じじぃの「人の生きざま_175_田原・総一朗」

田原総一朗 - あのひと検索 SPYSEE
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田原の眼力」 【田原総一朗のタブーに挑戦!】 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QDD7Jyl9gVY
激論! 瀬戸際の日本外交 朝まで生テレビ 動画
http://72344.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html
田原総一朗 ウィキペディアWikipedia)より
田原総一朗(たはらそういちろう、1934年4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元東京12チャンネル(現・テレビ東京)ディレクター、元映画監督。血液型はB型。
【発言・思想】
2011年までの田原は次のような見解を表明していた。 歴史認識においては、「日清・日露戦争自衛戦争だが、満州事変、日中戦争侵略戦争」という認識を再三示している。これに異を唱える者には激しく反発する。たとえば、みずからの番組内で満州事変以降の戦争を「全体としては自存自衛、セキュリティ(安全保障)のための戦争だった」と述べた高市早苗衆議院議員)に対し激昂し、「僕はね、靖国神社はあっていい、参るのもいいと思うけど、こういう下品なの、憎たらしい顔したのが集まってるから可哀想だよ」と罵倒した。同番組内で「侵略ではない」と主張する勝谷誠彦に対しても同様に罵倒した。
2011年5月6日、田原は日本の戦争は侵略戦争ではなかったとする見解を表明した。 これまで自身の考えを表明しなかったことについて、「言えなかった、恐かった、世の中に言うとやられるんじゃないかと思った。」と説明した。日本の戦争については負けると分かっていて戦った戦争であったとして「なんでこれが侵略戦争なんだ」、「アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スペインの戦争は全部侵略戦争だ」、「日本はアジアを解放する意気込みがあった」と説明した。

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10/20、テレビ朝日朝まで生テレビ!』で特集「激論! 瀬戸際の日本外交」より
【司会】田原総一朗 【番組進行】渡辺宜嗣村上祐子 【パネリスト】辻元清美民主党衆議院議員)、山本一太自民党・参議員議員)、小池晃日本共産党政策委員長、前参議院議員)、鈴木宗男新党大地代表、前衆議院議員)、東浩紀早稲田大学教授、批評家)、金慶珠東海大学准教授)、宋文洲ソフトブレーン(株)創業者)、中西輝政京都大学名誉教授)、福島香織(ジャーナリスト)、孫崎享(作家、元外務省国際情報局長)、宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、元外務官僚)山田厚史(ジャーナリスト、元朝日新聞編集委員
田原 僕は「小異を超えて大同につく」と、いうことは尖閣は外交で両方やり合って、両方がそう簡単に決着がつかない。だけど経済やいろいろな文化などでは、大同につくと。
  どっちが大事か、挙手してみようか?
小池 どっちが大事という問題じゃない。
田原 両方、大事だ。
小池 事実として領土問題があるんだから、今までみたいな存在しないというのではなく、議論することで本当の友好というのができるわけです。
  僕が言いたいのは、政治家が国民の世論を少しコントロールすることを考えて。僕、ツイッターで「朝まで生テレビ」の反応を見ていたんだけど、中国・韓国の悪口だらけでなんです。ツイッターでは孫崎さんの悪口が半分ぐらい。あと・・・。
田原 どっちかというと、ネットは右翼なんだよ。
  僕が言いたいのはこうなったのは尖閣問題からなんですよ。だからここ半年ぐらいでネットもかなり強くなってきた。
  中国と同じだ。
  そういうのも多少、引き戻したりするのも政治家や識者の役割じゃないのか。
辻元 政治家の仕事はナショナリズムを煽っちゃだめなんです。ナショナリズムを鎮めるのが仕事です。
山田 非常に危ないと思うのは、今、政府の話をしているけど、日本も中国も政府のコントロールが効かなくなってくる恐れがある。安倍さんなんかの期待感が出てくると、そっちに引きずられる可能性がある。
福島 安倍政権が誕生する可能性が高いと思うが、もし実現した際、リーダの足を引っ張るような発言はするべきじゃない。
田原 安倍さんが出ようと誰が出ようと、政府の力なんか強くはない。今は民主党はひどいが、完全な世論の世界だ。
  日本の外交を考えると、集団的自衛権憲法改正をどうするんだ、というのがある。集団的自衛権はこれから外交の大きな火種になってしまう。安保のジレンマですよ。
田原 僕は韓国の人に何度か取材を受けたが、例えば、イラクに行ったとき日本は軍事大国になるんじゃないかと。韓国こそ徴兵制で、ベトナム戦争のときも参戦した。日本は行っていない。
中西 韓国は日本に届く弾道ミサイルを開発することにした。日本は一切、持っていない。
田原 この番組でこうやって、何でもかんでも言える時代は日本は安全なんです。この番組で言えなくなったときに危険。安倍晋三がなろうが何でもかんでも言えるから大丈夫だ。
  こんなに言える番組はない。ここの番組だけだ。

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文藝春秋』 特集 「名著再発見 60歳になったら読み返したい41冊」 2012年11月号
渋江抽斎」 森鴎外 【執筆者】田原総一朗(ジャーナリスト) (一部抜粋しています)
森鴎外。私が最も影響を受けた作家といえば躊躇なく森鴎外である。夏目漱石と並ぶ文豪である。
ただし、漱石を含めて多くの作家たちが小説一筋で、家族さえ犠牲にしているのに対して、鴎外は陸軍軍医となり、軍医の最高位である軍医総監となって、家長としても家族を守り抜いた。
しかし、それぢて書く作品はきわめてラディカルで、ドイツで熱愛した恋人を主人公にした『舞姫』をはじめ、『ヰタ・セクスアリス』、『沈黙の塔』、『かのように』、『大塩平八郎』など、タブーすれすれの小説を書きつづけた。
多くの作家がドロップアウト型であるのに対して、鴎外は体制の中にいつづけながらラディカルに生きた。私はその生き方を、勝手にドロップインと称し、私自身ドロップインでありつづけようとした。
その鴎外の小説の中で、私が最も推したいのは、彼が1916年1月13日から119回にわたって「東京日日新聞」及び「大阪毎日新聞」に連載した『渋江抽斎』である。
渋江抽斎』は一見取りつきにくい小説のようだが、現在のパターンでいえば鴎外が力を込めて書いた見事な”推理小説”である。
抽斎は津軽藩の医者であった。藩お抱えの医者だったわけだ。津軽藩の江戸邸は柳島にあり、抽斎は神田弁慶橋に住んでいた。
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鴎外は小説を書くようになってから、徳川の大名や武士たちの事蹟、つまりさまざまな事情を知るために、武鑑を何冊も買って読んだ。武鑑とは、現在でいえば政治家や各省庁の官僚の名前、地位などを記した名鑑のようなもので、毎年改訂して刊行されていたようである。その武鑑の中で、渋江氏蔵書という朱印のあるのを何冊も見つけて、鴎外はその渋江氏が、彼が知っている津軽藩の抽斎と同一人物かどうかを確かめたくなった。そして鴎外は抽斎の子孫らしい人物、あるいは縁者、縁者の縁者、あるいはお墓までをまるで推理小説の探偵のように、あらゆる手段を尽くして探しまわるのである。いってみれば名探偵明智小五郎のようにだ。動きまわる鴎外、やたらに手紙を書く鴎外。その己の言動を全て率直に書いている。人物伝としても素晴らしいが、それ以上に推理小説として面白い。

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