じじぃの「人の死にざま_1100_A・ワイエス」

アンドリュー・ワイエス - あのひと検索 SPYSEE
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Andrew Wyeth 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=er5zAMkKX00
Andrew WYETH 動画 YouTube
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アンドリュー・ワイエス 「煮炊き用薪ストーヴ」 画像
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私の数寄な絵‥松ぼっくり男爵 心の時空
http://yansue.exblog.jp/13916591/
美の巨人たち アンドリュー・ワイエス松ぼっくり男爵」 2013年6月22日 テレビ東京
【ナレーター】小木薫
今日の一枚は、アンドリュー・ワイエスの『松ぼっくり男爵』。縦横80センチ余りの板に描かれたテンペラ画です。描かれているのは、厳しい風雪を避けるために農場の入口に植えられた松並木。赤茶色に染まった枯れ葉が冬の気配を映し出しています。松の太い幹を覆う分厚くかさついた硬い樹皮。地面に落ちた松葉。そこに、松ぼっくりが集められています。その精緻な光と影の描写が生み出す、乾いた手触り。見えるもの全てを記録しようとする驚異の写実は、「マジックリアリズム」と呼ばれるワイエスの世界です。画家が見て、画家が感じたものを全て描き尽くした驚異の写実は、現実の風景を越えて見る者に迫って来ます。でも、ひとつ気になるモノが。なぜそこに・・・ヘルメット?
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/130622/index.html
アンドリュー・ワイエス ウィキペディアWikipedia)より
アンドリュー・ワイエスAndrew Wyeth,1917年7月12日 - 2009年1月16日)は、20世紀のアメリカの画家。
アメリカン・リアリズムの代表的画家であり、アメリカの国民的画家といえる。日本においてもたびたび展覧会で紹介され、人気が高い。
【経歴】
1917年、ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれる。心身ともに虚弱であったワイエスは、ほとんど学校教育を受けず、家庭教師から読み書きを習った。絵の師は著名なイラストレーター(挿絵画家)であった父親(N.C.ワイエス)である。ワイエスは自宅のある、生地チャッズ・フォードと、別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外にはほとんど旅行もせず、彼の作品はほとんどすべて、この2つの場所の風景と、そこに暮らす人々とがテーマになっている。
代表作「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性である。生来病弱で孤独に育ったワイエスは、この、ポリオで足が不自由な女性が、何もかも自分の力でやってのける生命力に感動し、出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けた。

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『絵のまよい道』 安野光雅/著 朝日新聞社 1998年発行
三人の画家 (一部抜粋しています)
わかりやすい作品の一例として思い浮かぶのは、ずいぶん昔『フォーチュン』という雑誌の一ページで見た「退役軍人」とでもいう感じの肖像画である。外国の雑誌なので、詳しいことはわからなかったが、作品の精密この上もないことは「印刷の技術はそこまできたか」と、印刷技術に驚くという倒錯した感じを起させるほどのものだった。
一人の人物、それもわたしから見れば無名の人を「退役軍人」と思ったそのわけは、胸につけた二つの勲章から説明されることではあるが、誓ってその勲章のためではない。今は湖水のように鎮まった自分の来し方を見つめているにちがいないそのまなざしの実直にして誇りに満ちた表情が、彼の生い立ち、歴史、ひいては彼の住む(勲章を誇れる)世界が感じとれるところまで来て、そのモデルの「だれだれ像」という氏名を離れ、いまはかりの題名であるところの「退役軍人」という絵に昇華してしまうのだった。
その後、国立近代美術館でアンドリュー・ワイエス展が開かれた(1974年5月)が、そのときの図録によって、わたしが一人ぎめしていた「退役軍人」が、本当は「愛国者」という題名であること、テンペラ画であること、などが知られたが、作品そのものは日本にこなかっと覚えている。
はじめ、古典かもしれぬ、それにしては見たこともないと思っていたそれが、現代の作品だったことは二度驚いたようなものだった。ワイエスは、奇しくも巡り合ったこの絵のモデルを通して「古き良きアメリカ」を描こう、それはつまり「古き良きアメリカ」という「抽象概念」を描くことになる、と考えたらしい。
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ワイエスは一枚の絵に長い時間をかける。これほどの作品は念に二枚くらいしか描かない。描いているところを人に見られたくないなどといい、愚直なまでにアメリカの田舎を描き、ヨーロッパの風景にあると人のいう”深み”を訪ねようとはしない。深みならアメリカの田舎で充分だという(名だたる、ピカソやブラックやセザンヌにも格別憧れない、という意味にもとれる)。
日本にだって”深み”がないわけではないのに、わたしは外国旅行をしながら絵を描いているため、ワイエスのことを思うと、やや忸怩たる思いがしてくる。
先に、「古典かもしれぬと思った」というのは、ものの順序として、「愛国者」は印象派よりも前の作品だと想像していたのだが、むしろ後の作品だった、という意味である。
ワイエスの父N・C・ワイエスは交通事故でなくなった。父は「美術界が逆転した(具象の時代は去り、抽象の時代になった)から、わたしのような(父も画家でアンドリュー・ワイエスを指導した)リアリズムの時代は二度と帰ってこないだろう」と落胆した。
ワイエスは、むしろチャンスと考え、リアリズムの筆を休めようとはしなかった。
図録に収録されている「わたしは一人だった」という彼の言葉は印象的である。はじめは(彼のような作品を描いている画家は、ほとんど)一人だった。しかし今ではリアリズムの立場をとる画家がたくさん出て(復活して)きた。それはワイエスの作品の牽引力だといっていいほどである。「今日では、抽象画家が保守的で、わたしは最前衛になっているようです」と彼は言う。
絵を見て、「空気が描かれている」とか「いない」などという言葉で批評されることがある。「どうやって空気を描くんだ、そのような批評をされると困る」と弁護したくなることが、ワイエスの場合にかぎり(いや、フェルメールもそうかもしれぬが、ともかく)空気が描かれていると感じるから不思議である。

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アンドリュー・ワイエス Google 検索
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