じじぃの「人の死にざま_973_小山・勝清」

小山勝清 - あのひと検索 SPYSEE
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小山勝清 画像
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小山勝清(おやまかつきよ) 相良村 熊本県
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/oyamakatu.html
彦一とんちばなし(上) 小山勝清/著 偕成社 1977年発行
熊本地方には、とんちに富んだ彦一を主人公にした話が色々伝えられています。「こぶとり」「忍術くらべ」等ゆかいな知恵話52話を収録。
http://www.kaiseisha.co.jp/index.php?page=shop.product_details&flypage=flypage.tpl&product_id=1482&vmcchk=1&option=com_virtuemart&Itemid=9
小山勝清 ウィキペディアWikipedia)より
小山勝清は熊本県球磨郡四浦村晴山(現・熊本県球磨郡相良村)出身。作家。
【経歴】
熊本県立鹿本中学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業後、1918年に堺利彦の門下生となる。その後労働運動、農民運動を経て柳田国男に師事し、民俗学に関心を持つ。児童文学の創作で、「少年倶楽部」に『彦一頓知ばなし』でデビューした。56年「山犬少年」で小学館児童文化賞受賞。 巌流島の決闘で終わっている吉川英治の『宮本武蔵』に対して『それからの武蔵』を描きこれが広く知られる。 明石元二郎の評伝もある。
晩年帰郷し1965年に熊本県人吉市で死去した。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
小山勝清(こやまかつきよ) (1896-1965) 69歳で死亡。 (一部抜粋しています)
若いころ激越な社会主義者として古河銅山のストライキを指揮したり、また右翼の北一輝とつきあったり、かと思うと明治の軍事探偵明石元二郎大佐の英雄譚『煽動 大煽動』を書いたりした小山勝清は常識的にはまるで脈絡のない変転の人生の行路をあゆんだが、それだけに、そのたびに本人も傷ついて、故郷の九州球磨の山孫に逃げ帰った。
が、現実に彼を70年近く生かしたのは、天生の「嘘ばなし」の才能であったろう。彼が昭和10年から「少年倶楽部」に連載した『彦一頓知ばなし』は好評で6年間もつづいた。
そしてまた昭和27年、56歳のときから「熊本日日新聞」に連載しはじめた『それからの武蔵』も好評であった。
が、生得(しょうとく)無頼の性を捨て切れなかった彼は老いらくの恋をはじめて妻子を捨て、新しい恋人とともに東京へ出たものの、やがてその2度目の妻とも争いを起こして、『それからの武蔵』で得た印税もすべて失って。また故郷へ逃げ帰る始末になった。
2千枚を超える『それからの武蔵』が完成すると、それを待っていたかのように、下血その他の直腸ガンの症状が現われ出した。昭和36年秋のことであった。
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昭和40年夏、故郷に近い人吉で死にたいと人吉の病院に転じ、11月26日午後8時、静かに息をひきとった。
入院中彼は、五木の子守唄の節(ふし)まわしで自作の歌をしばしば口ずさんだ。
「山に行きたや草木の中に
 泣こと喚(わめ)こと風ばかり
 泣いて狂うて野山で死んで
 生まれ変わって鳥となる
 九万(くま)の山々谷々こえて
 勝清鳥が泣いてとぶ
 勝清鳥はわがまま鳥よ
 人の言うことききはせぬ……」

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