じじぃの「フィギュア選手は氷の上の演奏者兼指揮者・浅田真央・羽生結弦・ソチを目指して!音楽奇談」

B.ESP. Yuzuru HANYU 羽生結弦 FS - 2015 Grand Prix Final 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QWQs--Rgl4k
浅田真央 2013 NHK杯 FS Mao Asada 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=H_i9BgsbddA
浅田真央

世界の大選手たちが浅田真央選手を絶賛。 Togetterまとめ
http://togetter.com/li/632585
ソチ フィギュアGPファイナル 男女シングルで日本アベック優勝 2012年12月8日 The Voice of Russia
2014年の冬季オリンピック会場となるロシアの黒海沿岸の保養地ソチの「アイスベルク」アリーナで行われた、フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル最終日男女シングルで、日本の選手達が素晴らしい滑りを見せ観客の盛大な拍手を浴びた。
なおウラジーミル・プーチン大統領も、ソチでのGPファイナルを観戦した。
http://japanese.ruvr.ru/2012_12_08/97380396/
フィギュアスケート ウィキペディアWikipedia)』より
フィギュアスケート(英語:figure skating)は、スケートリンクの上でステップ、スピン、ジャンプなどの技を組み合わせ、音楽に乗せて滑走する競技。名称はリンクの上に図形(フィギュア)を描くように滑ることに由来する。シングルスケーティングペアスケーティングアイスダンス冬季オリンピック正式競技。また、団体で演技するシンクロナイズドスケーティングも行われている。
【スポーツ競技としての発展】
1742年にイギリスのエディンバラで世界初のスケーティングクラブが発足して以降、各国においてスケーティングクラブが設立され、その国独自の形態でフィギュアスケート競技会も行われるようになった。初めはヨーロッパ全域で盛んになり、1882年にはウィーンでフィギュアスケート最初の国際大会が開催された。1892年には、スケート競技を国際的に統轄する国際スケート連盟が創立され、1896年から世界選手権が開催されるようになった。ただしこのときは男子シングルのみであり、女子シングルは1906年、ペアは1908年にそれぞれ別個に世界選手権に相当する大会が開かれるようになった。アイスダンスは1952年になって初めて世界選手権の種目として加わった。

                          • -

『音楽奇談――今だから語れる本当の話』 大日方俊子/著 ヤマハミュージックメディア 2012年発行
フィギュア選手は氷の上の演奏者兼指揮者 (一部抜粋しています)
トリノでの前評判ではダーク・ホース的な存在だった荒川静香は元フィギュア選手である佐藤久美子アメリカ在住のニコライ・モロゾフをコーチにオリンピックに臨んだ。モロゾフは金メダルメーカーと呼ばれているタチアナ・タラソワ・チームのシングル選手だったが、引退後にアシスタントとしてコーチに転向した。
フィギュア・スケートでは、滑りだけでなく音楽も重要な役割を持ち、戦いは選曲の段階から始まっている。明確なコンセプトを持った曲がフィギュアには向いていると思われるが、部分的に曲を使うことが多いので、編曲が曲の良否を決める。プログラムの良さに合わせるために編曲でスポイルされた例はいくつもある。
トリノでメダルを獲得した選手たちが選んだ曲は、ショートでは荒川がフレデリック・ショパンの「幻想即興曲」、イリーナ・スカルカヤはロシア民謡の「黒い瞳」、サーシャ・コーエンカミューユ・サン=サーンスの「死の舞踏」だった。「幻想即興曲」の編曲は原曲のイメージとは違ってリズムの均等につまった堅さが気になったが、滑るためのは仕方がないだろう。
フリ―では荒川はジャコモ・プッチーニの歌劇『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」のオーケストラ・ヴァージョンを選んだ。「誰も寝てはならぬ」は偶然にも、事前の開会式でルチアーノ・パヴァロッティが歌った曲であった。それはパヴァロッティの最後のステージになったのだが(2007年に病で死去)、この曲を選んだ時点でフィギュアの神様は荒川の上に降り立っていた。
彼女の演技は、恐ろしいほど音楽のコンセプトの表現と合っていた。総合得点191.34で2位に10点以上の差をつけ、日本のフィギュア・スケート界に初の金メダルをもたらした荒川の快挙は、その後のフィギュア会の進歩の起爆剤となった。
指揮者が、オーケストラの音を聴きながらその先の音出しの合図をしていくのはたやすいことではない。滑り出しやジャンプの着地が音楽の譜割りとピッタリ一致する荒川の演技は、まるで自分で指揮棒を振って自分で演奏しているようにさえ思えた。ぜひ彼女の音楽論を聞いてみたいものである。
彼女の演技を見るまではフィギュア・スケートは音楽にのせて滑る楽しいショーだと考えていたが、地面の上とは勝手が違う氷の上で、音楽に合わせ、コンセプトを表現しながら規定の技を入れていくその難度のすごさにも改めて気づき、フィギュアは時間と戦うハードなスポーツだということを思い知らされた。
1995年からはスイスの各地で歌手とスケーターの競演によるアート・オン・アイスが開かれるようになり、フィギュアにおける音楽がクローズ・アップされるようになったのは嬉しいことである。

