じじぃの「人の死にざま_1111_A・ガザーリー」

ガザーリー - あのひと検索 SPYSEE
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イスラームの世界観 ガザーリーとラーズィー』 青柳かおる 
イスラーム神学、哲学、神秘主義という、当初互いに独立に発展してきた潮流が、影響し合い批判的に融合していく過程を、ガザーリーとラーズィーという二人の思想を通じて描き出す貴重な一冊。
http://arabic.kharuuf.net/archives/533
ガザーリー ウィキペディアWikipedia)より
アブー・ハーミド・ムハンマド・イブン・ムハンマドガザーリー(1058年 - 1111年)はペルシアのイスラーム神学者、哲学者、神秘主義者(スーフィー)。
ガザーリーの神学】
ガザーリーは、正統的イスラム知識人としてイスラーム哲学やイスマーイール派に対する批判を行った一方、アリストテレスの論理学をイスラム神秘主義スーフィズム)に取り入れ、その理論化を行った。ガザーリーの高度な知識の裏づけによってなされた著作・論文によってイスラム世界内部でのスーフィズム批判(それまではスーフィズムイスラーム正統の神学からはあやしげなものとして扱われる傾向があった)の波が徐々に収束していった面がある。
ガザーリーはヨーロッパでもアルガゼル(Algazer)の名で知られ、その著書は哲学入門書として使われた。
また、『女性は悪魔の軍隊の一員であり、男性が神に近づくことを妨げるのが彼女たちの存在意義そのものである』という言葉がある。

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イスラム教の本―唯一神アッラーの最終啓示』 NEW SIGHT MOOK 1995年発行
神秘思想家 アル・ガザーリー (一部抜粋しています)
ガザーリーは、イスラム史上最も偉大な思想家のひとりとされ、西欧ではアルガゼルという名前で知られている。アリストテレスの論理学をスーフィーズムの理論化に応用するなどして、イスラム神学の復興を行った功績者である。
今日のイランのトゥースという小村で生まれたガザーリーは、一種の神童であった。大学者イマーム・アウハラマインに師事し、スンニ―派の神学や法学などを学んだのち、33歳頃にバグダードにあったニザーミヤ学院教授に就任。衆望を一身に集め、数多くの逸材を門下に擁し、合理主義哲学の批判やイスマイル派教説を異端として論破するなど、洋々たる学究生活を送っていた。
ところが、次第に理性と信仰の矛盾に悩むようになり、現世への執着と来世への指向との内的葛藤に翻弄され、ついに口がきけなくなるという、重大な心身障害に見舞われたのである。
当然、講義は不可能となった。苦脳に苛(さいな)まれ、食事も受けつけず、心身は極度に衰弱、医者にも見放されるにいたった。
残された唯一の道はひたすら神に祈ることであった。
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そして自己と神とが直接触れ合うスーフィーズムこそ人間の真の救済の道であることを確信し、健康を取り戻した。その確信の裏には、当時世上で行われていた神不在の形式主義に凝り固まった伝統的教義に対する激しい批判が反映されていたことはいうまでもない。
スーフィーズムに帰依(きえ)したガザーリーは次のように書いている。
スーフィーとは、特に神への道を歩む人であり、その生き方は最善のものであり、彼らの方法は最も正しく、彼らの性格は最も純粋なものであることを私は実際に知った。識者の理性、賢者の知恵、聖法(シャリーア)の奥義に精通している学者の知識を集めて、スーフィーの生き方や性格をもっとよいものに変えようといかに努力してみても、結局どうにもならないであろう。スーフィーが動くのも止まるのも、その内も外も、すべては神の啓示の光明から得られたものであり、地上には啓示の光明のほかに光源はなにもないのである」
ガザーリーが、スーフィーズムとまったく対照的な伝統教学などのイスラム諸学の碩学(せきがく)だっただけに、この発言にはきわめて重要な意味が読みとれよう。

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