じじぃの「人の死にざま_1041_H・ベッセマー」

ヘンリー・ベッセマー - あのひと検索 SPYSEE
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Henry Bessemer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NekWudHO9k0
STEEL: From Start to Finish 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9l7JqonyoKA
ヘンリー・ベッセマー ウィキペディアWikipedia)より
サー・ヘンリー・ベッセマー(Sir Henry Bessemer、1813年1月19日 - 1898年3月15日)はイングランドの技術者で発明家。鋼の精錬法を発明したことで知られている。
【他の発明】
ベッセマーは1838年から1883年にかけて、129以上の特許を取得している発明家である。それらは主に、鉄、鋼、ガラス、砂糖、大砲などの兵器という5種類の分野に集中している。
自伝にはその発明が全て記されていて、一部は非常に詳細に説明されている。その自伝はまた、彼の長い波乱の人生について様々な面白い事柄を描いており、非常に読みやすい。
ベッセマーの発明の中には、切手に浮き出し加工を施す可動式の打ち抜き型や、サトウキビからより効率的に砂糖を搾り出すためのスクリュー押し出し機などもある。
1868年、ひどい船酔いに悩まされ、SS Bessemer(または "Bessemer Saloon")と呼ばれる機構を発明した。これは、蒸気船の客室を水平を保つジンバルの上に設置するようにし、海が荒れても乗客が船酔いにならないというものだった。舵手が水準器を見て液圧で制御する機構であり、ベッセマーはロンドンのデンマークヒルにある自宅の庭に試作品を作り、体験できるようにした。しかし、試作船のテスト航海のとき埠頭の一部を壊してしまい、船はスクラップとなり、投資者の信用を失い、結局遠洋航路のテストは1度も行われなかった[9]。
1857年に取得した特許では、逆回転ローラーを使った金属鋳造法を発明している。これは今日の連続鋳造の先駆けともいうべきものである。

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アシモフの科学者伝』 アイザック アシモフ/著 小学館 1995年発行
ヘンリー・ベッセマー――鋼鉄時代の創始者 (一部抜粋しています)
ヘンリー・ベッセマーは、新しいタイプの弾丸を発明した。それは回転しながら飛ぶ弾丸で、それ以前のどんな弾丸に比べても、より遠くまで飛び、より正確に命中するはずであった。
新しくフランスの皇帝となったナポレオン3世は、この発明に興味を示し、実験を進めるための資金を出した。フランス系のイギリス人であったベッセマーは、やる気十分であったが、この新しい弾丸を発射するのは、当時の鋳鉄よりもすぐれた材料で大砲を作らねばならなかった。新しい弾丸を打ち出すには、高い爆発圧が必要だったが、それまでの鋳鉄の大砲では、この圧力に耐えられなくて破裂してしまうだろう。
ベッセマーは、鉄の製造については、なにも知らなかったが、勉強しようと決心した。その結果、1854年に、古い時代が終わって新しい時代が始まることになる。
1813年1月19日にイギリスで生まれたヘンリー・ベッセマーは、それまでに、すでに数多くのものを発明していた。しかし、彼がこれから取り組もうとしている仕事に比べれば、それらは、どれも、ほんのちょっとした機械類にすぎなかった。
人間は、2000年以上も前から鉄を使っている。鉄は、ありふれた金属のなかでは、もっとも硬く、もっとも強いものであった。
この金属は、鉄鉱石にコークスと石灰石をまぜて熱すればできる。こうして作られた鉄には、コークスの炭素が大量に含まれており「鋳鉄」と呼ばれている。鋳鉄は安くて硬いが、もろい。強くたたくと、ひび割れしてしまう。
この鋳鉄に、余分な鉄鉱石をまぜて熱すれば、炭素を取り除くことができる。鉄鉱石に含まれている酸素が、鋳鉄のなかの炭素と化合して一酸化炭素となり、泡になって噴き出して、結局、燃えてしまうのだ。このように鉄鉱石と鋳鉄とまぜて熱すると、ほとんど純粋な鉄だけがあとの残る。
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ベッセマーが自分自身に課した課題は、鋳鉄から安価に炭素を取り除くことであった。この場合、溶けた鉄に酸素をまぜて炭素を燃やすわけだが、どんなやり方が、いちばん安価で、いちばん簡単だろうか。鉄鉱石を加える代わりに、空気を吹き込んだらどうだろうか。空気が溶けた鉄を冷やし、鉄が固まってしまいはしないだろうか。
ベッセマーは実験を始めた。そして、空気を吹き込めばうまくいくことを、すぐに知った。空気は、炭素やそのほかのほとんどすべての不純物を燃やしてしまい、しかも、その燃焼の熱のため、鉄の温度は上がった。空気の吹き込み量を調節することで、ベッセマーは、それまでの方法の何分の1かの費用で鋼鉄を作ることができた。
1856年、ベッセマーは、自分のやり方をくわしく発表した。製鉄メーカーは、熱狂的になり資金を投じて「高炉」を作り、新しい方法で鋼鉄を作ろうとした。が、できた鋼鉄の品質は非常に悪かった。彼らは驚きベッセマーをののしった。彼は、ふたたび実験にとりかかった。
その結果、リンを含んだ鉄鉱石は、この方法には使えないことがわかった。リンはあとに残り、鋼鉄をもろくするのであった。最初の実験のとき、ベッセマーは、たまたまリンを含まない鉄鉱石を使ったのだ。
彼は、この事実を発表した。が、製鉄メーカーたちは、もはや耳を傾けようとしなかった。ベッセマーのような「頭のおかしい男」は、ほかにもたくさんいたからである。そこで、ベッセマーは、お金を借りて、1860年に、イギリスのシェフィールドに自分自身の製鉄所を建設した。彼はスウェーデンからリンを含まない鉄鉱石を輸入し、高品質の鋼鉄を1トン100ドルで売り始めた。これは、どの競争者よりも安い値段だった。もはや、これについて論争の余地はなかった。1870年までには、リンの問題を解決する方法も発見された。そのおかげで、アメリカの巨大な鉄鉱石資源を利用できるようになった、ベッセマーは、1879年に騎士(ナイト)の称号を授けられ、豊かな有名人として余生を送り、1898年、ロンドンで死んだ。

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