Gobekli Tepe UPDATES and Theorys 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rbPHmg3nUyE&feature=related
ギョベクリ・テペ遺跡の位置 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/24/Smithsonian_map_g%C3%B6bekli_tepe.jpg/200px-Smithsonian_map_g%C3%B6bekli_tepe.jpg
ギョベクリ・テペ遺跡
ギョベクリ・テペ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&q=%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%9A%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch
ギョベクリ・テペ ウィキペディア(Wikipedia)より
ギョベクリ・テペ(Gobekli Tepe) は、アナトリア半島南東部、シャンルウルファ(前 ウルファ、エデッサ)の郊外(北東15km)の丘の上に在る新石器時代の遺跡。紀元前9000年頃に狩猟採集民によって建立された、世界最古とされる石造の宗教建築(神殿)が発見されている。
【年表】
・1964年、イスタンブール大学、シカゴ大学の調査により、丘にビザンチン時代の墓地があると推測される。
・1994年、クラウス・シュミット(Klaus Schmidt、考古学者、ドイツ考古学研究所(German Archaeological Institute)イスタンブール支部)が訪問。
・1995年、 ドイツ考古学研究所と、シャンルウルファ博物館による発掘開始
・2010年、発展途上国の世界文化遺産保存を行う、地球遺産基金(Global Heritage Fund (GHF) )の保護開始
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世界ふしぎ発見! 「トルコ奇想天外遺跡紀行」 2010年10月16日 TBS
【司会】草野仁 【アシスタント】 出水麻衣 【解答者】黒柳徹子、板東英二、野々村真、東貴博、岡田圭右、大宮エリー、秋元才加(AKB48)
世界史を塗り替えるかもしれないという遺跡の起点となるシャンルウルファの町をミステリーハンターが訪れていた。町ではパンが主食として食べられているとのこと。
アナトリアは最も古くから麦を食べてきたと言われており、その理由にアナトリア高原には野生の麦が生えているおり、古代人はそれを採取し食糧にしていたからとのこと。その後、今からおよそ1万年前には麦を栽培するようになり農業が誕生、その結果豊かになりメソポタミア文明やエジプト文明が生まれたという。
しかし、ギョベクリ・テペはそういった通説を覆す発見とのこと。紀元前1万年の頃の神殿と見られているこの遺跡からは、同時代の他の場所で見つかった物とは異なる顔のない人物を模した像や狩猟をしていたことが分かるという。そこからは、この遺跡は農耕が始まる前の文明にも関わらず巨大なモニュメントを作る技術を持っていたことが分かるとのこと。
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NHKスペシャル 「ヒューマン なぜ人間になれたのか 第3集 大地に種をまいたとき」 2012年2月19日
世界中に広がった祖先は栽培をはじめる。農耕は人類史上最大の革命ともいわれる飛躍だった。以前はその飛躍はきわめて順調に行われたと考えられていたが、じつは数千年におよぶ苦難に満ちた格闘であったことがわかってきた。農耕初期は収穫量が限られていたため、周囲との軋轢が避けられなかったことに加え、その時期は温暖化によって氷河が溶け、各地で大洪水が頻発した時代でもあったのだ。じつは長く狩猟採集の移動生活をしていた人間世界には基本的に「協力する仲間」と「避け合う他人」という分類しかなかった。農耕のはじまりによって、長く付き合わなくてはならない「隣人」という存在が初めて生まれたのだ。凄惨な集団の戦いが激化する一方、共存を試行錯誤する集団も現れた。じつは主食となる小麦などの穀物は、そうした共存を指向した集団同士が祝祭を共同で開いた際、その席で食べるご馳走として栽培されはじめた可能性が最新研究から浮かび上がっている。「平和を願う心が農耕を発展させた」とする最新仮説に基づき、大洪水の頻発する激動の世界のなかで進んだ農耕革命の知られざるドラマを描く。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012036276SA000/
『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』 NHKスペシャル取材班・著 角川書店 2012年発行
世界最古の宗教施設 ギョベクリ・テペ遺跡への旅 より
