じじぃの「人の死にざま_982_M・グリューネヴァルト」

matthias grunewald.Isham.mov 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p-IvNWAWQ08&feature=related
Matthias Grunewald - Serie: Um minuto de Arte - Do Gotico ao Contemporaneo - 020/120 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=amGdktRxFRs
グリューネヴァルト 「キリストの磔刑 画像
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マティアス・グリューネヴァルト ウィキペディアWikipedia)より
マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grunewald, 1470/1475年頃 - 1528年8月31日)は16世紀に活動したドイツの画家。ドイツ絵画史上最も重要な作品の1つである『イーゼンハイム祭壇画』の作者である。ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーと同世代であるが、グリューネヴァルトの様式は「ルネサンス」とはかなり遠く、系譜的には「ルネサンス」というよりは末期ゴシックの画家と位置付けるべきであろう。「グリューネヴァルト」はこの画家の本名ではなく、後世の著述家が誤って名付けたものであるが、17世紀以来この呼称が定着しており、美術史の解説や美術館の展示においても常に「グリューネヴァルト」と呼称されているため、本項でもこれに従う。
【イーゼンハイム祭壇画】
グリューネヴァルトの代表作であるこの祭壇画は、フランスとドイツの国境に位置するアルザス地方(現フランス)のコルマールにあるウンターリンデン美術館に収蔵されているが、元はコルマールの南方20kmほどに位置するイーゼンハイムにあった。この作品は、イーゼンハイムの聖アントニウス修道院付属の施療院の礼拝堂にあったものであり、修道会の守護聖人アントニウスの木像を安置する彩色木彫祭壇である。制作は1511年‐1515年頃。

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『自然の中の絵画教室』 布施英利/著 紀伊国屋書店 2002年発行
時間よ止まれ (一部抜粋しています)
ヨーロッパ美術では、ルネサンスを境にして「時間」に対する表現も、ずいぶん変化しました。
ルネサンス美術は「視覚」の復権だといわれます。目に見えるものを、見えるとおりに、いかに描くか。それがルネサンス以降のヨーロッパ美術の本流となりました。
それに対して、ルネサンス以前の中世の文化は「聴覚的」でした。僧侶は、修業で、数メートル以上遠くは見ない、というようなことをしていた、といいます。つまり「見ない」で暮らすのです。それは、世界との交流を閉ざせ、というのではありません。「見ない」だけです。
それによって、世界が「聞こえてくる」のです。
現代の脳科学では、1つの感覚が障害を受けると、それによって他の感覚がより鋭敏になることが指摘されています。たとえば視覚障害の人は聴覚が鋭い。脳の視覚処理をするところが、聴覚情報を扱うようになる。聴覚をあつかう領域が増えるのです。
ある感覚の制御は、別の感覚を豊かにするのです。
ヨーロッパ中世の文化は、そのようにして「耳」を鋭くしました。おそらく「神」というのは、その姿を見るものではなく、その声を聞くものだと考えられたのでしょう。目を閉ざすことで、はじめて聞こえてくるのが「神の声」ということだったのでしょう。
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生命あふれる、時間の流れる世界が凍りついて、止まっている。それはまるで「死体」を見ているようでもあります。死体にも、動きはなく、「時間が消えた」ものです。
そして解剖学という、死体を扱う学問が発展したのも、ちょうどルネサンス時代でした。ルネサンスを代表するレオナルド・ダ・ヴィンチは、多くの死体解剖図を描きました。
ルネサンスは、「目」を発見することで、時間のない世界に到達しました。そして同時に「死体」も発見しました。
目の世界と、死体。それは同じものだったのです。
さて、ここで時間と死体をめぐる美術を、さらに見ていきましょう。
スイスとドイツの国境に近いフランスの、小さな町コルマールに、ウンターリンデン美術館があります。この美術館には、西洋美術史上もっとも「壮絶な光景」といわれる、画家グリューネヴァルトが描いた「キリストの磔刑(たっけい)」があります。ぼくはかって、イタリアからフランスへの旅の途中、この町の近くに1泊したことがありました。
列車はミラノからスイスのバーゼルに向かい。ここでフランス行きの列車に乗り換えます。車窓からは、湖や高原の風景が眺められます。バーゼル市立美術館には、ホルバインの描いた棺に横たわるキリストの死体、の絵を見ました。じつは、このときの旅は、「ヨーロッパ死体美術めぐりの旅」と自称していました。スイスとフランスの国境あたりの美術館が、そういう絵画の宝庫だったのです。
コルマールでは、その奥の田舎にあるカイザーベルグという村のホテルに泊りました。日本のガイドブックにも載っていないような、山の中の村です。ぼくはホテルに置いてあった現地語のホテルガイドで、「古城のような」建築のリストを発見しました。コルマールの隣村、カイザーベルグにもそのうちの1つがありました。さっそく電話で予約して、コルマールの駅からタクシーに乗りました。
車の窓から、畑に立っている、キリストの磔刑像が見えました。キリストは、人間と等身大、色も肌色に塗られて生々しい。こういう死体の像をみて、日常を送っているのか、と思いました。
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さて、コルマールの町にある、グリューネヴァルトがキリストの磔刑を描いた「イーゼンハイム祭壇画」です。ぼくは、「死体美術」めぐりの一環として、この美術館を訪れたのですが、グリューネヴァルトの絵には、他の点でも驚かされました。「時間」の表現が、感動的なまでにドラマチックなのです。
「イーゼンハイム祭壇画」は、扉絵祭壇という形式になっています。絵が描かれている板が、扉状になっていて、それを開くと、奥に別の絵が描いてあります。大がかりな紙芝居装置といってもいいでしょう。
その扉絵に、キリストの磔刑が描かれている。ヨーロッパでいちばん壮絶な美術です。肌はただれ、血を流し、この世の終わりかというような悲惨な光景が描かれている。ところがその扉を開くと、場面は一転して、光に満ちた明るい「復活」の光景が描かれています。そのコンストラストがドラマチックです。
この祭壇画は「時間の経過」を劇的に表現したものでもあります。キリストの生涯と死、そして復活というのは、人生という時間の流れの中にあります。しかし絵画は動きませんから、そのような「時間」は描けません。それを「扉絵」という形式を採用することで、表現しているのです。

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