福田恆存の体質に親しみと安心を感じるのだ。
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