ウルファの町からは車で30分。ようやく目的地に到着した。標高は800メートル。ハラン平原北端の周囲を360度見渡すことのできる丘の上だ。考古学には素人の私でさえ少し興奮してしまう。
日本を出発する前、筑波大学の人文社会系で、西アジアの考古学を専門に研究するチームにレクチャーを受けた。研究者たちの形容はただ事ではなかった。常木晃博士はこの遺跡のことを「あれは超弩級(ちょうどきゅう)。衝撃的です」と表現した。三宅裕博士は「とてつもない遺跡です。大変なことです」と言った。研究者たちを唸(うな)らせるほどの遺跡がもうすぐそこにある。
駐車場からしばらく歩くと、巨石群が間近に迫る。研究者に何度も写真で見せてもらったその遺跡だ。数メートルの深さで堀り進められた遺跡には、何十本もの石柱が林立している。規模は思っていたよりもこじんまりしていた。しかしものの数分その前にたたずみ、石のディテールを眺めているうちに、圧倒的な迫力が押し寄せてきた。これが世界最古の宗教施設ともいわれるギョベクリ・テペ遺跡なのだ。
そう、この時代を語る出発点として、どうしても訪ねたかったのはこの遺跡だった。
研究者の注目も熱い。「超弩級」、「とてつもない」といった形容が飛び交ったのも、おの遺跡がそれまでの考古学の常識を吹き飛ばし、まったく新しいストーリーを示唆しているからだ。
そして、そのストーリーは、農耕革命と深く関わった私たちの心の進化をたどるのに欠かせない。つまり、「ヒューマン第3集」はこのギョベクリ・テペ遺跡抜きにははじまらないのである。
到着した私たちのところに、ターバンを巻いてサングラスをかけた恰幅(かっぷく)のよい老人が近づいてきた。彼こそ、この遺跡に光を当てたドイツ考古学研究所教授のクラウス・シュミット博士だ。これまでに取材と撮影交渉を含め、ベルリンや東京、ウルファの町で数回会ってきた。ようやく撮影が実現したことを喜んでくれた。そして、彼はこれからの3日間、私たちの滞在をサポートし、撮影に惜しみない協力をしてくれることになる。
ギョベクリ・テペ遺跡がどのように考古学の常識を大きく書き換えているのか、そうした意義の説明に入る前に、まずは遺跡の規模からみていこう。
壮大な規模を実感するためには、シュミット博士のこの一言だ。
「この遺跡は巨大なので10年や20年で調査を完了できません。50年以上かかる可能性があると考えています。発掘をはじめて17年目になりますが、はじめたばかりの段階です。私たちは4つの巨大なエンクロージャーを発見していますが、全体の一部分です。この丘全体が人によって造られたものです」
エンクロージャーとは、サークル状の構造物のことだ。ここでは、直径15メートルの円形、ないし楕円形をした構造物がすでに4つ見つかっている。しかし、それはまだほんの序の口。地磁気を利用した地中探知レーダーの調査によれば、エンクロージャーは全部で20近くに及ぶらしい。それぞれアルファベット名が振られている。広さ300m X 300mもの敷地に点在しているのだ。アルファベットを利用するのも無理はない。
この遺跡の重要性が指摘されたのは、1994年にシュミット博士がこの地を訪れてからであった。翌年から発掘調査を開始。現在まで毎年つづけられている。
遺跡の年代は、1万1600年前〜1万800年前頃とされている。先史時代の遺跡の年代測定にはふたつの方法がある。ひとつは遺跡で発見した道具をほかの遺跡で発見した道具と比較して、同時代のものか、どちらが古いか新しいかを確認する「相対年代決定」法だ。絶対年代を知るためには、自然科学の力が必要で、放射性炭素年代測定がもっとも重要な方法になる。こうした調査から年代は特定されている。
この、およそ1万年前という時代がまず重要だ。巨大な遺跡はこののち、どんどん増えていくことになるが、1万年も前のものとなると、ほとんどない。第2章までで紹介した遺跡は、洞窟に埋もれていた貝殻とか、石とか、あるいは、壁に描かれた絵というレベルのものだった。ここに至って、まさに巨大遺跡と呼ぶにふさわしいスケールを帯びはじめていく。
しかも、丘全体に広がるギョベクリ・テペ遺跡は、町の跡というわけでもない。そこで人が生活していたような痕跡がないのだ。大量の石器やたくさんの動物の骨が出土しているが、そのなかに家畜種といわれるものはまったく存在しない。数少ない植物の痕跡からも農耕が行われていた証拠は見つかっていない。
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「ここにはトキ、ヘビ、その他の動物がいます。こちらは大きなサソリです。大きな鳥もいます。もっとも興味深いのは、人間の身体です。腕、肩、勃起した男性器。しかし頭がありません。頭のない勃起した男性器のある人間が描写されています。このシナリオは少し恐ろしい感じがします」
異様な柱に異様な彫刻。その異次元ぶりは、この施設が非日常的な目的だったことを示唆している。
シュミット博士は自身の意見を簡潔に述べてくれた。
「現在のところ、葬式のために建てられたというのが私たちの仮説です」
