じじぃの「人の死にざま_1049_E・キヨッソーネ」

エドアルド・キヨッソーネ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A8%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%8D/45890/
Edoardo 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?gl=ID&feature=relmfu&hl=id&v=KcdYSntB2gE
日本初のお札の肖像画 神功皇后 画像
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/m/matryoshkadoll/20090511/20090511020342.jpg
西郷隆盛肖像画 画像
http://kyoto-brand.com/column-img/111004/111004_Takamori_Saigo.jpg
エドアルド・キヨッソーネ ウィキペディアWikipedia)より
エドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone、1833年1月21日 - 1898年4月11日)はイタリアの版画家・画家で、明治時代に来日しお雇い外国人となった。
【概要】
キヨッソーネはイタリアのアレンツァーノ(ジェノヴァ県)で代々製版・印刷業を営んでいた家系に生まれる。14歳からリグーリア美術学校で銅版画の彫刻技術を学び、22歳で卒業、特別賞を受賞し教授となった。1867年開催のパリ万国博覧会に出品した銅版画は銀賞を受賞している。
来日後、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導。印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いたほか、新世代を担う若者たちの美術教育にも尽力した。奉職中の16年間に、キヨッソーネが版を彫った郵便切手、印紙、銀行券、証券、国債などは500点を超える。特に日本で製造された近代的紙幣の初期の彫刻は彼の手がけた作品である。また、1888年には宮内省の依頼で明治天皇御真影を製作し、同省から破格の慰労金2500円を授与された。また元勲の銅版画も残した。似ていない作品も少なくないが、例えば西郷隆盛画像については西郷本人と面識がないうえに、西郷の写真も残っていなかったため、西郷従道大山巌をモデルに合成したものであるという。また藤原鎌足神功皇后の肖像も彼が描いたものであった。また日本の欧米諸国の技術水準で製造された最初の普通切手シリーズの小判切手は彼がデザインしたものであった。
【切手】
母国のイタリアでは1988年に和服姿の彼の肖像を描いた切手が発行されたほか、1994年11月18日には日本も彼の肖像(洋装)を描いた切手を発行したが、いずれも小判切手も描かれていた。

                                • -

雑学家族 「お金の雑学14連発」 2012年12月15日 テレビ朝日
【レギュラー出演】伊集院光冨士眞奈美小林星蘭市川寛子菊池桃子日村勇紀バナナマン)、設楽統(バナナマン
●印刷エラーで35000円のプレミア価格がついた2千円札を紹介。1万円札のA00001A番は、貨幣博物館に保管されている。
 昭和21年に発行された100円札は、裁断ミスで100倍のプレミア価格がついている。昭和21年に発行された10円札は、印刷ミスで1000倍のプレミア価格がついている。
●日本初のお札の肖像画神功皇后はなぜ外国人っぽく見えるのか、意外な真相
 明治14年から毎年順番に発行された1円札、5円札、10円札に描かれた神功皇后肖像画
●2千円札は2003年を最後に発行されなくなり、現在の流通量はお札全体の約1パーセントである。沖縄では2千円札が大量流通していて、那覇空港駅の券売機や琉球銀行のATMでも使用出来る。2千円札には、首里城守礼門が印刷されている。
http://www.tv-asahi.co.jp/zatsukazoku/
12月15日、テレビ朝日 『雑学家族』より
日本初のお札の肖像画神功皇后」はなぜ外国人っぽく見えるのか、意外な真相
明治14年 1円札
明治15年 5円札
明治16年 10円札
この肖像画を描いたのが、エドアルド・キヨッソーネ。
日本の紙幣局に勤めていたイタリア人彫刻家エドアルド・キヨッソーネ。でも、どうしてイタリア人が勤めていたのか?
その頃、明治新政府はドイツに紙幣造りを依頼していたが、コストがかかり過ぎるため、国産化を計画していた。
そこで、ドイツの印刷会社にいたキヨッソーネをスカウトしてきたのだ。
日本のキヨッソーネ邸とそこで働いていた日本人たちが一緒に写っている写真が出てきた。
ちなみにこちらが、当時永田町にあったキヨッソーネ宅と使用人たち。日本人の奥さんまでいたともいわれている。
そもそも、神功皇后はどんな顔なのか?
神功皇后古事記などに記されている伝説の人物。容姿に関する記述は唯一“聡明で容姿麗しく”(古事記より)。つまり、手がかりは「美人」としか手がかりはなかった。
そこで、キヨッソーネがモデルに選んだのが紙幣局の女性職員たち。彼は国のために献身的に働く女性職員たちを神功皇后のイメージに重ね、肖像画を描き上げたのだ。
1円札は完全に外国人の顔だが、翌年、さらに翌年に発行した10円札は日本人に似てきている。
ちなみに、教科書などでお馴染みの「西郷隆盛」の肖像画を描いたのもキヨッソーネ。
西郷隆盛の写真が残っていなかったので、西郷隆盛の弟、西郷従道と従兄弟、大山巌の2人の顔をモデルに合成したといわれている。
エドアルド・キヨッソーネ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A8%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%8D&sa=X&oi=image_result_group