じじぃの「人の死にざま_953_N・ロッキャー」

ノーマン・ロッキャー - あのひと検索 SPYSEE
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Norman Lockyer Observatory 動画 YouTube
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Come conosciamo la composizione di Stelle e Pianeti 動画 YouTube
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元素周期表 画像
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ヘリウム ウィキペディアWikipedia)より
ヘリウム (新ラテン語: helium) は原子番号 2、元素記号 He の元素である。
無色、無臭、無味、無毒で最も軽い希ガス元素である。すべての元素の中で最も沸点が低く、加圧下でしか固体にならない。ヘリウムは不活性の単原子ガスとして存在する。また、存在量は水素に次いで宇宙で2番目に多い。
【発見】
ヘリウム原子の存在を示す最初の証拠は、1868年8月18日に太陽の彩層部分の光を発光分光分析した際に見つかった、波長587.49ナノメートルの黄色い輝線だった。これを発見したのは、インドのグントゥールで皆既日食を観察していたフランス人天文学者ピエール・ジャンサンだった。彼は当初、この線はナトリウムを示すと考えたが、同年10月20日にイギリス人天文学者ノーマン・ロッキャーがやはり太陽光を分析して黄線を観測し、ナトリウムのフラウンホーファー線記号D1やD2に近かったことから、D3と名づけた。ロッキャーは、この元素が太陽を構成する地球では知られていない元素だと結論づけ、彼とイギリスの化学者エドワード・フランクランドは、ギリシア語で太陽を意味する「ヘリウム」と名づけた。
1882年、イタリアの物理学者ルイージ・パルミエーリは、ヴェスヴィオ山の溶岩を分析していた際に、スペクトルD3線を見つけた。これが地球上で初めてヘリウムの存在を示唆する証拠となった。
1895年3月26日、イギリスの化学者ウィリアム・ラムゼー卿がクレーベ石(10%以上の希土類元素を含む閃ウラン鉱)と無機酸を反応させる実験を通じてヘリウムの分離に成功し、地球上で初めて生成した。ラムゼーはアルゴンを探していたが、硫酸で発生させたガスから窒素や酸素を取り除いた残りをスペクトル分光して調べたところ、太陽光と同じD3線を発見した。そしてこれが、ロッキャーやウィリアム・クルックスが名づけた「ヘリウム」であると同定した。実はアメリカの地球科学者ウィリアム・フランシス・ヒレブランドがラムゼーに先立ち閃ウラン鉱標本の試験を行っている際に変わったスペクトルを見つけていたが、彼はこれを窒素のスペクトルと思い込んでいた。
ピエール・ジャンサン ウィキペディアWikipedia)より
ピエール・ジュール・セザール・ジャンサン(Pierre Jules Cesar Janssen, 1824年2月22日 - 1907年12月23日) は、フランスの天文学者
1868年に太陽光の中にヘリウムのスペクトル線を発見した。これは、同じ年にイギリスのロッキャーの発見とは独立に行われた。また、日食を待たずに太陽のプロミネンスを観測する方法を発見した。
ノーマン・ロッキャー ウィキペディアWikipedia)より
ノーマン・ロッキャー(Sir Joseph Norman Lockyer、1836年5月17日 - 1920年8月16日)は、イギリスの天文学者である。太陽の観測を行ったことで有名。フランスの化学者、ピエール・ジャンサンとともに太陽光のスペクトル線のなかにヘリウムのスペクトルを発見した。
【経歴】
ウォリックシャーのラグビーに生れた。軍の役人になった後、特に太陽の観測に熱心な天体観測者になり、最終的にロンドン、ケンジントンの太陽物理研究所に勤めた。太陽の黒点の研究などが有名である。
1860年代に天体のガス成分の分析に分光学の技術を用いた。太陽のスペクトル中にこれまで知られていなかった黄色のスペクトル線を発見し太陽のなかに未知の元素があると結論した。ギリシャ語の太陽をしめす言葉 helios からヘリウムとなづけた。

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『人類を変えた科学の大発見』 小谷太郎/著 中経の文庫 2010年発行
ヘリウムと不活性ガスの発見 (一部抜粋しています)
元素を熱すると、その元素に特有な色の光を発します。この光はスペクトル上に輝く線として現れるので、輝線と呼ばれます。
鉱石を熱して、発する輝線を観察し、それがもしも知られているどんな元素とも一致しないなら、新元素の発見です。この分光という手法はわずかな試料に鋭敏で、セシウムルビジウムタリウムなどがこの手であいついで発見されました。
さて1868年8月18日、フランスの天文学者ピエール・ジャンサンはわざわざインドまで出かけて日蝕を見物しました。そして日蝕の最中に太陽コロナを分光観測しました。するとはたしてそこには、これまで誰も見たことのない輝線が現れたのです。
これは太陽特有の元素と考えられ、「太陽」を意味する「ヘリオス」から「ヘリウム」と名づけられました。百余の元素の中で唯一、天文学者が発見した元素です。
しかしヘリウムはなかなか新元素と認められませんでした。天文学者が発見したため、化学者のコミュニティでの認知が遅れたのでしょうか。
化学者がなかなかヘリウムを認めなかったわけは、周期表にありました。
メンデレーエフが世界初の周期表を発表したのは、ヘリウムの発見と同じ1868年でした。数年のうちに、周期表の空欄を埋める新元素は次々見つかり、人々は周期表の威力に驚きました。ついに化学者は元素を支配する法則を手にしたのです。
さて、ではヘリウムです。天文学者が太陽に見つけたと主張するその元素は周期表のどこに位置するのでしょうか。どこにも入らないのです。当時、周期表のどこにもヘリウムのマスはなかったのです。
これではヘリウムが受け入れられないのも無理はありません。美しくも強力な周期表に深刻な問題があることを認めるくらいなら、天文学者の法外な主張を冷笑して無視するほうがずっと簡単です。
ヘリウムはそれから20年以上、幻の元素扱いされることになりました。
空気はほとんど窒素と酸素ですが、謎の成分が1%含まれることが知られていました。1895年、この成分は新元素であると結論され、アルゴンと名づけられました。
ここにおいて周期表は大きなバージョン・アップを迫られました。不活性で全く化学反応しない元素を入れるスペースをどこかに見つけなければなりません。化学者は一番右に新たな列をつけくわえました。不活性ガスの列です。それまで周期表の周期(横幅)は7列だったのが、8列になりました。
そうなると27年前に天文学者が報告したヘリウムがにわかに脚光を浴びます。ヘリウムはホラでも夢想でもなく本物の新元素で、不活性ガスの列におさまるのではないでしょうか。
化学者の間でヘリウムを地上に探す努力が始まり、その年のうちに液体空気から分離されました(やればできるのとにいうか、もっと早く探せばいいのにというか……)。

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