じじぃの「人の生きざま_173_浜・矩子」

浜矩子 - あのひと検索 SPYSEE
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20120419 原発再稼働わたしはこう思う エコノミスト・浜矩子 動画 デイリーモーション
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プライムニュース 「仏大統領にオランド氏当選・ギリシャ総選挙野党躍進 欧州危機・日本への影響を選挙解析」 2012年5月7日 BSフジ
【キャスター】八木亜希子、反町理、安倍宏行解説委員 【ゲスト】大塚耕平民主党参議院議員)、片山さつき自民党参議院議員)、浜矩子(同志社大学大学院教授)
6日に決選投票のフランス大統領選。世論調査の結果によると、野党・社会党のオランド候補がリードしているが、現職のサルコジ大統領が追い上げ、予断を許さない情勢だ。サルコジ氏が敗れることになれば、これまで独仏首脳の主導で行なわれてきた欧州危機への対応に影響が出る可能性もあり、選挙結果に大きな注目が集まっている。
一方、歳出削減策を進めているギリシャでは、同日、総選挙が予定されている。緊縮策に反対する野党が支持を伸ばしていると伝えられ、ギリシャの選挙結果も、欧州債務問題への混迷を深める可能性がある。
参議院財政金融委員会委員を務める民主党参議院議員大塚耕平氏、経済産業大臣政務官などを務めた自民党参議院議員片山さつき氏らをゲストに迎え、フランス大統領選、ギリシャ総選挙の結果を踏まえ、欧州危機の今後と日本経済への影響を分析する。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d120507_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d120507_1
浜矩子 ウィキペディアWikipedia)より
浜矩子(はまのりこ、1952年8月3日 - )は、日本のエコノミスト。専門は、国際経済のマクロ分析。 同志社大学大学院ビジネス研究科長・教授。
【人物】
東京都出身。父親の仕事の関係で1960年から4年間イギリスに滞在、当時大ブレイクしたビートルズに出会い、その熱気を現地で体験する。帰国後東京都立戸山高等学校一橋大学経済学部卒業。大学では山澤逸平ゼミナールに所属。1975年三菱総合研究所入社。1990年渡英し、三菱総合研究所ロンドン駐在員事務所所長兼駐在エコノミスト就任。1998年帰国して三菱総合研究所主席研究員・経済調査部長。
2002年秋より同志社大学大学院ビジネス研究科教授に就任し、週1度京都に通い教鞭をとる。2011年には同志社大学大学院ビジネス研究科長に就任。
国内外のメディアに登場。同時に政府の金融審議会、国税審議会、産業構造審議会の委員などを務める。

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文藝春秋』 特集 「名著再発見 60歳になったら読み返したい41冊」 2012年11月号
国富論」 アダム・スミス 【執筆者】浜矩子(同志社大学教授) (一部抜粋しています)
今ほど、アダム・スミスの『国富論』が読まれるべき時は無い。つくづくそう思う。『国富論』の初版は1776年に刊行された。当時の世の中を大いに沸かせた。『国富論』を読んでいなければ人にあらず、どうもそんな具合だったらしい。だが、本書のメッセージは、ひょっとするとあの当時よりもむしろ今日の人々が耳を傾け、思いを馳せるべきものではないか。
なぜなら、本書が描出し、分析してみせてくれる経済活動の姿は、今日のそれとあまりにも違うからだ。もちろん、『国富論』の中には経済学上の普遍的要素が山盛りだ。アダム・スミスが<経済学の生みの親>と呼ばれるのは伊達ではない。だが『国富論』の背景となった時代状況と今日の時代風景とは対照的だといってもいい。『国富論』が書かれた18世紀後半は国民国家の形成期だった。
それに対して、今はグローバル化の力学が国民国家の存在を脅かす時代だ。ヒト・モノ・カネは国境を越える。されど、国は国境を越えられない。このミスマッチが国々を深く悩ませている。それが今だ。
アダム・スミスに、こうした悩みはなかった。だから、彼は言う。「個人が外国の産業よりも国内産業を優遇する時、彼はもっぱら我が身の安泰を求めて行動している。そして、彼がその産業の産出物の価値の最大化を図るのも、要は自分の利益のためである。かくして、彼は見えざる手に導かれて意図せざる(国内産業新興という)目標を達成することになる」(筆者抄訳)。こうして『国富論』の時代においては、個々の個人や企業による自分のための利益追求が、おのずと国の富の増大につながった。だからこそ、万事を見えざる手に委ねておけば、国も国民もハッピーになり得た。
だが、今や状況は大きく変わった。国破れて企業あり。国境を越えた企業のサバイバル行動が国にとって大きなダメージをもたらすことになりかねない。そんな今、国々はどう身を処すべきか。「見える手」をもって国境防衛に注力するのか。そんなことになれば、グローバル時代は国々による共食いの世界と化す。
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「福は内、鬼は外」。かって我々はそう祈願した。だが、今の時代、一体どこまでが内でどこからが外なのか。よほど注意して目をこらしていなければ、それを見謝る。『国富論』の時代において、「分業」といえば、国家間における生産活動上の役割分担の構図を指していた。だからこそ、「国際」分業という言い方をした。だが、今日の国境を越えたグローバル・サプライ・チェーンの中における役割分担は、縦横無尽に国家間の仕切り線を貫いて形成される。安直な国益追求は死に至る病につながる。大先生の筆になる古典は、実に今日的警鐘に満ちている。

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文藝春秋』2012年 新年特別号 特集 「日本はどこで間違えたか? もう一つの日本は可能だったか?」
プラザ合意の時「大人」になるべきだった――1985年 エコノミスト 浜矩子 (一部抜粋しています)
日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる。日本経済物語の新しいページに新しいイメージが書き刻まようとしている。その瞬間が、あの時だった。
ところが、日本の政策と経営は新ページへの書き込みはもとより、ページがめくられること自体を拒否した。何がなんでも、円高不況を回避する。何がなんでも、輸出立国の看板を下ろさない。あの時こそ、日本経済のファウスト症候群の原点だったと思う。
ファウストは、永遠の若さを手に入れることの代償として、悪魔に魂を売った。プラザ合意後に、円高進行とそれに伴う構造変化に身を任せなかった時、日本は新しい時代にふさわしい新しい魂を売り渡した。そして、不滅の若さの幻想を追い求めた。そのために、総力を上げて金融大緩和に乗り出した。
その結果は何だったのか。それはいわずと知れたバブル経済の出現だ。とんでもない時代が到来した。いつわりの若さを追求する経済の頽廃的な盛り上がり。その中で、我々は待てど暮らせどタクシーに乗れず、財テク話に血道を上げる日々に侵った。その夢が破れた時、失われた10年が我々を覆った。

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