ボンカレーCM 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=uo69PFvB3yk
マルハニチロ食品 企業CM 宇宙食篇 60秒 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2dFcr_-XP38
レトルトカレー Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%AC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC&gs_l=hp...0l5.0.0.2.104371...........0.uOMeJ2dqnZY&sa=X&oi=image_result_group&ei=F-M2Udz6GMWkkgXq14CYCQ&ved=0CCIQsAQ
ギネス認定、世界一のカレーチェーンになったココイチ 2013年2月7日 日経ビジネスオンライン
今年、壱番屋は『ココイチ』1号店のオープン日と同じ1月17日に、カレーチェーンの店舗数でギネス世界一に認定された。その数、昨年12月末現在で国内1205店、海外100店の計1305店!この数字は、ただ店舗数の拡大だけを狙ったからといって簡単には達成できない数字だ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130205/243328/?rt=nocnt
レトルトカレー ウィキペディア(Wikipedia)より
レトルトカレーはレトルト食品のひとつ。カレーソースをレトルトパウチに封入したもので、3〜5分ほど湯煎したり、数分ほど電子レンジで温め、ご飯にかけて食べる。
【レトルトカレーの歴史】
1968年2月、大塚食品が世界初の市販レトルト食品『ボンカレー』を阪神地区で限定発売した。関連会社の大塚製薬が持っていた点滴液の加圧加熱の殺菌技術を応用することで、他社に先駆けて開発に成功したといわれている。しかし当初は半透明パウチを使っていたため、賞味期限が数ヶ月と短かった。その後、パウチ素材にアルミ箔を使うことで賞味期限を大幅に延ばした新パウチを開発し、1969年5月から全国発売を始めた。はじめはなかなか消費者に受け入れられなかったが、しだいに浸透し、1973年に放送されたテレビコマーシャルの「3分間待つのだぞ」というセリフは流行語にもなった。
他社もつぎつぎにレトルトカレー市場に参入したが、そのなかでも注目すべき成功をおさめた製品は1971年発売のハウス食品の『ククレカレー』である。同製品のテレビコマーシャルで使われたキャッチコピー「おせちもいいけどカレーもね!」(1976年から数年間、年末年始に放送された)は広く浸透し、レトルトカレー市場の拡大に貢献した。
インスタントコーヒー ウィキペディア(Wikipedia)より
インスタントコーヒーとは、コーヒー豆の抽出液を乾燥させて粉末状に加工したインスタント食品である。レギュラーソリュブルコーヒーとも呼称され、湯を注ぐだけでコーヒーが完成する。
【発明者】
1899年にアメリカのイリノイ州シカゴに在住していた日本人科学者のカトウ・サトリ博士が、緑茶を即席化する研究途上、コーヒー抽出液を真空乾燥する技術を発明。1901年にニューヨーク州バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会で「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)と名づけて発表したのがはじめとされる。
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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
ボンカレー 世界初として登場したレトルト食品の王者 (一部抜粋しています)
今日では私たちの食生活に深く浸透しているレトルト食品。とくに、一人暮らしの学生や独身者にとっては、温めるだけで簡単に一人分の料理ができてしまうレトルト食品は手軽で便利だし、仕事をもつ忙しい主婦にとっても、いざというときの強い味方であろう。
レトルトとは「高温殺菌釜」のことで、機密性のある容器に詰めた食品を高温・高圧で殺菌する技術を「レトルト技術」という。この技術は、そもそもNASAが宇宙食のために研究していたものであった。
昭和36(1964)年、アメリカのパッケージ専門雑誌「モダン・パッケージ」にレトルト技術に関する記事が掲載されると、大塚食品工業(現・大塚食品)はいち早くこれに着目。当時、カレー粉の製造を行なっていた同社は、競合他社との差別化を図るため、このレトルト技術とカレーを組み合わせた製品の開発を思いつく。
コンセプトは、「一人前入りで、お湯に温めるだけで食べられる、誰でも失敗しないカレー」。
こうしてレトルトカレーの開発がスタートした。
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昭和43(1968)年に発売された「ボンカレー」は、発売時のパッケージを見てもわかるが、カレーの包装には透明パウチが用いられていた。この低圧ポリエチレン/ポリエステルの透明パウチは、さまざまな問題点を抱えていた。
まず、光と酸素によって風味が失われてしまうため、賞味期限は冬場で3ヵ月、夏場は2ヵ月であった。また、落下や震動に弱く、記念すべき第1号製品100袋を工場から大阪本社にトラックで運んだところ、半数が破損した。
さらに、密封性が不完全なために透明パウチの中で微生物が繁殖し、ガスが発生するという恐るべき欠陥も見つかった。そのため、突然ポンと音を立てて袋が破裂するという現象が起こり、夜中になると店先に並べておいたボンカレーがひとりでに歩き出す……などのウワサも流れた。当然、発売したばかりのボンカレーは、返品の山と化した。
大塚食品はすぐに改良にとりかかり、透明パウチに代わるアルミパウチを開発した。これは光と酸素を遮断するアルミ箔を用いたもので、ポリエステル/アルミ箔/ポリプロピレンの3層構造のパウチを採用することにより、業界に先駆けて賞味期限2年間を実現。もちろん、流通過程での破損の心配も解消された。
昭和44(1969)年5月、アルミお会う地による「ボンカレー」を発売。これを機に、阪神地区限定から一気に全国展開を開始した。これにより、レトルト食品の市場も一気に拡大するととなった。
ボンカレーといえば、忘れてならないのが、パッケージで微笑む和服の女性、松山容子である。大塚食品では、ボンカレー発売時から、当時の人気女優・松山容子を広告に起用した。
その後、松山は結婚と同時に女優を引退し、昭和33(1978)年にライト感覚の「ボンカレーゴールド」が発売されると、しばらくの間は目にしなくなる。「松山容子版ボンカレー」だが、その人気は根強く、現在も沖縄限定発売ながら、昔ながらのパッケージで販売されている。
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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「ボンカレー 世界初として登場したレトルト食品の王者」というのがあった。
「昭和43(1968)年に発売された『ボンカレー』は、発売時のパッケージを見てもわかるが、カレーの包装には透明パウチが用いられていた。この低圧ポリエチレン/ポリエステルの透明パウチは、さまざまな問題点を抱えていた」
レトルト食品は、初めはNASAが宇宙食のために研究していたが、なにも宇宙食を地上で食べる必要はない、というのでアメリカでは普及しなかったようだ。
インスタントラーメンにしろ、インスタントコーヒーにしろ、レトルト食品にしろ、一般の人々がおいしいとして開発したのはみんな日本人だ。
先日、テレビを観ていたら、中国人はもともと、カレーを食べる習慣がない、とか言っていた。あんなにおいしいものを。
「ボンカレー」の松山容子さんは、御年75歳だ。
若い時、お美しい方は今でもお美しいのだろうか。