じじぃの「今は当たり前のカメラ付き携帯電話・スマートフォン・J-SH04!国産はじめて物語」

Sharp J-SH04 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7jt4DI9r-S0
【カメラ】スマートフォンデジタルカメラ!?【デジカメ】 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9an3d2pCcCk
日本人初の「工学のノーベル賞 2013年2月20日 NHKニュース
「工学分野のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカの賞の受賞者に、携帯電話の実用化に貢献した金沢工業大学奥村善久名誉教授が、日本人として初めて選ばれ、首都ワシントンで授賞式が行われました。
チャールズ・スターク・ドレイパー賞」は、アメリカの研究機関「全米技術アカデミー」が毎年、実用的な技術の進歩や社会の発展に貢献した研究者に贈っている賞です。
ことしの受賞者には、金沢工業大学奥村善久名誉教授が日本人として初めて選ばれ、19日、首都ワシントンで行われた式典でメダルが授与されました。
奥村名誉教授は、電電公社、現在のNTTの研究所で、世界で初めてとなる携帯電話が自動車電話として日本で実用化された際に使われた「セルラー方式」と呼ばれる技術の開発などに貢献したことが評価され、アメリカの研究者らほかの4人と共に、ことしの受賞者に選ばれました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130220/k10015650421000.html
携帯電話 ウィキペディアWikipedia)より
携帯電話は、有線電話系通信事業者による電話機を携帯する形の移動体通信システム、電気通信役務。端末を携帯あるいはケータイと略称することがある。
【歴史】
第二次世界大戦中にアメリカ軍が使用したモトローラ製の「Walkie Talkie」が、前身といわれる。 しかしこれは、回線を使用していないトランシーバーである。
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会にワイヤレスホンとして出展されるが、これは、今で言うコードレスフォンである。
1979年、日本において世界で初めて実用化された。但しこれは車載電話機を使った自動車電話サービスであり、自動車の中だけでしか使えなかった。1981年にはバーレーンとスカンディナヴィアも後に続いた。米国では1978年に“AT&T”と「モトローラ」に実用化実験許可がおりていたものの実用化はまだだった。遅れをとった米国はレーガン大統領へのモトローラの直訴により1981年、実用化がなされた。
カメラ付き携帯電話 ウィキペディアWikipedia)より
カメラ付き携帯電話は画像撮影機能(一部はビデオ撮影なども)、画像送受信機能のついた携帯電話・PHSである。以下便宜上、(カメラ付き)携帯電話・PHSを併せて(カメラ付き)携帯電話等と表記する。
【日本の歴史】
1999年9月にDDIポケット(現ウィルコム)より発売された、京セラ製端末のVP-210が世界初のカメラ付き携帯電話 (PHS) である。カメラ部には11万画素のCMOSイメージセンサが使われていた。撮影したJPEGファイルを添付しEメールで送受信できるが、テレビ電話用なので液晶面側にカメラがあり、外側に向けることはできず自分を撮る以外には使いづらい。現在の“写メール”に代表される用途のカメラ付き携帯電話などとは異なるコンセプトで作られ、「お見合いに使えるテレビ電話端末」と宣伝されていたが、市場にはあまり受け入れられなかった。
シャープ製携帯端末J-SH04が2000年10月に商品化され、J-PHONEから2000年11月に発売されたのが現在のカメラ付き携帯電話のルーツである。この端末の特徴は、
・背面部にデジタルカメラが付いた
・J-スカイウォーカーでメールに撮影した写真を添付して送信できる
と現在のカメラ付き携帯電話などの特徴を備えた初の端末となった。

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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
売れた!国産30選 カメラ付き携帯電話 「J-SH04」 (一部抜粋しています)
「ピッピッピ…」携帯電話でメールを打つときのボタン音が聞こえる。家族で芦ノ湖の風景を楽しんでいたボーダフォン(当時J‐フォン)、元シニアプログラムマネージャーの高尾慶二が振り返ると、そこには一人旅らしい中年女性の姿があった。景色を見ずに一生懸命メールを打つ姿は、高尾の記憶の隅にずっとひっかかっていた。平成11(1999)年のゴールデンウイークのことだった。
その頃、若者のトレンドを追い掛けるテレビの深夜番組では、女子高生や女子大生、OLのバッグの中身を公開するというコーナーが人気を博していた。彼女たちが必ずバッグに入れているものは、携帯電話、ヘッドホンステレオ、そして使い捨てカメラだった。彼女たちは誰かと一緒に写真を撮ることで、そのときの気持ちの共有を記念にとっておくのだ。また街角にはプリクラの機械が溢れ、ノートやフォルダーに数を競うように集めることも流行していた。
