じじぃの「人の死にざま_861_市川・団十郎(9代目)」

歌舞伎の市川團十郎さん死去 (追加) 2013年2月4日 NHKニュース
歌舞伎界を代表する人気俳優で、白血病の闘病を乗り越えて活躍を続けていた12代目市川團十郎さんが、3日夜、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。
66歳でした。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130204/t10015269241000.html
市川團十郎 (9代目) - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%9C%98%E5%8D%81%E9%83%8E%5B9%E4%BB%A3%E7%9B%AE%5D/1630905/
九代目市川團十郎による出端 画像
http://www.kabuki-bito.jp/special/letterfromlondon_02.jpg
勧進帳1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=BnxVXZq-zCA&feature=related
歌舞伎美人(かぶきびと) | 歌舞伎名作選DVDの英語字幕
http://www.kabuki-bito.jp/kabuki_column/letterfromlondon/dvdenglish.html
市川團十郎 (9代目) フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
九代目 市川 團十觔は明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳号に紫扇・團州・壽海・三升、雅号には夜雨庵。本名は堀越秀。
五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。
その数多い功績から「劇聖」謳われた。また歌舞伎の世界で単に「九代目」というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
市川団十郎・9代目 (1838-1903) 65歳で死亡。(一部抜粋しています)
団十郎」という名を歌舞伎役者の王様として、昭和以後にも印象させたのは、この明治の9代目団十郎である。
長谷川如是閑の兄で、芸能に詳しかった朝日新聞記者山本笑月はいう。「いかなる大柄の俳優も、団十郎の前に出ては小さく見える。技芸の力と貫禄の重みである。音声は独特の名調子、晩年少しも衰えない」
彼の晩年の年収は、米1石10円足らずの時代に2万5千円であったという。
彼は3万円を投じて茅ヶ崎に1万坪の土地を求め、孤松奄という別荘を作った。邸内に請願巡査2家族を養っているほどであった。
晩年悠々として、後の6代目菊五郎たち後輩に芸談を語ったり、釣、茶などの趣味に明け暮れる貴族的生活を送ったが、上記の山本笑月は、明治35年夏、ここにインタビューに訪れた。
「舞台とはかけ離れて白髪まじりの少し残った禿頭、眼は評判だけにいささか大きい、受口で頬のこけたところ、品格はあるが、日本一の名優とはお釈迦様でも気がつくまい。・・・」
団十郎はしかし、翌明治36年9月8日、尿毒症を発し、ついで急性肺炎を併発し、同13日、この孤松奄でこの世を去った。
20日、青山斎場で神式の葬儀が行われたときは、葬式の先頭が虎ノ門を過ぎても、後尾はまだ築地の市川邸を出きらぬほどであった。

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市川團十郎 (9代目) Google 検索
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