じじぃの「世界遺産・アテナイのコインに描かれたフクロウ・パルテノン神殿!ヒューマン」

Athens - Laura McKenzie's Traveler 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Mn20HD04lBM
Ancient bronze, gold and silver coins 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=arywGpqRCDQ&feature=related
macedonian coins say the truth 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8xaxvYKuROo&feature=related
フクロウのコイン 画像
http://i3.squidoocdn.com/resize/squidoo_images/-1/lens14165061_1289295039ancient_greek_coin_owl.jp
コインが好きで!ーフジタク談話室: 古代ギリシャコイン〜(4) アテネーフクロウ
http://fujitaku.typepad.jp/blog/2010/06/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%94%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6.html
硬貨 ウィキペディアWikipedia)より
硬貨は金属で作られた貨幣である。コイン (coin) ともいわれる。
【起源】
硬貨がいつ誕生したかについては確かなことは分かっていないが、紀元前10世紀頃のギリシアではすでに作られていたようである。良く知られた話によると、物と物との交換に嫌気がさしたギリシャ人が物の交換の仲立ちになる物を使ってはどうかと話合い、最初は鉄釘を使ってみた。しかし鉄釘は作るのは簡単だが形状がいまひとつで人にやるわけにもいかず、すぐに使われなくなった。その後リディア近郊に住んでいた若者が、後にコインと呼ばれるものをつくって国王に献上したところ、ギリシア人はみなその発想に驚いたという。それから紀元前600年から紀元前300年にかけて、ギリシアでは各地の鋳型彫刻工たちが芸術性を競い、シラクサ出身のキモン、エウクレイダス、エウアイネトスなどの腕の良い彫刻師が現れた。

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世界遺産ライブラリー [アテネアクロポリス] NHK世界遺産
ギリシャの首都アテネの町にそびえるアクロポリスは、「高い丘の上の都市」を意味します。その中心に立つのがパルテノン神殿で、古代ギリシャ文明の栄光の象徴となっています。
「シリーズ世界遺産100」では、パルテノン神殿の修復現場の様子を伝えます。パルテノン神殿は、全て大理石で造られています。15世紀にオスマントルコ軍に占領されたときと、17世紀にベネチア軍がアテネに侵攻したときに激しく破壊されました。大規模な修復は今から100年前にも行われましたが、そのとき使った鉄材が錆びて膨張し、大理石のいたるところでひび割れを起こしています。新たな修復は20年ほど前から、240人の専門家たちによって行われています。古代ギリシャ文明の最高傑作とも言われるパルテノン神殿には、繊細な工夫がこらされていました。例えば柱は「ドラム」と呼ばれる大理石をいくつも積み上げたものです。1本の柱を作るには、ドラムの接合面が完璧に重なることが重要です。古代ギリシャ語で「ハーモニー」とは、石をぴったり合わせるという意味でした。現代の修復作業は、ギリシャ文明の高さを学び、その英知と向き合う作業でもあるのです。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards127.html
NHKスペシャル 「ヒューマン なぜ人間になれたのか 第4集 そしてお金が生まれた」 2012年2月26日
紀元前4000年、最初の都市が西アジアに出現する。多くの人々が“ともに生きる”場所である都市を生み出した原動力は、分業だ。麦や羊などの原始貨幣を使って給料を支払うという分業システムが専門の職人を生みだし、技術革新を後押しするようになった。その革新によって生産が増え、都市はさらに繁栄していく。しかし、分業システムは必然的に格差を生み出す。長く平等至上主義を守ってきた人間社会は繁栄と引き替えに格差を受け入れたのだ。
ただその一方、格差を解消する模索もはじめていたことがメソポタミア文明の研究から浮かび上がっている。しかし、その模索はギリシャ時代に頓挫する。本格的な貨幣経済のはじまりが人々の欲望を煽り、格差を拡大させていったのだ。その代償は大きかった。欲望の果てに資源を使い尽くしたギリシャ文明は衰退の一途をたどっていくことになったのだ。
ギリシャ文明の運命は、現在、温暖化などの環境問題に直面している私たち自身の「祖型」ともいえる。貨幣システムの誕生と変遷のなか、都市を舞台にした人間の心の変遷をたどり、私たちのめざすべき未来を探る。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012036277SA000/
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 NHKスペシャル取材班・著 角川書店 2012年発行
アテナイの魔法 不滅の富の誕生 (一部抜粋しています)
ラブリオは、アテネの南東およそ40キロメートルに位置する港町だ。ラブリオ銀山は、その北部で見つかった銀山である。古代ギリシャ語では、ラウリオンと呼び、こちらの呼び名のほうが耳になじむ世代の人も多いだろう。
発見されたのは、紀元前483年。世界有数の銀の埋蔵量を誇った鉱山だ。すでに銀は掘り尽くされたとされ、19世紀にある企業が再開発に挑んだが、おもに採掘されたのは鉛、マンガンカドミウムであったそうだ。
ソクラテスの弟子であるクセノフォンは、アテナイの繁栄をこう記している。
