じじぃの「人の死にざま_1106_中村・吉右衛門(初代)」

初代 中村吉右衛門 - あのひと検索 SPYSEE
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第28回四国こんぴら歌舞伎大芝居 お練り 中村吉右衛門丈 他 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=UCeAAIxRZyM
中村吉右衛門(初代) ウィキペディアWikipedia)より
初代 中村吉右衛門(しょだい なかむらきちえもん)は、明治末から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は播磨屋定紋揚羽蝶、替紋は村山片喰。大向うからの「大播磨」(おおはりま)の掛け声で知られた。
【来歴】
東京浅草象潟町浅草寺の裏手)生まれ。三代目中村歌六の次男で、本名、波野辰次郎。弟に三代目中村時蔵、十七代目中村勘三郎、娘婿に八代目松本幸四郎がいる。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
中村吉右衛門・初代 (1886-1954) 68歳で死亡。 (一部抜粋しています)
吉右衛門は若いころから、体の具合がちょっと悪いとすぐに医者を呼べと大騒ぎする癖があり、そのあげくとうとう主治医の隣に引っ越したくらいの「医者好き」で、そのころ芝居の役者の間では、病気になると「吉右衛門になりました」という冗談がはやったほどであった。
それでも防げない病気というものがある。
昭和29年夏、終戦後歌舞伎の復興に援助の手をさしのべた元GHQの民生担当官バワーズが、退官後再来日したのに際し、その希望によって吉右衛門は「熊谷陣屋」を演じた。すでに彼は病んでいたが、必死の舞台をつとめ、これが最後の舞台になった。
この芝居が終わった翌日、ギラギラと灼(や)けつくような暑い日、親交のある元総理吉田茂を大磯の自邸に訪ねたが、ひどく疲れて帰ってから病床につき、黄疸の症状が著明となった。そして昭和29年9月5日午後2時53分、心筋梗塞で死亡した。
主治医の市川一郎はいう。「しかしあの黄疸の進み方からみて、どうも肝臓がんの疑いが持たれて仕方がないのだが、小宮豊隆氏さん等の賛成が得られぬままに、遂に局所解剖も行われずにおわった」
吉右衛門が死んだとき、のちに中村吉右衛門2世となる孫の万之助はまだ10歳であった。

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中村吉右衛門(初代) Google 検索
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