平成12(2000)年春、携帯電話各社はその年の秋冬モデルの開発に入っていた。携帯電話自体普及率が高まり、新規契約者が増えることはそれほど望めなくなっている。メール機能も一般化してきた。新しい機能をプラスしてより利用者をひきつける携帯電話を開発する時期に来ている。
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携帯電話にカメラを搭載するという発想をメーカーに打診したところ、偶然シャープも同じ発想を提案するつもりであった。ここから共同で開発が始まる。事業者とメーカーが対等にコラボレートして新しいものに挑戦したのである。
とくにこだわったのは4点。まず、携帯電話の形を崩さないこと。しかし、カメラの機能は内蔵にすること。アタッチメント式にすると撮りたいときにすぐ撮ることができない。そして、自分自身を撮れるようにすること。プリクラは自分と誰かが一緒に写ることでブレイクした。最後に、撮影時にシャッター音を鳴らすこと。これらは「いつでも、どこでも、すぐ簡単に」撮れること、そして自分を写すことで気持ちを表現できること、を実現するために必須だった。
メーカーであるシャープが最も苦労したのは、すでに極限まで小型化された携帯電話のサイズを変えることなく、その中にカメラを収めなければならないという点だ。カメラ自体はもちろん、周辺の部品も小型化や集積化を図って、なんとか従来の携帯電話とサイズ、重量ともに変わらないカメラ内蔵携帯を作り上げた。また、当時のカメラや液晶の品質では、人物の肌色をきれいに現すことができなかった。人物をきれいに撮れなければこの企画は成功しない。画像を写すカメラ、それを表示する液晶、画像の「入口」と「出口」ともいうべき2つの部品をそれぞれ独立した部品事業としてもっていたシャープが、それらをマッチングさせ、共同で部品開発に努めたからこそ、究極の小型ながら、撮ってすぐ見られる携帯電話が完成したのだ。
また、意外とてこずったのが、「自分撮り」だった。一人で撮影役と被写体役をするのだから、自分の顔がフレームに収まっているかどうか確認できない。どうすれば解決できるか…。悩んでいるときに目に入ったのが道路のカーブミラーだった。鏡には自分の顔が映る。しかも凹面にすればカメラと顔が近くても全部収まる。ハイテクの携帯電話に昔ながらの鏡を取り付ける。完成品を見るとごく当然のように感じるが、発想した段階では目から鱗……だった。そしてこれがカメラ付き携帯ヒットの要因のひとつともなるのだ。
開発側は自信をもって進めていたカメラ付き携帯電話だが、社内では危ぶむ声が多かった。「なぜ、他社と同じように音楽機能をつけないのか?」「音楽機能のほうが、老若男女問わず需要が多いのではないか」等々。しかもカメラを内蔵すると、製造単価が数千円高くなってしまう。技術担当役員の後押しと、年間約20機種もの新機種を出す、その1種として「とりあえず」実現された。
それでも営業サイドからは「同型でカメラの付かないものも作らなければ営業できない」と言われ、急いでカメラ機能を取りレンズがあるはずの部分をふさいだ型も作られた。
しかし、その後カメラ付き携帯がどれだけヒットしたかはいうまでもない。画質も格段に向上。動画も撮影、メール添付できる。また、文字やバーコードも読み取るという、「電子の眼」の機能もできた。ほんの2〜3年での進化だ。カメラ機能だけではなく、パソコンのようにも、サイフ代わりにも使え、小さな1台でなんでも可能になってきた携帯電話。しかし、高尾は「あくまでも人と人とのコミュニケーションのツール。人間は一人では生きていけないから、それをつなぐためのもの」だと言う。使う側だけではなく、作る側の思いも込められているのだと。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「売れた!国産30選 カメラ付き携帯電話 『J-SH04』」というのがあった。
1979年、日本において世界で初めて携帯電話が実用化された。ただし、車載電話機を使った自動車電話サービスであり、自動車の中だけでしか使えなかった。
携帯電話にカメラを搭載するという発想をメーカーに打診したところ、偶然シャープも同じ発想を提案するつもりであった。ここから共同で開発が始まる。事業者とメーカーが対等にコラボレートして新しいものに挑戦したのである。
カメラ付き携帯電話はシャープが世界で初めて商品化し、2000年10月に「J-SH04」として発売された。
そして、携帯電話は単なる電話からスマートフォンへと大きく進化した。2012年にはスマートフォンの出荷台数がパソコンを逆転した。
日本は携帯電話で世界のパイオニアだったが、携帯電話、スマートフォンと世界標準を抜け出し、日本が独自に開発を進めることで、世界シェアを落としてしまった。
携帯電話、スマートフォンにカメラが付いているのは当たり前になっている。しかし、当たり前の製品の歴史を辿ると、日本のシャープが開発した「J-SH04」に行き着くのである。