じじぃの「世界初のレンズ付きフィルム・写ルンです!国産はじめて物語」

富士写真フイルム 写ルンですHi 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=NP6jPTpfpqY
写ルンです CM お弁当編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4n7jMK9P4Pc
FUJIFILM 2010年 「アスタリフト」篇 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MLs2Xxeoi5Y
おはよう日本 特集「なぜ?“磁気テープ”が復活」 (追加) 2013年11月20日 NHK
【司会】鈴木奈穂子阿部渉
阿部さん、「日本のものづくり、新たな復活の動きです」
鈴木さん、「技術革新によって、日本のある製品が、再び脚光を浴び始めています」
趣味でバンド活動をする、都内の男性です。
かって演奏を録音した、大量のカセットテープの整理に頭を悩ませています。
男性、「(カセットテープは)かさばるし、メリットはない、録音機材としては」
もはや、時代遅れの感じもある磁気テープ。ところが今、大量のデータを安く保存できる製品に生まれ変わり、グーグルやNASAなど、最先端の企業や研究機関で、導入が広がり始めています。
データ保存の専門家、「いま、磁気テープが非常に脚光を浴びている。復活したといってもいい状態だと思う」
阿部さん、「そう、われわれの時代は、カセットテープですよ、青春の思い出と共に。なかなか処分できないんですよ、かさばっていても」
鈴木さん、「そういう方、多いと思うんですよね。使いやすさの面でも、記録できる情報量の面でも、CDやDVDにとって代わられた磁気テープなんですが、日本のメーカーが性能を飛躍的に高めた結果、今、再び記録媒体として、復活のきざしを見せています。新しい磁気テープは、1本でDVD500枚分という、大量のデータを記録できるようになっているんです」
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大量のデータを記録する磁気テープを作る技術を持つのは、日本だけです。
そのメーカーの1つ、写真のフィルムなどを製造してきた富士フイルムです。
いったん、磁気テープが廃れたあとも、地道に研究を続けてきました。
その結果、7年前、性能を大幅に伸ばす技術を確立しました。
磁気テープの表面には、“磁性体”という小さな磁石の粒があり、これでデータを記録します。
その粒が小さいほど、より多くのデータを記録できます。
この会社では、粒の大きさを1ミリの5万分の1、20ナノメートルにすることに成功しました。
それまでの半分以下の大きさです。
鍵を握ったのは、切符の裏などに使われている“バリウムフェライト”という素材でした。
これを写真のフィルム製造で培った技術で、テープに薄く、均等に塗り、大容量化に成功したのです。
耐用年数も、ハードディスクの2倍以上です。
富士フイルム 記録メディア事業部長 柴田徳夫さん、「この磁石の粒は、まだまだ細かくしたり、特性を上げることができる。こうしたプロセスは、非常に高度な技術が必要で、日本企業に優位性があると考えている」
こうして生まれ変わった、磁気テープ。
飛躍のきっかけとなったのは、ビッグデータ時代の到来でした。
データ保存をビジネスにする、世界トップクラスのIT企業です。
保存すべきデータが急速に増える中、磁気テープへの注目が世界中で高まっているといいます。
その理由は、コストの低さです。
富士フイルムの試算では、ハードディスクに比べ、10分の1で済むといいます。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2013/11/1120.html
日本環境経営大賞/第5回:環境価値創造部門環境連携賞  富士フイルム株式会社 2007年7月3日
レンズ付フィルム「写ルンです」は1986年、神奈川県の箱根外輪山のふもと南足柄市にある富士フイルム神奈川工場足柄サイトで誕生しました。そのころ当社は創立50周年を迎え写真事業で新たな顧客の開拓を目ざしており、「写ルンです」はお子様やカメラの操作が苦手な方にも使いやすい手軽なツールを提供するために開発された商品でした。発売直後から予想以上のご好評をいただき、現在ではコンビ二や駅の売店でも定番商品になるまで成長しました。昨年はおかげさまで発売後満20年を迎え、これまでの販売数量は世界累計で14億本を超える息の長い商品となっています。
http://www.eco.pref.mie.lg.jp/taisho/05/05/fuji.htm
富士フイルムコダックの明暗を別けたもの 2012年1月20日 アゴラ - ライブドアブログ
130年余りの歴史をもつ米映像機器大手イーストマン・コダックと同社の米子会社は19日、連邦破産法第11条の適用による事業再編をニューヨーク州の連邦破産裁判所に申請した。
コダックを責めるのは酷だと思う。何分、主力商品たる写真フィルム市場が業界ごとほぼ消滅するという事態に陥ったのである。コダックの破綻は全盛を誇った恐竜の絶滅と同じで、当然の帰結と理解する。
富士フイルムが奇跡を起こしたと賞讃すべきと思う。
この奇跡を起こした古森氏は、2000年に富士フイルム社長に就任している。
飽く迄、推測であるが社長就任に際し、富士フイルム破綻までXXX日と仮定し、破綻回避の為、出来る事、やるべき事を、愚直に熟されて来たと思う。当時、同社が2兆円のキャッシュを保有していたのが幸いしたのも疑いのない事実であろう。
http://agora-web.jp/archives/1424265.html
カンブリア宮殿 「富士フイルム:奇跡の構造転換で復活」 2012年5月10日 テレビ東京
【司会】村上龍小池栄子 【ゲスト】富士フイルムHD会長 古森重隆
奇跡の構造転換で復活 「攻め」の経営とはこういうことだ!
