日本が反日韓国に大勝利!朝日新聞が捏造の慰安婦問題をついに謝罪!苦し紛れの最後の言い訳を勝谷誠彦が完全論破 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ze3ISSrMDjY
Turning Japanese Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&q=Turning%20Japanese%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch
What is "Turning Japanese" ? The Economist
What is “Turning Japanese”? “The Economist” Uses the Phrase to Criticize American and German Leaders
「日本化」とは何?…英エコノミスト、米独2人の表紙
http://jsmyth.wordpress.com/2011/08/02/turning-japanese/
朝日新聞の慰安婦記事取り消し、朝鮮日報が報道 (追加) 2014年8月8日 YOMIURI ONLINE
韓国で最大の発行部数を持つ有力紙・朝鮮日報は7日、済州島で女性を慰安婦にするため強制連行したとする吉田清治氏の証言は虚偽だったと朝日新聞が認め、1982年の記事を取り消したと報じた。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140807-OYT1T50138.html
『男よりテレビ、女よりテレビ』 小倉千加子/著 朝日新聞出版 2008年発行
「あるある大事典」と慰安婦問題の関係 (一部抜粋しています)
バラエティ番組は必要だろうか?
かってクレージーキャッツが出ていたコントもバラエティというなら、バラエティは必要である。
が、その名もバラエティなのであるから、そこには様々なものが含まれ、当然こういうものは要らないという「劣悪」なものも登場する。
しかし、何が「劣悪」で何がそうでないかを、誰かが判断することはできない。それを見ている人はそれが面白いと思って見ているのかもしれず、そういうものを見る人間が「劣悪」であると誰かが決めることはできない。嫌なら見なければいいだけの話である。テレビには、「見ない自由」というものがある。
「発掘! あるある大事典Ⅱ」(フジテレビ系)での納豆の効果の捏造問題で、関西テレビの社員が製作した番組「私たちは何を間違えたか」が放送された。
同日、関西テレビの千草宗一郎社長は辞任している。が、取締役は留任した。フジテレビ出身の出馬迪男会長も留任している。
番組は捏造にいたる現場スタッフの「気のゆるみ」とか「面白く、分かりやすい魅力的な番組にしようと」してとかいう証言で構成されていて具体的な再発防止策は見られない、ということを朝日新聞は報道している。
最終的な責任を全員が回避しているというのである。
しかし、登場した孫請け制作会社のディレクターの顔が隠され声も変えられているのは、上層部が下請けを「悪いのはこいつだ」と特定できぬよう、かばわなければならない事情があったことを示唆している。
上層部は末端の責任にしてしまうことができない。上層部の内部でも、フジテレビと関西テレビという力関係があり、製作会社にも下請けの下に孫請けがある。ということは、ひょっとすると、ひ孫請けがあったかもしれぬということである。
力関係に何重もの上下構造があり、そのどこかのせいにできないということ自体が放送業界の問題である。
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関西テレビのトップは、データを捏造してもよいという指示など出した覚えはないと言うだろう。下請け会社会社も、そういうことを孫請け会社に言った覚えはないと言うだろう。
確かに慰安婦問題のように、「狭義の強制力」はない。
石原都知事も、卒業式で「君が代」の歌声の音量を機械で測定しろとまで命じた覚えはないのだろう。
しかし、上の望むことを読み、具体的にやってのけることにおいて、日本の官僚は世界一優秀なのである。今回、世界一優秀なのは、官僚だけではないことが明らかになったということだ。
上は下を罰せない。ルール違反をした孫請け会社は「広義の強制力」によって、動いた。日本人はそうやって誰も責任を知らないまま今日に到った。それが空気を読む国・日本なのである。
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どうでもいい、じじぃの日記。
小倉千加子著『奇想天外な科学実験ファイル―歴史を変えた!?』という本を見ていたら「『あるある大事典』と慰安婦問題の関係」が出てきた。
そういえば昔、堺正章司会の「あるある大事典」をよく観た。
「確かに慰安婦問題のように、『狭義の強制力』はない」
さらに、
「ルール違反をした孫請け会社は「広義の強制力」によって、動いた。日本人はそうやって誰も責任を知らないまま今日に到った。それが空気を読む国・日本なのである」
狭義の強制力、広義の強制力、か。
先日の日曜日、TBS 関口宏司会の『サンデー・モーニング』を観ていたら、「風を読む」のコーナーで、英エコノミスト誌に掲載された特集記事「日本化する欧米」を取り上げていた。
去年の7月に発行されたこの雑誌の表紙はオバマ大統領とドイツのメルケル首相が並んで、それぞれの国の通貨模様の着物を着てポーズを撮っている画像だ。
そして、この記事の内容はオバマは米債務問題を、メルケルはギリシャ債務危機を挙げて、西洋諸国の政治システムが重要局面での決断が出来ないことを日本化している(Turning Japanese)として、日本を反面教師にして皮肉っているのだ。
何でも先送りにする日本、あいまいなままで、白黒をつけない日本として、アメリカやヨーロッパが日本のようにならないように警告しているのだという。
先送りにする、責任をとらない、「空気を読む」はどこかでつながっている。
確かに、日本は良い意味でも、悪い意味でも空気を読む人々の国なのである。