じじぃの「人の死にざま_927_パラケルスス」

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偉大なる医師か? それとも魔術師か? パラケルススと治療する化学 WIRED.jp
ルネサンス初期の519年前に誕生した、治療の手段としての化学を生み出したスイス人の医師=錬金術師、フィリップス・アウレオルス・パラケルスス。偉大な医師であり思想家であると認められながら、一方で魔術師とも揶揄された彼の理論は、後世のホメオパシーにも着想を与えている。
http://wired.jp/2012/05/23/paracelsus/
パラケルスス ウィキペディアWikipedia)より
パラケルスス(Paracelsus、1493年か1494年 - 1541年9月24日)は、ルネサンス初期のスイスの医師、錬金術師。
本名は、テオフラストゥス・フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(Theophrastus Philippus Aureolus Bombastus von Hohenheim)。
【略歴】
スイスのアインジーデルンで生まれ、医師であった父・ウィルヘルムから自然哲学を教わりながら育つ。
1515年にイタリアのフェラーラ大学医学部を卒業した後、医療を施しつつ旅を重ね、当時の医学界で支配的な地位を占めていたガレノスを批判するようになり、そして「古代ローマの高名な医者・ケルススを凌ぐ」という意味を込めてパラケルススを自称するようになる(これについて「ホーエンハイム」をラテン語化したとする説もある)。
1525年にバーゼル大学の医学部教授に就任したが、その翌年には大学から追放され、以後放浪の身となる。尚、追放の理由は「教室でガレノスの医学書を燃やしたことが反感を招いた」「キリスト教を批判した」と諸説あり、現在も明らかになっていない。

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『シュワルツ博士の「化学はこんなに面白い」―知っているようで知らない日常の化学のはなし』 ジョー シュワルツ/著、栗木さつき/翻訳 主婦の友社 2002年発行
薬は毒にもなりうる――パラケルススの数奇な人生 (一部抜粋しています)
フィリップス・アウレオールス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム。こんな名前では、変人ではあったが傑出していた16世紀のスイスの治療師が「パラケルスス」と名乗るのを好んだのも当然だろう。だが「パラケルスス」はとても謙虚な名前とはいえない。古代ローマの名医「ケルスス」に、ラテン語で「〜を超えて」を意味する「パラ」を冠した名前なのだから。当時のルネサンス期の医学の基礎となっていた医学書の著者ケルススよりも自分のほうが優れていると、パラケルススは自負していた――記録によれば、パラケルススは医師として正式な教育をおさめてもいないのに、「医師」と自称していたようだ。まったく傲慢な男である。
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それでも、パラケルススの異様な行動は、多くの信奉者を獲得した。彼の名声は高まった。パラケルススの講義は、学生の出席率がたいへんよかった。パラケルススは、薬や注射など薬に立たないと遠慮なく批判し、自然の治癒力をたたえた。いわく、多くの医療問題に対する答えは「化学」という進展中の化学にある。植物や鉱物など自然界のものから単離した物質は、病を治療することができるが、これを利用するためには実験をくりかえさなければならない――古代の医師のことばでななく、実験室と客観的な実験に信頼を置くべきである、と。
そのうえパラケルススは、病は体液の不均衡が原因であるという従来の体液説を否定し、病は局部的な異常であると主張した。病は、化学的に扱うべき化学的問題である……。この洞察に関していえば、パラケルススは近代薬理学の父といえる。パラケルススは、錬金術師のあり方さえ批判した。錬金術師は卑金属から貴金属をつくることを目的にするのではなく、自然界の物質を新しい物質に変えることを目的とし、錬金術の定義を広げるべきだと提唱した。
「パン屋はパンを焼くとき、ワイン醸造者はワインを醸造するとき、織工は布を織るとき、錬金術師になるのだ」
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大いなる夢想家ではあったものの、パラケルススはやはり時代の産物だったといえるだろう。彼はエーテルが普及する300年も前に、それを麻酔薬として利用していた。だが、悪魔は月経血からあらゆる昆虫をつくることができるなどと、訳のわからないことも言った。病は化学的な治療で治すことのできる異常であると信じる一方で、宇宙の惑星はどういうわけか身体の一部と調和すると確信していた。
パラケルススの考え方のなかには、たわごとにすぎないものもあったが、それを濾過して取りのぞけば、すばらしい遺産が残る。この中世の錬金術師は、古代の権威ではなく、観察に信頼を置く重要性を教え、化学と薬とを合体させ、病気に応じた化学的な治療を行うという考え方を世に広めた。身体と心が深く結びついていることを強調し、最後には「幸福な人間はいつも病から回復する」という楽観説を打ち出した。
そしてなにより、「薬は服用量で毒になるか薬になるかが決まる」ことを教えてくれた人物として、この複雑きわまる男を覚えておこう。

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