今年1月、衝撃的なニュースが全世界を駆け巡った。名門、米イーストマン・コダックの破綻劇。
しかし写真フィルムで長年コダックのライバルだった富士フイルムは現在、成長路線を歩んでいる。明暗を分けたものとは何だったのか?
●屋台骨を失った富士フイルムの新事業
現在、富士フイルムHDの売り上げに占める写真フィルムの割合はたったの数%。今や全く別の事業で稼いでいるのだ。
その一つがなんと化粧品。フィルムメーカーがどうして化粧品に参入したのか? 一見、無関係に見えるフィルムと化粧品のつながりとは一体何か?
また今年、静岡がんセンターと協力して開発した高度な医療機器が医療界に大きなインパクトを与えた。実は富士フイルムは医療分野にも強みを発揮しているのはご存知だろうか?
写真フィルムメーカーのイメージが次々と覆る!富士フイルムの真の姿とは?
●世界シェア7割強・・・ニッポンのモノづくりの真骨頂!
富士フイルム内でも極秘プロジェクトとして進められてきた、「ある商品」が世界を席巻している。それはタックフィルムという製品。これがないとソニーサムスン、LGなど世界中の液晶テレビメーカーが生産に支障をきたし、悲鳴をあげるという代物だ。一体、このフィルムの何がすごいのか?どうして富士フイルムは世界トップシェアを握ることができたのか?
今回、タックフィルムを生産する九州の工場内部の取材が特別に認められた。そこで行われていた他社を圧倒する生産方式とは?
●研究者1000人が集結!先進研究所の実力
富士フイルムHD会長(当時社長)の古森重隆が改革で徹底的に重視したのが、写真フィルムで培った技術をどう発展させ、生かしていくのかということ。そのため古森は2006年に先進研究所を設立した。国内各所に散らばっていた研究者、技術力を結集し研究にあけくれさせた。分野の垣根を低くして、オープンな空間で研究者1000人がしのぎを削る様は圧巻だ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120510.html
レンズ付きフィルム ウィキペディアWikipedia)より
レンズ付きフィルムは、フィルム交換をしないことを前提とした構造の、軽便なカメラである。
【概要】
外部のカメラ機能部分は現像後も返却されず、フィルムを使い切った時点でカメラとしての機能を果たさなくなることから「使い捨てカメラ」と呼ばれることも多いが、最初にこれを発売した富士写真フイルムは品名として「レンズ付フィルム」、それ以外のメーカーは「使い切りカメラ」などと称している。これは、「カメラ」とした場合、現像後にユーザーからカメラ部分の返却を求められる可能性があること、使用済み筐体の再生利用が強化されていて「使い捨て」と呼ばれることは実態にそぐわないこと、などが理由としてあげられる。
時折インスタントカメラと呼ばれることがあるが、これは「インスタント」を「即席」ではなく「簡易」と解釈をしたことによる誤用である。インスタントカメラとは本来、ポラロイドカメラ富士フイルムの「フォトラマ」「チェキ」等、その場で紙焼写真が出来上がるカメラ方式のことを指す。
【歴史】
かつて同じ趣旨の製品が数種類登場していたが、現像の取り扱いの問題もあり定着しなかった。
例えば、1949年にPhoto-Pacという会社はH. M. Stilesが発明した$1.29で製造できるボール紙でできた使い捨てカメラ (8枚撮り) を販売したが、流行らなかった。
1960年代には、フランスのFEXという会社が"Photo Pack Matic"というプラスチック製の使い捨てカメラ (12枚撮り、4x4 cm) を発売した。
一般的になったのは、1986年に富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)が「写ルンです」(うつるんです。日本国外名QuickSnap)を発売したことによる。同社では、外出時にカメラを忘れた場合などの際、臨時で買い求めるといった用途を想定した、一種のニッチ商品であったが、観光地など出先で買い求め即座に撮影できる手軽さでヒット作となり、急速に普及していった。
初期モデルは110カートリッジフィルム規格を採用。即座に撮影できる手軽さでヒット作となり、すぐにフィルムの主流規格である35ミリフィルムのISO400に仕様変更される。

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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
