じじぃの「人の死にざま_1095_A・ボルタ」

アレッサンドロ・ボルタ - あのひと検索 SPYSEE
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Alessandro Volta 動画 YouTube
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パナソニックが乾電池50万個など被災地へ 動画 YouTube
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アレッサンドロ・ボルタ ウィキペディアWikipedia)より
アレッサンドロ・ジュゼッペ・アントニオ・アナスタージオ・ヴォルタ伯爵(Il Conte Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta)は、イタリアの自然哲学者(物理学者)。電池(ボルタ電池)を発明した。
【ボルタとガルヴァーニ
1800年動物電気をカエルの筋肉自体に蓄えられていたものだというガルヴァーニの説への反証として、ボルタは一定の電流を作り出す初期の電池であるボルタの電堆 (voltaic pile) を発明した。ボルタは最も発電効率のよい金属電極の組み合わせを亜鉛と銀だとした。
【世界初の電池】
電堆の発表に際して、ボルタはウィリアム・ニコルソンティベリウス・カバルロ、エイブラハム・ベネットの影響に敬意を表した。
ボルタのもう1つ発明として、拳銃の遠隔操作がある。彼はライデン瓶に蓄えた電気をコモからミラノまでの約50kmの距離で送り、ピストルを発射させた。導線で電流を送るために、木の板を使って地面から絶縁した。この発明は電信の考え方と同じであり、電気を使った通信のさきがけとなった。
ボルタの電堆ボルタが作った電池は世界初の化学電池とされている。亜鉛と銅の2種類の電極を使っていた。電解液には硫酸または塩化ナトリウムと水を混ぜた食塩水を使った。

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『常識として知っておきたい 科学50の大発見!』 博学こだわり倶楽部 KAWADE夢文庫 2012年発行
電池の発明 自在に電気を使えることで科学が発展! (一部抜粋しています)
おなじみ単三・単四などの乾電池から、ゲーム機などに使われる丸いボタン電池、パソコンや携帯電話用の充電池など、現代では暮らしの至るところで、さまざまな電池が使われている。
電池がなければ、生活そのものが成り立たないといってもいいほどだが、そのおおもとになったのが、アレッサンドロ・ボルタ(1745〜1827)が作った電池である。
1799年、ボルタは2種類の金属板の間に食塩水をしみこませた布を挟んで幾重にも積み重ねたものをつないで、電流を発生させることに成功した。この装置を「ボルタ電池」と呼ぶ。
この装置でなぜ電気が流れるのか?
簡単にいうと、金属Aが食塩水と反応して電子を放出し、その電子がもう一方の金属Bの側まで運ばれるからだ。金属の酸化還元という化学反応が連続して起こることで、電子の受け渡しが行われ、それが電流となる。いわゆるイオン化傾向の差によって電子の移動が起こるのだ。
こうした理屈は現代でこそ理解できる内容だが、ボルタが生きていた当時は電子やイオンという概念もなければ、物質の電気的な性質も知られていない時代。電気とは何ぞや? ということが本格的に研究されはじめたばかりで、静電気や雷といった経験的に知られている身近な現象を実験で確かめながら、電気の本質に迫ろうと試みている段階だった。
ボルタがヒントにしたのは、ちょっと意外なことに、カエルを使った生物学の実験だった。
1791年、イタリアの生物学者ルイジ・ガルヴァーニ(1737〜1798)は、カエルの解剖をしているときに、筋肉が金属に触れてけいれんをおこすことに気がついた。銅製のフックにカエルの足をぶら下げ、筋肉組織を鉄製のピンセットでつまもうとすると、ピクンと筋肉が動くのである。ガルヴァーニはこれを、筋肉に蓄えられた電気的なものが金属に刺激されて取り出された結果だと考え、「動物電気」と名付けた。
この実験内容を知ったボルタは、この電気現象は生物というよりも銅と鉄という2種類の金属こそがポイントではないか、と考えた。筋肉があらかじめ電気を蓄えているのではなく、異なる金属の間に生体の水分がある状況が、電気を”生み出す”のではないか、とひらめいたのである。
試しに銅と鉄の間に濡(ぬ)らした紙を挟んでみると、やはり電流が得られた。ボルタはこれを金属電気と呼んで、より多くの電気を取り出す条件を探っていった。
ボルタが発明した「ボルタ電堆」は、銅と亜鉛の板を重ねて間に濡らした布をはさみ、布の端を食塩水などの電解液に垂らしておくことで、ある程度持続的に電流を取り出すことができた。この銅と亜鉛(銀と亜鉛ともいわれている)の組み合わせプラス電解質溶液によって電流を発生する装置を、のちに「ボタン電池」と総称するようになった。
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やがて1800年代後半に入ると、電解質溶液をゲル状に固めた電池が登場。これを発展させて、1864年、フランスの技師、ジョルジュ・ルクランシェ(1839〜1882)が二酸化マンガン亜鉛の電極を使った電池を発明した。これが現在の乾電池の原型であり、持ち運び可能な電池の第1号である。

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