「ラブリオ銀山は無尽蔵だ。アテナイの卓越せる経済的地位を永遠に確保してくれるであろう」
ラソンの語源話として知られるマラトンの戦い(紀元前490年)のあと、アテナイペルシャの脅威に備えるため、大幅な海軍力の増強に踏み切った。その資金源になったのが、この銀山から見込まれる収入だった。
初めての国際貨幣となったアテナイのコイン。その登場は銀山発見に先立つ、紀元前550年だ。しかし、ラブリオ銀山が発見されてから。アテナイコインは大幅に増産された。アテナイが地中海沿岸の覇者になれたのは、この銀山があったからだといわれている。
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コインが生まれ、ラブリオ銀山の生産が軌道に乗ったことで、アテナイの人々の生活は大きく変わった。まず、食料危機に悩まされることがなくなった。アテナイの土地は痩せていて、食料生産に向いていなかったため、よく食料危機に陥った。しかし、国際的に通用するコインを手に入れたことによって、北アフリカ黒海沿岸といった穀倉地帯から大量の食料をかき集めることができるようになったのだ。その結果、一説によると、アテナイは当時としては極めて低い食料自給率20%程度でありながら、20万人の人口を抱える巨大都市に膨れあがったという。メドゥズ博士は、これは人類史上はじめて、土地の生産量の限界を超える人口が都市に暮らせるようになった瞬間だったと考えている。
じつはそれまでの都市にはひとつ限界点があった。
メソポタミアの古代都市は順調に発展して、人口を増やしつづけていた。しかし、紀元前2400年頃を境に、異変が訪れる。食料の収穫量が激減するという事態に見舞われたのだ。
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しかし、塩害は基本的に違う。増えづづける人口を養うために自らの手で環境をつくり変えるようになった結果、自ら招いた環境変動なのだ。人間が繁栄を追い求めれば追い求めるほど、地球環境を悪化させる。その隘路(あいろ)に突入しはじめたのだ。
メソポタミアの古代都市もその隘路にはまって、衰退を余儀なくされたという説がある。
その限界は、都市の周りの限られた農地に食料増産を求めた無理がたたったせいだといえる。
アテナイの魔法は、その危機を先送りにした。自らの周りの土地では、増産を諦めていたのだ。むしろ、積極的に、ほかに求めたのである。それが都市の寿命を長続きさせることになった。
食料だけではなかった。建築材である木材や石、贅沢品なども遠方の国々からアテナイに集中する。紀元前432年には、アテナイの富の象徴であるパルテノン神殿が建てられた。当時の最高の建築家と彫刻家がつくったギリシャ最高傑作といわれる神殿だ。そして、パルテノン神殿が建つアクロポリスの丘のふもとには、広大なアゴラ(広場)がつくられた。ここはアテナイの商取引や政治、経済の中心となった場所。市場は活気に沸き、人々はコインで買い物をした。なんと、当時の人々がコインを持ち歩くためには財布の代わりとして使っていたのは、本人の口だったという。いまでは信じられないが、口にコインを放り込んでそれで外出したそうな。
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さらに、コインによって、人々の暮らしだけでなく、社会の仕組みも急速に変わりだした。
メドゥズ博士はいう。
アテナイは、最初の民主主義都市国家であるとよく評価されます。じつは、アテナイがそうなれたのは、コインのおかげなのです。コインによって、都市国家は市民に対して多くの支払いを行うことが容易になりました。コインはいろいろな単位に鋳造できたからです。このことは、銀塊に比べ、コインの大きな利点でした。アテナイ都市国家は、法廷で役目を務めたり、議会の議員の役目を務めたりする市民に対し、コインで報酬を支払いました。これこそが、市民の政治参加を促し、民主主義を盛んにしたのです。ですから、コインはアテナイの政治分野に、根本的な変化をもたらしたのです」
コインによって人々の暮らしが快適になるなかで、政治、学問、芸術、思想が発展し、西洋文明の原点ともいえる古代ギリシャ文明が黄金時代を迎えたのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』という本があった。
NHKで今年1月から、シリーズで「人類20万年の歴史をたどる ヒューマン」が放送された。面白くて、ずっと観た。
人間が約600〜700万年前にチンパンジーと袂を分けてから、現在に至るまでの歴史を映像で紹介した番組だった。こんな遺跡もあるのかと思って観たが、いつのまにか忘れていた。
本をぱらぱら、めくったら「アテナイの魔法 不滅の富の誕生」というのがあった。
アテナイとは、古代ギリシャの首都の名前で、現在のアテネだ。だから、アテネは遺跡ではないが、アテネの丘(アクロポリス)に建てられたパルテノン神殿古代ギリシャの遺跡だ。
「初めての国際貨幣となったアテナイのコイン。その登場は銀山発見に先立つ、紀元前550年だ。しかし、ラブリオ銀山が発見されてから。アテナイコインは大幅に増産された。アテナイが地中海沿岸の覇者になれたのは、この銀山があったからだといわれている」
コインが使われていたのは、アテナイだけではなかったらしい。他の都市では国内で使用されるに留まっていたが、アテナイの場合は国内外で広く使われていたのだという。
アテナイコインは、神話に出てくる女神や、女神の使いであるフクロウが刻まれていた。
フクロウという鳥は何か神秘的だ。古代ギリシャの人々もフクロウに何か、神秘的な魅力を感じていたのだろうか。
「コインによって人々の暮らしが快適になるなかで、政治、学問、芸術、思想が発展し、西洋文明の原点ともいえる古代ギリシャ文明が黄金時代を迎えたのだ」
じじぃも、も少し、コイン(お金)がほしい。
アテネアクロポリスは1987年、文化遺産として、ユネスコ世界遺産リストに登録された。
ついでに、6月17日、ギリシャで行われた再選挙は緊縮財政の継続を訴える新民主主義党(ND)が急進左派連合を抑え、勝利した。やれやれ。