世界初のレンズ付きフィルム写ルンです (一部抜粋しています)
「どうしたらフィルムをたくさん売ることができるのだろう?」 当時、富士写真フィルムの営業技術部で商品企画を担当していた持田光義は、頭を悩ませていた。同じく、感材部で「110(ワンテン)サイズ」と呼ばれるカートリッジ入りフィルムの拡販を考えていた中山部長(当時)が持田に声をかけた。「このフィルムを使って誰もがもっと簡単に写真を撮れるような商品はできないだろうか」。これをきぅかけにしてフィルムにレンズを付けるという逆転の発想で「レンズ付きフィルム」開発プロジェクトのLFチームが作られた。企画、デザイン、生産、各部から組織横断的に優秀な人材が集められた。しかし、思うように事は進まなかった。
過去に簡易カメラ的発想の商品検討されたが、商品化に至らなかったという経緯を知っている他のメンバーにとって、あまり魅力のあるプロジェクトとは言えなかったからだ。持田は言った「これは安物のカメラにフィルムを詰めて売るんじゃない。レンズが付いたフィルムを売るんだ!」。今までの発想とは逆に、フィルムが主の商品だと力説した。
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写ルンです」の開発では品質の信頼性に重点をおいた。足柄工場で品質保証の仕事に関わった経歴のある持田は、何より商品の信頼性を大切にした。見ることも触れることもできず、写真がちゃんと写っている未来の結果のみを信頼してお客様はフィルムを買っていく。この信頼を絶対に裏切ってはいけない。自信を持って出荷するフィルムにレンズを付けて売るのだから、必ず満足できる写真が撮れるようにしなければならない。そのためにシャッタースピードは100分の1。絞りもF11に設定し、ターゲットを絞った。チーム内から「もっと撮影可能な条件を広げたほうがいいのでは」という声が出たが、持田は自分の小学生の息子に試し撮りをさせ、60分の1では手ブレが出ると主張した。絞りもF11まで絞ることで近くから遠景までピントがあう。ある程度の明るさがなければ撮影できない条件に設定した。箱のどの面にレンズとシャッターを持ってくるかも試行錯誤を重ね、どの面を持てば一番、手ブレが起こらないかを追求した。手ブレしない技術をもった写真愛好家が対象なのではない。カメラを持ったことのない女性や老人、子供を初め誰もが撮影できることが重要だった。
こうした研究を重ね、1986年5月27日、「写ルンです」のプレス発表。1ヵ月後の7月1日に1380円で発売を開始した。当時数回行ったアンケート集計を見ると、初回時「試しに買った」ユーザーが「写真がよく撮れたので2回目を買った」という回答が多く集まっている。
持田をはじめとするLFチームの蒔いた信頼の種は確実に育ち始めていた。「写ルンです」は発売後、半年で100万本のセールスを記録する。そしてリサイクルシステムも確立され、世界中で10億本を達成する勢いで売れ続けている。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「世界初のレンズ付きフィルム写ルンです』」というのがあった。
「これは安物のカメラにフィルムを詰めて売るんじゃない。レンズが付いたフィルムを売るんだ!」
写ルンです」は2006年までの販売数量は世界累計で14億本を超えているのだそうだ。
2012年まで18億本売れたとして、一人2本として計算すると、約9億人が「写ルンです」を手にしたことになる。
5月10日、テレビ東京カンブリア宮殿』の番組で「富士フイルム:奇跡の構造転換で復活」を観た。
富士フイルムHD会長(当時社長)の古森氏がこんなことを言っていた。
「ずっと、コダックの背中を見て、やってきた。コダックが破綻して、富士フイルムが生き残ったのは運が良かったからだろう」
フイルムはナノの世界だ。ナノの世界が化粧品に結びついたのだろう。
また、スマートフォンなど液晶パネルに使われる偏光板の保護フィルムであるTACフィルム(富士フイルム製)は世界シェア8割だ。
コダック富士フイルムが辿った道は、日本の進むべき道を暗示しているのかもしれない。
富士フイルムHDは6月7日、社長兼最高執行責任者(COO)に中嶋成博専務氏(63)が就く人事を発表した。富士フイルムを奇跡の構造転換で復活させた、古森重隆氏は会長職に就く。