じじぃの「人の死にざま_1035_J・グーテンベルク」

ヨハネス・グーテンベルク - あのひと検索 SPYSEE
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Johannes Gutenberg 動画 YouTube
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Gutenberg Press 動画 YouTube
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書物の歴史 第5章
19世紀になって漸く、東洋は西洋の印刷術を受け入れた。書物について、活字、料紙、装丁・製本、並びにそれらの生産方式を含めてその全てを受け入れたと言ってよい。中国が発見した木版印刷術に対し、印刷革命を成就させたのはヨーロッパであった。
http://www.geocities.jp/shomotsushi/5syo.htm
ヨハネス・グーテンベルク ウィキペディアWikipedia)より
ヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg、1398年頃 - 1468年2月3日)はドイツ出身の金属加工職人で、1445年までに活版印刷技術を考案し、その機器の実用化に成功して、自ら印刷業・印刷物出版業を創設した人物である。
【功績】
1455年に初めて旧約・新約聖書ラテン語版)つまり『グーテンベルク聖書』を印刷したことで有名である。グーテンベルクの発明した「印刷」という概念と方法は、当時の一般的な手書きでの「書き写し」という出版方法を即座に忘れさせ、活版印刷機は急速にヨーロッパ各地に普及した。そのため、大量の印刷物を生み出し、ルネサンス期における知識・情報伝播の速度を飛躍的に加速させることに貢献した。印刷技術は羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられる。「活版印刷の発明者」としてグーテンベルクは現在でも人気があり、1999年にA&E ネットワークが選定した「紀元1000年代の人」ランキングで1位に選ばれているほどである。

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アシモフの科学者伝』 アイザック アシモフ/著 小学館 1995年発行
ヨハネス・グーテンベルク――百万人のための活字 (一部抜粋しています)
聖書は、記録破りの世界的ベストセラーだが、それが最初に「印刷」されたのは、1454年のことだ。場所はドイツ、発行者はヨハネス・グーテンベルク。しかし、聖書を印刷しても、この世でどんな利益がえられるのか、予測は不可能だった。骨折りのかいもなく、発行者のグーテンベルクは破産した。
20年のあいだ、グーテンベルクは、金属の小さな細長い棒をいじくりまわして、苦労を続けていた。その細長い棒は、どれもこれも幅と高さとを正確に同じに作り、何個も寄せ集めてきちんと並べられるようにしなければならない。そして、それぞれの角棒の頭には、裏返ししたアルファベットの文字を成功に鋳込(いこ)まなければならない。
このような金属の角棒をきちんとくっとけて並べ、その上にインクをさっとムラなくつける。そして、1枚の紙をのせて、しっかり押さえつける。
紙をはがすと、まるで奇術のように、裏返しでない正しい文字が、そこに写っている。文字が並んで単語になり、単語が並んで、1冊の本の1ページになる。
ヨーロッパとアジアの人びとは、これと同じことを、すでにやっていた。それは、木に単語や漢字を刻んで刷る方法である。しかし、このような木版の場合、文字はしばしば荒っぽく彫られ、しかも1枚の版木では1つの文章しか刷ることができなかった。これに対し、グーテンベルクは、それぞれの文字を、1つ1つ金属製の「活字」に作ることを考えた。こうすれば、1ページ分を組み合わせ印刷し終わったら、同じ活字を並べなおして、別なページを印刷することができる。つまり、このような「動かせる活字」をわずかばかりそろえておけば、世界中のどんな本でも印刷できるのである。それが、グーテンベルクの”夢”であった。これは、科学というよりむしろ技術の勝利であり、重要な技術突破(ブレークスルー)であった。
グーテンベルクが印刷したカレンダーや宗教上のパンフレッドの一部は、いまも残っているが、その中には、1440年代に印刷されたものもまじっている。しかしグーテンベルクが6台の印刷機を据え付けて、あらゆる書物の中でもっとも偉大な本である聖書を刷り始めたのが、1454年であった。
インクをつけた活字の上に、300回、紙が押しつけられた。その結果、まったく同じ印刷された紙が300枚できあがった。そのあと、活字は次のページのために並べなおされ、さらに次のページ、そのまた次のページへと作業が進められた。全部で1282ページだったが、それぞれ300枚ずつ作られ、それをたばねて、同じ内容の300冊の聖書が完成した。
これは、聖書のあらゆる印刷本のなかで、もっとも重要なものとなった。なぜならそれは、西欧で印刷された最初の書物だったからである。
グーテンベルクのこの聖書は、今日、わずか45冊しか残っていない。そのどれもが値段をつけられぬほど貴重なものなのだが、これらの聖書は、当時のグーテンベルクにはどのような報酬をも、もたらさなかった。
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印刷術は、近代的な民主主義を育てるのにも役立っている。古代のギリシャでは、さまざまな考えは口伝えにしか広めることができず、そのため小さな都市でしか民主主義は成りたたなかった。しかし印刷物のおかげでさまざまな考えは数を増やして、すべての人の目と心の中に投げ込むことができるようになった。その結果、何百人もの人が、いろいろな情報に通じ、政治に参加できるようになった。
しかし、印刷術は悪用もされた。印刷物による巧妙な宣伝によって、戦争はますます恐ろしいものになり、独裁者はますます強大になることができた。誰もが読み書きできるようになるということは、誰もが良いものを賢く読むということと同じでなない。だが、効用のほうが、わざわいよりも、ずっと大きかった。印刷術のおかげで、私たちは、自分たちの知識を後世の人たちに伝えることができるようになったのだ。

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