なぜそう考えるのだろうか。
「幾つかの観察で分かったのは、柱に描かれた浮き彫りが生活の様子を表現しているのではなく、冥府(めいふ)の怖ろしいシナリオを表現していることです。頭の付いていない人間やハゲワシがいます。キツネやイノシシのような動物もたくさんいて、少し脅威的です。これらのシナリオは現実の世界ではないという印象を受けます。よって、葬式のために描かれたと考えたのです」
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じつは。この積極的な人間の関与という特徴はギョベクリ・テペ遺跡がもつ際立った特徴である。ここでは、ラスコーのような後期旧石器時代の洞窟とは違って、初めて人間のモチーフがこの世界のなかで上位にあるというのだ。
過去の洞窟ではたくさんの動物が描かれていたが、人間はほとんどなく、階級もない。人間と動物は同じレベルだった。ギョベクリ・テペでは人間のような生き物が上位なのだ。確かに、エンクロージャーのCやDで見た真ん中の石柱には、人のような造形がが描かれていた。
「多くのことは、まだ分かっていませんが、幸に1つだけよく分かっていることがあります。T字形が象徴する意味です。それは人間の造形です。T字の上の部分は人間の頭、柱身は胴体です。その点は確実です」
柱によっては腕や指も描き込まれている。ベルトや腰巻きも描かれている。人間のような生き物を示しているのは間違いない。
「しかも、非常に大きい、現在、最大のものが5.5メートルです。これらのT字形の象徴は私たちよりも優れていることは確かです。つまり、社会に住んでいる人間は小さいが、霊界では人間のような生き物が大きな存在として階級の上位にいるわけです」
博士はその点がそれまでの精霊信仰とは大きく異なる点だという。
「古代の宗教は、西欧の一神教をはじめ、現在の主な宗教とは類似していなかったでしょう。私は宗教研究の専門家ではありませんが、その分野の専門家は宗教史の再構成を試みています。その研究によれば、多くが精霊信仰を起源としています。古代の宗教はそれに類似している可能性があるでしょう。万物に生命力がある。1つの石にも魂がある。このような精霊信仰が背景にあったとこは予測できます」
そこからの大転換がギョベクリ・テペ遺跡の背後にある。
「すべてが平等である精霊信仰の世界から人間のような生き物が上位につくような宗教がはじまったのは、人類の歴史で初めてのことだと認識できます」
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インタビューのとき、シュミット博士はこう付け加えていた。
「メンタリティの理解に関しては、あまり話せませんが、社会や背景に関しては少し理解できます。なぜなら、社会と宗教的信念は常に何なかのつながりがあるからです。よってギョベクリ・テペ遺跡をつくった先土器新石器時代の社会が平等主義ではなかったと予測できるでしょう。階級が存在していたでしょう。旧石器時代には、世界中で平等主義の社会があったことが確実になっています。ここで初めて、平等主義がなくなっています。ここを起点として、古代オリエントの都市国家では王が上位にいて、古代エジプトではファラオが上位にいた。それはギョベクリ・テペではじまったのです」
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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、『ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか』という本があった。
NHKで今年1月から、シリーズで「人類20万年の歴史をたどる ヒューマン」が放送された。面白くて、ずっと観た。
人間が約600〜700万年前にチンパンジーと袂を分けてから、現在に至るまでの歴史を映像で紹介した番組だった。こんな遺跡もあるのかと思って観たが、いつのまにか忘れていた。
本をぱらぱら、めくったら「世界最古の宗教施設 ギョベクリ・テペ遺跡への旅」というのがあった。
「研究者の注目も熱い。『超弩級』、『とてつもない』といった形容が飛び交ったのも、おの遺跡がそれまでの考古学の常識を吹き飛ばし、まったく新しいストーリーを示唆しているからだ」
現在のように温暖で、毎年同じサイクルで気候が変わるようになったのもちょうど1万年前からだ。そして、人類が農耕を始めたのが、約1万年前だといわれている。
「遺跡の年代は、1万1600年前〜1万800年前頃とされている」
ギョベクリ・テペ遺跡が約1万年前に、小麦が栽培され、農耕を始めた頃と重なるのだ。この年代を境に人類の歴史は大きく変わっていくことになる。
「すべてが平等である精霊信仰の世界から人間のような生き物が上位につくような宗教がはじまったのは、人類の歴史で初めてのことだと認識できます」
確かに、このギョベクリ・テペ遺跡は人類の歴史にとって重要なターニング・ポイントのような遺跡なのだ。
ギョベクリ・テペ遺跡こそ、世界遺産なのかもしれない。