森信三 - あのひと検索 SPYSEE
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心に残る本 : 『いかに生くべきか 東洋倫理概論』安岡正篤、『修身教授録』森信三
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【 森信三の世界 】 人生二度なし 一般社団法人「実践人の家」
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森信三 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
森信三(1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。
【語録など】
・人生二度なし
・真理は現実のただ中にあり
また、徳永康起遺文集にも記載されている通り、以下の文章を精力的に広めることを推奨していた。
人間の一生(読み人知らず)
職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。
しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。
すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。
すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番面白い。
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『本物に学ぶ生き方』 小野晋也/著 致知出版 2009年発行
教育者の使命――日本の教育道 森信三(もりしんぞう) (一部抜粋しています)
教育に関係するすべての人が何らかの共感を持ち合うような社会。そういう社会づくりが必要なのではないでしょうか。そのために、ここでは教育者の教育者といわれた森信三の言葉に耳を傾けたいと思います。
自らが学生や子どもに教育するというだけでなく、全国各地の教育者のところを巡り、その人たちに教育とはどういうものであるか、その具体的なやり方まで含めて、指導に当たった人です。
森信三は明治29(1896)年、愛知県知多郡で生まれ、京都大学哲学科に学びます。その後、いろいろな場で教壇に立ち、65歳で神戸大学教育学部教授を退官しますが、その後日本各地を歩き、教師に、教育とはこのようにやるべきだ、こう考えるべきだと説いてまわりました。たくさんの著作も残し、97歳で亡くなりました。
その膨大な思想体系の中から、教育という観点から私自身の心に触れた言葉を取り上げながら、森信三の考え方をお話ししようと思います。
森信三の最も有名な言葉は「人生二度なし」です。
そもそもこの世の中のことというものは、たいていのことは多小の例外があるものですが、この「人生二度なし」という真理のみは、古来ただ1つの例外すらないのです。
こう言います。だから、この一度限りの人生をどう生きるかということが、その人にとっての最大の課題なのです。
教育の真の原点とは、まず教師自身がこの二度とない人生をどう生きるかという心の落ち着きどころをつかまえなければならないということなのです。その思いの下に、全力を尽くして、子どもに伝えるべきものを伝えていく。これが教師の使命です。
そして、その伝えるべき一番大事なものとは人生の生き方です。
教育とは、人生の生き方のタネ蒔(ま)きなり。
と森は言います。子どもたちに対して、人生というのはこういう生き方をすべきものなのだと説く。説いたからといって、全部の芽が出るかはわかりません。わからなくてもそれを説き続け、その中で芽を吹いてくるものを楽しみに待つ。これが教育の姿なのであると言うのです。
だから、次のようにも言います。
教育とは、流水に文字を書くような果(はか)ない業である。だが、それを厳壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。
教師がいくら情熱を傾けて子どもたちに語りかけても、それがすべて芽を吹いてくるわけではありません。教えたから子どもたちの身についたかと思っても、あまり身についていないように見えるときもあります。流水に文字を書くというのは、いくら文字を書いてもあっという間にかき消されてしまうという例えです。
教育というのはそういうものであって、いくら精魂込めて取り組んだとしても、それがすべて残っているということはあり得ないのです。あっという間に消えていってしまうようなむなしさを、一方で感じながらやっていく仕事なのです。
しかし、そういうものであったとしても、教育者自身は、そそり立った厳壁にしっかりと文字を刻み込んでいくのだという覚悟で取り組んでいかないと、教育はできません。それだけの真剣さを持たなければならないのが教育なのです。
そして、さらにこう言います。
生命(いのち)の呼応をなくして何ぞ教育あらんや。
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森信三 Google 検索
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