じじぃの「人の生きざま_145_地井・武男」

地井武男さんと雨中の別れ 田中邦衛さん「地井兄、会いたいよ」 2012.8.6 MSN産経ニュース
映画やドラマで味のある演技で親しまれ、6月29日に70歳で亡くなった俳優、地井武男さんのお別れの会が6日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。
別れを惜しむかのように雨が降る中、親交があったプロゴルファーの青木功さん、歌手の研ナオコさんら芸能関係者ら約800人が参列。
ドラマ「北の国から」で共演した田中邦衛さんは、お別れの言葉で「何と言われてもまだ信じられない。地井兄(にい)、会いたいよ」と感情をあふれさせた。約40年の親交があった水谷豊さんは、最後の入院前に強く抱きしめられ、耳元で「豊ちゃん、ありがとう」とかすれた声で言われたことを明かし、「地井先輩の人生は見事だった」としのんだ。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120806/ent12080614080009-n1.htm
地井武男 - あのひと検索 SPYSEE
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追悼 地井武男CM集 動画 YouTube
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ちい散歩(20111214小金城趾) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=5QlaDlnuODs
水谷豊 地井武男 ちい散歩 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xJeXfTxoysM&feature=related
地井武男 画像
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地井武男 ウィキペディアWikipedia)より
地井武男(1942年5月5日 - 2012年6月29日)は、日本の俳優・タレント。千葉県八日市場市(現:匝瑳市)出身。身長170cm。体重63kg。株式会社サイプロダクション所属。
【最期】
2012年1月30日、地井は視野が狭くなったため緊急入院し、精密検査を受けた。その後、目の具合はよくなったものの、検査で心臓疾患が判明し、医師から「無理をすれば心不全を引き起こす可能性がある」と診断された。地井は大事を取って芸能活動を休止、治療・療養に専念し、体調を見て復帰時期を決めると発表した。
通夜と葬儀・告別式は近親者のみで行われた。同年8月6日には東京・青山葬儀所にて「お別れの会」(発起人:渡哲也、田中邦衛早河洋テレビ朝日社長)が執り行われ、地井と親交のあった著名人ら800人、一般も含め約2300人が訪れ、地井に最後の別れをした。
【逸話】
・生家は青果業を営んでいたため、武男も手伝いで秋葉原駅前の神田青果市場へ買い付けへ行くことがあった。自宅にテニスコートがあったことから練習に励み、高校時代はソフトテニス部で活躍し、インターハイにも出場経験がある。
・趣味はゴルフと絵画。特に絵画は美術展に出展するほどの腕前で、『ちい散歩』(テレビ朝日)では毎回、散歩の終わりに絵手紙を綴っていた。
・蕎麦が大好き。「そばは芸能界でベスト3といわれるくらい好き」(本人談)。
・『ビートたけしの作り方』(フジテレビ系)などでコントにも出演していたが、オチの後にアドリブで続けようとし、たけしにダメだしされることが何度かあった。
・『太陽にほえろ!』で、刑事役と犯人役を演じた俳優であり、刑事役でレギュラー出演が決まった際の記者会見でボスの石原裕次郎から過去に犯人役で出演していたことを明らかにされた(女優の奈良岡朋子も刑事役と犯人役を演じている)。ちなみに地井が犯人役を務めたエピソードは現在作品リストからは完全に除外され欠番扱いとなっている。
青木宏之の元で空手の猛稽古をしていた。
プロ野球・元巨人軍投手の城之内邦雄と親戚関係(地井の姉が城之内の兄の妻)にあり、かつて城之内邦雄邸に居候していたことがある(『ちい散歩』より、本人談)。地井が城之内邸に居候していた理由は、城之内邸が空き巣に入られる事件があったためである。しかし、地井本人は晩年に東北楽天ゴールデンイーグルスのファンになった。
・「チイチイ」という愛称は、ダウンタウン司会の新春特番『ダウンタウンのハッピーニューイヤーンバカーン』(日本テレビ)での罰ゲームにてパンダの着ぐるみを着て喫茶店に入店し、その際店内の呼び出し放送で「パンダのチイチイ様」と呼ばれたことがきっかけ。別シーンではシイタケの着ぐるみの格好で喫茶店に来店。店に地井宛ての電話がかかり、店員から「お客様のお呼び出しを致します。しいたけお様、いらっしゃいましたら…」と呼ばれるシーンが小型カメラで隠し撮りされていた。
・『ろみひー』(中京テレビ)出演時、『北の国から』で共演した田中邦衛から「『チイチイ』と呼ばれてるんだって?」と、電話がかかってきたと語る。田中の出身地:岐阜県の言葉で『チイチイ』とは、主に幼児が小用を足す際に、付き添う大人が幼児の尿意を誘う際に使われる言葉であるため、事情があまり掴めていなかった田中が地井の事を心配したらしい。と、地井が語っていた。
・『北の国から2002・遺言』で、地井演じる「中畑和夫」が田中邦衛演じる「黒板五郎」に対し、妻がガンにより余命宣告を受けたことを打ち明けるシーンがある。実はこの数ヶ月前に、地井は実際に妻をガンにより失っている。シーンの撮影中地井は、亡くなった妻のことが脳裏から離れず、大量の涙と鼻水を垂れ流しながらの文字通り「迫真の」演技となった。
・信心深い性格で『ちい散歩』(テレビ朝日)では神社や寺があると必ず寄り、帽子を脱いで拝んでいく姿が知られていた。
・大のブランコ好きで『ちい散歩』収録中でも見つけると必ず試し乗りし、同様に油揚げ・はんぺん・豆腐にも目がなく豆腐屋を見掛けると必ず立ち寄るほどであった。

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文藝春秋 2012年9月号
蓋棺録 「地井武男(ちいたけお)」 (一部抜粋しています)
俳優の地井武男は、若い頃はシリアスな演技で注目されたが、陽気なコメディアンとしても人気を集めた。
51歳のとき、ダウンタウンのバラエティ番組に、パンダのぬいぐるみで登場したところ、女子中高生たちに受けて「チイチイ」と呼ばれるようになる。以降、バラエティ出演やコミカルな役が急速に増えた。
1942(昭和17)年、千葉県に生まれる。実家は青果物問屋を営んでいたが、父は千葉県軟式テニス協会理事で市会議員でもあった。いたずらっ子だった地井は、罰としてテニスでしごかれた。
匝瑳高校3年のとき憧れだった俳優を目指し、俳優座養成所を受けて合格。同期には栗原小巻原田芳雄夏八木勲前田吟がいた。お金はなかったが、みんな熱心に演劇に取り組んで、前田とは裏口から入って映画館を梯子した。
養成所を出て、「自由劇場」で活躍。映画デビューは68年の『斬る』で青年武士役だった。2年後の『沖縄』では主役の米軍基地労働者を演じる。71年『戦争と平和 第二部』の朝鮮人抗日パルチザン、翌年『どぶ川学級』の鉄工労働者も好評で、この年、毎日映画コンクール男優演技賞を受賞している。
テレビでは『北の国から』の林業を営む中畑和夫が記憶に残る。『太陽にほえろ!』の井川利三刑事も好評で、仕事以外でも若い共演者たちに慕われた。2006(平成18)年からの『ちい散歩』は散歩ブームの先駆けとなる。
突然始まった「チイチイ」人気について、「茶目っけのあることが好きだから、チイチイと呼ばれるのも嫌じゃなかった」と語っている。

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