じじぃの「人の死にざま_1184_C・シャノン」

クロード・シャノン - あのひと検索 SPYSEE
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Tech Icons: Claude Shannon 動画 YouTube
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クロード・シャノンの映像 サイエンスとサピエンス
情報理論の父クロード・シャノンに関する映像
http://d.hatena.ne.jp/Hyperion64+universe/20120902
クロード・シャノン ウィキペディアWikipedia)より
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon)はアメリカの電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。
情報理論の考案】
1948年ベル研究所在勤中に論文「通信の数学的理論」を発表し、それまで曖昧な概念だった「情報」(information)について数量的に扱えるように定義し、情報についての理論(情報理論)という新たな数学的理論を創始した。
翌年ウォーレン・ウィーバー(Warren Weaver)の解説を付けて出版された同名(ただし“A”が“The”に変わっている)の書籍『通信の数学的理論』で、シャノンは通信におけるさまざまな基本問題を取り扱うために、情報の量(情報量)を事象の起こる確率によって定義し、連続して起こる確率事象の情報量の期待値(平均情報量)であるエントロピーの概念を導入した(エントロピー#情報理論におけるエントロピーとの関係も参照)。エントロピーの語を提案したのはフォン・ノイマンとも言われているが、シャノンは否定している。また、情報量の単位としてビットを初めて使用した。

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『インフォメーション 情報技術の人類史』 ジェイムズ・グリック/著、楡井浩一/訳 新潮社 2013年発行
訳者あとがき (一部抜粋しています)
物語は、クロード・シャノン(1916 〜 2001)が1948年に書いた『通信の数学的な一理論』という小論文を起点に、時間軸、地理軸の極点から極点まで、さらには学術領域や次元の境界をも楽々と越えて、縦横無尽に展開する。
ミシガン州ゲイロードに生まれ育ち(当時の町のようすは6章で詳述される)、マサチューセッツ工科大学で数学の博士号を取得したシャノンは、電信電話会社AT&Tの研究開発部門であるベル研究所に迎えられ≪ベル・システムズ・テクニカル・ジャーナル≫にこの画期的な論文を発表した(のちにロックフェラー財団の自然科学部長ウォレン・ウイーヴァーの評論を添えて、『通信の数学的理論』という1冊にまとめられる)。
何が画期的かといえば、まず、”情報”を数学的な量として明確に定義し、”ビット”という単位で演算できるようにしたことだろう。その過程で、言葉(メッセージ)から意味が切り離され、ビットはやがて、音楽、美術、演劇その他、人間の営みすべて、無機と有機にまたがる事象すべてに偏在するものとなる。当初は通信事業のためのあくまで技術的、基礎的な提言(通信システムの分析、構築、効率化、雑音の処理など)だった小論が、森羅万象を統べる”究極の理論”へと進化していく道が拓かれたのだ。
シャノンはさらに、”エントロピー”という熱力学の概念を導入することで、情報の複雑かつ反直観的なふるまいを定型化してみせた。エントロピーを不確かさの度合いと規定し、<意外性ー冗長性>という卓抜な物差しで言葉を。文字を音(韻)を計測する。その物差しでなら、アフリカのトーキング・ドラムと近代西洋のモールス信号をじかに引き比べることができた(そして、高低の二音のみから成る太鼓の通信に2進法演算のさきがけを見出すことができた)。視覚メッセージを、遺伝子や生命現象を、広範な文化を、形而上学的な観念までをビット化し、その全部を、またそれぞれのマクロ構造とミクロ構造を、同列に解き明かすことができた。
といっても、その気の遠くなるような敷衍、比較対照、体系化の作業を実際に行ったのは、シャノン自身ではなく、本書の著者グリックだ。本書はまず第1に、シャノンの功績を再評価し、歴史の中に正しく位置づけて、”シャノンの情報学”とでも呼ぶべき総合科学を創始しようとする遠大な野心の作だと言っていいだろう。グリックの自在の筆は、古今東西の通信技術や情報伝達への営為、それに附属する発見や創意を拾い集め、分析し、計量し、ひとつひとつをシャノンの理論に結びつけることで系統立てていく。情報(ビット)を軸に、人類の(そして宇宙の)過去、現在、未来を俯瞰する斬新な視座が築かれる。
例えば、階差機関、解析機関の考案者チャールズ・バベッジ(1792 〜 1871)の生涯と業績が、精神的パートナーである”人類初のプログラマー”エイダ・バイロン(1815 〜 1852)との交流を含めて、克明に描き出される(4章)。この件だけでも1編の評伝として読めるほどで、英国の奇人変人史の埋もれつつあったバベッジが、グリックの意図どおり、一気に情報学の”先哲”の地位に踊り出た観がある。
シャノンと同時代の人物の中では、英国の数学者アラン・チューリング(1912 〜 1954)のいたましい運命が鮮烈に心に残る(7章)。チューリング・マシンという架空の機械を使った思考実験でコンピューターの原理を確立したチューリングは、同性愛者であるという理由で政府による矯正プログラム(ホルモン注射)を施され、やがて服毒自殺した。第二次世界大戦中に渡米し、ベル研究所のカフェテリアで連日、シャノンと”電子の頭脳”談義を交わしたという逸話は、その短い生涯の中の唯一ほほえましいひと幕ではないかと思える。

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