じじぃの「未解決ファイル_172_インターネット」

風をよむ 便利さに潜むリスク ネットの凄さと怖さ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=plXz1qGdHIM
世界のインターネット回線速度ランキング  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TuaGL83xI0g
2011年のネット炎上に喝!!!(文字を読む動画) ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15482566
首都圏ネットワーク 「ネット社会で感じる“孤立”」 2012年10月4日 NHK
フェイスブックツイッター・・・若者の多くは、今、インターネット上のつながり、ソーシャルネットワークを通じて、新たな友人関係を築いています。
ところが、そうしたたくさんのつながりがある一方で、孤立を感じている若者が少なくないことが分かってきました。
若者の就労支援を行う横浜市の団体が、首都圏の大学生およそ2000人を対象にアンケート調査を行ったところ、回答したおよそ5人に1人が「孤立を感じている」と答えていました。
その背景には、急速に発展するソーシャルネットワークが関係していることが分かりました。
http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/archive/121004/index.html
クローズアップ現代 「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」 2012年6月26日 NHK
【キャスター】森本健成 【出演者】 生貝直人(慶應義塾大学大学院特任助教
今「忘れられる権利」というネット上での新たなプライバシー保護が注目を集めている。悪意を持った第三者が、Facebookやブログなどのネット上に蓄積した個人の情報をかき集め、住所や家族関係、過去の恋愛経験までを、ネット上に晒すプライバシー侵害が相次いるためだ。その数は国内だけでも去年一年間で1万件に上る。そんな中、今年1月EUで世界で初めて提唱された「忘れられる権利」は、サーバーの管理者や検索サービス会社に対し、個人が自分の情報を削除させる権利を認めることで、プライバシー保護を強化するのが狙いだ。しかし、不都合な情報の削除を一方的に認めることが、ネットが広げてきた「表現の自由」や「知る権利」を損なうという懸念も広がっている。ネットが社会のインフラと化した今、膨大に蓄積されていく個人情報とどう向き合うべきかを考える。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3219_all.html
インターネットが世界をつなげるほど私たちの社会は脆くなる 2012年5月24日 ダイヤモンド・オンライン
『つながりすぎた世界』の著者ウィリアム・ダビドウ氏に聞く“情報のドミノ倒し”の恐ろしさ
●「インターネットというのは便利なだけではないな」と実感することはないだろうか。身近なところでは、ツイッターやブログの炎上事件。深刻なところでは、チュニジアから近隣諸国へ拡大した「アラブの春」や、アメリカのサブプライムローン問題から端を発した世界金融危機
「世界がつながる」ということは、情報が瞬時に得られる便利さを手に入れることとひきかえに、些細なできごとがきっかけとなって“情報のドミノ倒し”が起こりかねない脆さをも同時に受け入れるということなのだ。
シリコンバレーを本拠に活躍するベンチャーキャピタリストで、『つながりすぎた世界』(原題:Overconnected)の著者であるウィリアム・ダビドウ氏に、世界のつながりが増すにつれて今なにが起こりつつあるのか、起こりうるマイナスの影響に対する備えはあるのかについてお話をうかがった。
http://diamond.jp/articles/-/18462
『つながりすぎた世界――インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』 ウィリアム・H・ダビドウ/著、酒井泰介/訳 ダイヤモンド社 2012年発行
遠い日の民からの警告 (一部抜粋しています)
いまから50年前、私の母はガールスカウト・オブ・アメリカの全国委員会のメンバーとしてアトランタで会議に出席していた。20世紀後半に直面する問題に話が及んだとき、南部代表のメンバーがこう発言した。「世界が進歩を遂げる前のほうがいい時代だったんじゃないかしら」
この話を聞いた私は興味深いと思った。いったいどうして彼女は前文明的な生活のほうがよいと思ったのだろう? だがいまでは、その女性の言葉への共感は強まるばかりだ。進歩はすばらしい。だがそういえるのは、社会がその進歩に足並みをそろえられる場合にかぎるのだ。
