A World Made Simpler...by Xerox 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=kEnRQAz2Fqg
Xerox Alto Computer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AYlYSzMqGR8
これは事業用(プロ用)の複合機の世界シェアランキング(金額ベース)です 2012/03/06 KJCLUB
複合機・複写機の世界シェア
キヤノン 23.2%
ゼロックス 18.8%
リコー 12.8%
コニカミノルタビジネステクノロジーズ 10.2%
http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?tname=exc_board_64&uid=256566&fid=256566&thread=1000000&idx=1&page=1&number=147454
MacのGUIはAppleが考えたものではないし、MSは何も無いのにIBMにDOSの商談をした
この映画では、ゼロックスが採用しなかった(理解できなかった)とある会社のGUI(グラフィカルユーザインターフェース)をAppleが採用したという風に描かれています。
http://www.abi-station.com/p/2816
複写機業界の凋落:キャノン、リコー、ゼロックスの複写機というビジネスモデルはなぜだめになったのか 2012年05月11日 渡辺浩之のブログ
キャノン、リコー、ゼロックスといった複写機業界が、苦境に立たされています。
リコーが社員6%を削減するリストラ、キャノンでは御手洗会長が社長に戻るなど、大きく経営の抜本的改革が始まっています。
http://blog.goo.ne.jp/mjsion2002/e/31368bda9012914502333af882a75923
ゼロックス ウィキペディア(Wikipedia)より
ゼロックス (Xerox Corporation) は、印刷機器の製造販売を行うアメリカ合衆国の会社。フォーチュン500に入っている。プリンター、複合機、複写機、デジタル印刷機、および関連サービスを提供している。創業地はニューヨーク州ロチェスター。現在の本社はコネチカット州ノーウォーク(2007年10月、ニューヨーク市北東郊のコネチカット州スタンフォードから移転)だが、主要な施設は今もロチェスター周辺にある。ゼロックスはエリザベス2世とチャールズの御用達でもある。
【歴史】
1959年、チェスター・カールソンが開発した電子写真技術(後にゼログラフィと改称)を使った世界初の普通紙複写機 Xerox 914 を発売し、一躍注目を集めた。914は大人気となり、1961年末までにゼロックスは約6000万ドルの売り上げとなった。ゼロックス社は1960年代に急成長を遂げ、それまでの長期に渡る研究開発期間を支え続けた投資家は億万長者となった。
1981年、ゼロックスはAltoによく似たシステム Xerox Star を発売した。後のパーソナルコンピュータで一般的となる高解像度ビットマップディスプレイ、ウィンドウシステムベースのGUI、マウス、イーサネットによるネットワーク機能、ファイルサーバ機能、プリントサーバ機能、電子メール機能などを備えていた。Xerox Star は技術的には優れていたが、価格が高すぎてあまり売れなかった。典型的なオフィスで Star 数台とプリンターとネットワークを設置するのに10万ドルもかかった。
1980年代中ごろ、アップルはゼロックスの買収を検討したことがある。しかし、合意に達することはなかった。代わりにアップルはAltoのGUIを使用する権利を購入し、より安価なパーソナルコンピュータに採用した。1984年、Macintoshが発売され、GUIとマウスを採用した初のパーソナルコンピュータとなった。
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『あのブランドの失敗に学べ! 世界で笑われた有名企業60の恥事例』 マット・ヘイグ/著、田中洋・森口美由紀/訳 ダイヤモンド社 2005年発行
ゼロックス・データシステム――コピー機を超えたか? (一部抜粋しています)
ゼロックスは、20世紀におけるブランド構築のサクセスストーリーの1つである。他の成功事例と同様、同社は単に製品の開発にとどまらず、まったく新しい商品カテゴリー自体をつくり出した。ゼロックスというブランド名が、日常会話の一部になっているのだ。米国では「ゼロックス」と言えば、紙にコピーするという意味で使われている。
同社の歴史はチェスター・カールソンという男から始まる。1928年、彼は紙への複写技術を開発し、この複写プロセスを「ゼログラフィ」と命名した。この言葉は、ギリシャ語の「乾燥」と「記載」を複合したものである。しかし、「ゼログラフィ」が単に技術にとどまらずに、ビジネスとしての事業になったのは1947年のことである。この年、ニューヨークのハロイド・カンパニーが、カールソンからゼログラフィ機器を開発するライセンスを取得したのだ。1年後、「ゼロックス」と「ゼログラフィ」という言葉の登録商標も取った。
1949年、ゼロックスの最初の機器が登場した。モデルAというシンプルな名前だった。数年後、ハロイドはハロイド・ゼロックスに社名変更した。1959年には、同社を有名にしたゼロックス914というモデルを発売したが、これは史上最初の自動複写気で、マスコミの注目を大いに集めた。発売から数ヵ月後、フォーチュン誌はこのモデルについて熱意を込めて書いている。1分間に7枚複写できるこのモデルを「米国市場最も成功した商品」と絶賛したのである。
口コミで広まり、すぐにこの商品はオフィスで欠かせない機器となった。ゼロックス・コーポレーションと社名を変更した同社は、ニューヨークの証券取引所に上場するまでなった。1968年には、10億ドルもの売上げをあげた。69年には、ヨーロッパのランク・ゼロックス社の株式過半数を取得し、「ゼロックス」は正真正銘の世界ブランドとなった。
