じじぃの「人の死にざま_986_徐福」

秦始皇與徐福 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vBdu_rmG0kk
シリーズ熊野古道を往く【その20】徐福公園 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=CrB0VH8WCXo
徐福 ウィキペディアWikipedia)より
徐福とは、中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士。斉国の琅邪の出身。子に福永・福万・徐仙・福寿がいるという。
【日本における伝承】
青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されている。徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市三重県熊野市、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市山梨県富士吉田市、宮崎県延岡などが有名である。
【その他・現在】
1982年に、中国において『中華人民共和国地名辞典』編纂の際の調査において、江蘇省にある徐阜という村が清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており、徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明した。ただし、1980年代になるまでは、現地の旧家では「明代になって先祖がこの地に移住した」との伝承がなされていたことと、徐福の実在性自体が疑わしいことから、これは「日本からの観光客を狙った村おこしではないか」との指摘がなされている。実際、徐阜村では日本人観光客が多く訪れ、名物「徐福茶」も好評とのこと。

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世界と日本の怪人物FILE 歴史雑学探究倶楽部/編集 Gakken 2010年発行
不老不死の霊薬を追い求めた方士 徐福(じょふく) (一部抜粋しています)
徐福は、秦の始皇帝に仕えた方士(ほうし)である。方士とは、医術や占術身を身につけ、不老不死の神仙に至らんとする、まさに西洋の錬金術師のような者たちのことだ。
徐福は、渤海にあるという蓬莱(ほうらい)・方丈・瀛州(えいしゅう)の三神山に住む仙人から、不老不死の霊薬をもらい受けてくるように始皇帝に命じられた。
史記』によれば、彼は数千人の若い男女と技術者を連れ、五穀の種を持って霊薬探しの航海に出たとされる。しかしその後、徐福たちが秦に帰ることはなかったという。
では、徐福はいったいどこへ行ったのか? その行方については、旅の途中で広い土地を手に入れ、王となったという話や、神仙となって海中の島で暮らし訪ねてきた唐の人々に「どんな病でも治る薬」を与えたという話など、さまざまな後日談が語られている。
さらに、徐福がこの日本に来ていたととの説もある。
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長らく「伝説上の存在」とされていた徐福だが、近年、中国の江蘇省にかって「徐福村」と呼ばれていた地域があることが判明。彼が実在の人物であった可能性が取り沙汰されている。

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徐福 Google 検索
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