                          • -

どうでもいい、じじぃの日記。
http://space.geocities.jp/hhiratsuka2005/
大日方俊子著 『音楽奇談――今だから語れる本当の話』という本を見ていたら、「フィギュア選手は氷の上の演奏者兼指揮者」というのがあった。
生まれが秋田なので、スケートは子どもの頃から凍った田んぼなんかでよく滑っていた。だから、テレビでスケートはよく観る。
サッカーと同じように、スケートも最初は男子だけの競技だったようだ。今では、男子より女子のほうが、面白くて観ている。
「日本のフィギュア・スケート界に初の金メダルをもたらした荒川の快挙は、その後のフィギュア会の進歩の起爆剤となった」
2006年、イタリアのトリノで開かれた第20会冬季オリンピックの女子フィギュア・スケートに荒川静香選手が登場した。
周りはシーンと静かで、音楽に合わせて演技する荒川選手は完璧の演技を披露。自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。そして、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダルを獲得した。あわせてこの大会は日本代表選手として唯一のメダルだった。
2008年、フィギュアスケートのグランプリ・ファイナルで、浅田真央選手が優勝を果たした時、流れていた曲が『仮面舞踏会』だった。
「彼女の演技を見るまではフィギュア・スケートは音楽にのせて滑る楽しいショーだと考えていたが、地面の上とは勝手が違う氷の上で、音楽に合わせ、コンセプトを表現しながら規定の技を入れていくその難度のすごさにも改めて気づき、フィギュアは時間と戦うハードなスポーツだということを思い知らされた」
華麗に、楽しそうに、歌に合わせて滑っている荒川静香選手や浅田真央選手。
演技をしている選手はそれどころじゃないのだ。
追加 ↓
ソチ五輪フィギュアスケート男子で羽生結弦選手が金メダルを獲得した。

「日本のファンはすごい!」、上海市民も驚く羽生結弦の人気、会場は日の丸だらけ―中国 2014年11月8日 レコードチャイナ
「リンクいっぱいのプレゼント。会場を埋め尽くす日の丸。羽生選手の魅力はすごい!」
「日本のおばちゃんたちが会場の半分を占めてる!こわっ!」
http://www.recordchina.co.jp/a97102.html
【中国BBS】泣きながら見た浅田真央の最後の演技・・・「涙が止まらなかった」 2014-02-21 サーチナ
前日のSPではジャンプのミスが響いて16位と大きく出遅れた浅田は、フリーでは一転、最高の演技を見せて中国人ファンをも魅了した。中国大手検索サイト百度掲示板では「泣きながら浅田真央の最後の演技を見た」というスレッドが立てられ、浅田真央ファンから感動の声が多数寄せられていたので紹介しよう。
http://blog.searchina.net/node/3604