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1980年代、ゼロックス社は自社を、あらゆる種類のハイテク・オフィス機器を提供する企業としてポジショニングしなおした。80年代初頭にはパソコン(同社は「情報処理機」と呼んでいる)を発売した。商品自体は悪くないのだが、やはりこれも失敗した。オフィス・ネットワークのXTENや、IBMのサテライト・ビジネスのネットワークとして開発されたイーサネットでも、同様に失敗した。ゼロックスのネットワークは市場にインパクトを与えることができなかった。
オフィスにおけるテクノロジーというブランド連想を得るために、ゼロックスはあらゆる努力をしたのだが、消費者はコピー機のテクノロジーとしてしか同社を見ようとしなかった。オフィスにおける情報システムをつくり上げるためみ莫大なコストを投入したのだが、もう1つのテクノロジーブランドであるIBMが、この分野を着実に押さえていた。
では、なぜゼロックスは、80年代にブランド・ポジショニングの変更にこだわったのか。1つは、同社が日本のビジネスモデルに倣おうとしていたことにあるのかもしれない。同社は富士写真フィルムと密接な関係にあり、日本のマネジメント・スタイルに対して独自の洞察を持っていた。日本では、いまも昔もブランド拡張が当たり前で、特に技術メーカーであればなおさらのことだ。ソニーを例にとると、ホーム・エンタテインメントで同社が席巻していない部分はほとんど見当たらない。ヤマハもブランド拡張の成功事例だ。同社は、19世紀にピアノメーカーとして出発したが、これまで参入してきた分野は楽器にとどまらない。60年間ピアノ製造に取り組んだあとは、難なくさまざまな分野の進出した。ヤマハと聞いて何を連想するか。ピアノ、オルガン、オートバイ、そのどれをも簡単に思い浮かべることだろう。
他の欧米企業も、日本でのブランド戦略に影響を受けた。他の欧米企業も、日本でのブランド戦略に影響を受けた。そのよい例がヴァージンである。リチャード・ブランソンが、1つのカテゴリー以外にしかブランド名をつけないマースなどの企業を批判していることは有名だ。
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つまり、ほとんどのメジャーブランドは、1つの商品やサービスに対してしか連想されないのだ。コカ・コーラならコーラ飲料、リーバイスならジーンズ、マクドナルドならファーストフード、そしてゼロックスならコピー機というように。
ゼロックスは、ヴァージンやヤマハのようにはなれなかったが、それでも諦めなかった。これらの経緯を踏まえ、ブランド専門家までトラウト・アンド・パートナーズ社長のジャック・トラウトは、ゼロックスに対して得意分野への集中を提言した。トラウトには、同社がコピー機市場だけにとどまることができるし、それでいてなおテクノロジー最先端企業になれることはわかっていたからだ。ゼロックス社の問題の解決、それはレーザー技術にあった。この時の経験をトラウトは、『大失敗!』のなかで次のように記している。
何年もオフィス自動化戦略を進めてきて困難に直面していた技術およびマーケティング担当者が、部屋からあふれるほど集まった。彼らが過去やったことがまったくムダで、これからはそのような輝かしいオフィス機器ではなく、たかがレーザー・プリンターに集中すべきたという、イヤミな話をしに来た外部のメッセンジャーというのが、私の役どころだった。それは決して、耳に快い話ではなかった。
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ゼロックスからの教訓
●自分が何者であるかを知れ
ゼロックスの過ちは、IBMのような「情報ビジネス」の会社に生まれかわろうとしたことだ。周りはみな、ゼロックスのことをコピー機メーカーと見なし続けているのもかかわらず。
●未来のことは誰にもわからない
●ブランドは、商品よりももっと大きい
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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『あのブランドの失敗に学べ! 世界で笑われた有名企業60の恥事例』という本を見ていたら、「ゼロックス・データシステム――コピー機を超えたか?」というのがあった。
「米国では『ゼロックス』と言えば、紙にコピーするという意味で使われている」
ゼロックスは「ゼロックス機のなかで、本当のゼロックスはどれ?」という広告を流し続けた。これは本物のコピー機はゼロックスだ! というものだった。
1970〜80年代、アメリカや日本のどこの会社でも何でもコピーをとって、書類が山積みになっていた。
一般的にはアップルのスティーブ・ジョブズがマッキントッシュにグラフィカルユーザインターフェース (GUI)とマウスを取り入れたといわれている。しかし、ジョブズはゼロックスが開発したパソコンのGUIとマウスのシステムを横取りしたにすぎないのだ。ゼロックスはパソコンをLANで結んだシステムも世界で初めて構築した。
「オフィスにおけるテクノロジーというブランド連想を得るために、ゼロックスはあらゆる努力をしたのだが、消費者はコピー機のテクノロジーとしてしか同社を見ようとしなかった。オフィスにおける情報システムをつくり上げるためみ莫大なコストを投入したのだが、もう1つのテクノロジーブランドであるIBMが、この分野を着実に押さえていた」
ゼロックスは自社のゼロックス機をオフィス機器の1つとしてみなし、オフィスの自動化を試みたのだ。パソコンはオフィス機器の一部だったのだ。
時代は変わった。
省エネ、節電と、社内文書もペーパーレス化に向かい、複写機のビジネスモデルが大きく揺らいでいる。
イーストマン・コダックは2012年1月、ニューヨーク州の米連邦破産裁判所に破産法申請をした。
コダックやゼロックスは、20世紀におけるブランド構築のサクセスストーリーの1つだった。今は、グーグルやアマゾンが21世紀におけるブランドイメージになっている。
コダックは破産したが、コダックと同じ写真フィルムメーカーである富士フィルムは生き残っている。
ゼロックスや富士ゼロックスは今後、どう生き残っていくのだろうか。
7月26日、ロンドン五輪の男子サッカーで、日本は初戦優勝候補のスペインを 1ー0で勝利した。
http://www1.nhk.or.jp/olympic/