私は本書を通じて、インターネットが及ぼす影響について読者諸氏がじっくりと思いをめぐらせ、自らの生活や制度をうまく運用する備えをしてくれることを願っている。アメリカでさえ今日の変化についていくことがこれほど難しいのだから、新興国では相当に大変なことだろう。場合によっては社会動乱が起こるかもしれない。
そう思うのは、過去に同様の例があるからだ。
いまから5万年以上前、オーストラリア北部ケープ・ヨーク半島のコールマン川沿いに、ヤー・ヨロント族という原住民がいた。彼らの暮らしは初期石器時代の原始的なものだった。神話に従い、変化を拒んで現状を保つことの重きを置き、近隣部族がカヌーを使っていても見向きもせず、ワニが群れなす川に丸太につかまって渡っていた。
彼らの社会構造に大きな役割をはたしていたのが石器である。希少な石を削ってつくった石器は非常に珍重されたため、それを持つ者には権威が備わった。石器を持つことを許されたのは男性の長老のみだったことから、やがて石器は男性的な力の象徴となり、また交易や儀式でも重要な役割を担った。
時代は下って19世紀後半、ヤー・ヨロント族が住む地に宣教師が降り立った。石器よりもすぐれた道具があればもっと生産性が上がるだろうと、宣教師たちは長老ばかりか部族の老若男女に金属製の斧(おの)や鉈(なた)を贈った。
それから数十年、宣教師たちがよかれと思ってしたことがヤー・ヨロントの社会秩序を完全に崩壊させてしまった。鉄斧が出回ったために、権力の象徴を失った長老たちの声に耳を傾ける者はいなくなった。人々は独立し、交易は衰え、儀式はすたれた。鉄製の道具がたやすく手に入るようになったことでヤー・ヨロント族の原始的社会体制は衰退してしまったのだ。
ひとつの例のみで性急な結論を出すのは避けるべきだが、それでもヤー・ヨロント族のエピソードは、孤立を保っていた社会に外部とのつながりが生まれたときの恐ろしさを物語っていると私には思えてならない。宣教師が差し出した斧や鉈は、インターネットの持つ力であり、獰猛さである。鉄斧がヤー・ヨロントの暮らしを改善するはずだったように、インターネットは私たちをよりよい存在にしてくれるはずだ。だがそれは、私たちがインターネットの扱い方をわきまえているという前提があってのことである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
http://space.geocities.jp/hhiratsuka2005/
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、『つながりすぎた世界――インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか』という本があった。
「遠い日の民からの警告」という項目の中にこんなことが書かれていた。
「宣教師が差し出した斧や鉈は、インターネットの持つ力であり、獰猛さである。鉄斧がヤー・ヨロントの暮らしを改善するはずだったように、インターネットは私たちをよりよい存在にしてくれるはずだ。だがそれは、私たちがインターネットの扱い方をわきまえているという前提があってのことである」
ハサミとインターネットは使いよう、ということか。
インターネット先進国報道の自由度先進国なのだろうか?
ネットで「世界報道自由度ランキング」をキーに検索してみた。
2010年のランキングで11位だった日本は2011年22位に後退した。福島原発事故で報道が過度に制限されたのが原因とされる。
ちなみに、韓国は44位、中国は最下位から6番目の174位、北朝鮮は最下位から2番目の178位だ。世界報道自由度ランキングの上位は北欧が占めている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Press_Freedom_Index
ネットで「世界インターネット速度ランキング」をキーに検索してみた。
2011年の世界インターネット速度ランキングは、1位は韓国、2位 香港、3位 日本、4位 ルーマニア、5位 オランダだった。
http://news.livedoor.com/article/detail/6176656/
つまり、インターネットと世界報道自由度ランキングとは何もつながりがないのだ。韓国を例にするとインターネット接続では1位だが、世界報道自由度ランキングでは44位だ。
6/26、NHKクローズアップ現代』で「“忘れられる権利”はネット社会を変えるか?」を観た。
「悪意を持った第三者が、Facebookやブログなどのネット上に蓄積した個人の情報をかき集め、住所や家族関係、過去の恋愛経験までを、ネット上に晒すプライバシー侵害が相次いる」
インターネットも原発も正しく使えば、人類にとって良い道具だ。
悪意のない、自由な報道の基でという前提があって、ということなのかもしれない。