じじぃの「日本のモノ作り・部品メーカーよ・群れを成して大陸(中国)へ渡れ!ガイアの夜明け」

ガイアの夜明け - 12.04.24【ニッポンの生きる道②どこでモノづくりをしていくのか】 Pideo 動画検索
http://www.pideo.net/video/youku/ebe8ad2f02c2b79d/
新しい移民時代、幕開け 2012年 中小企業の海外進出本格化 2012.1.1 SankeiBiz
震災、超円高少子高齢化、縮小する国内市場…。次々に降りかかる難題に覚悟を決めたかのように、日本企業の海外進出が本格化している。2012年は、大企業だけでなく中小を含む日本経済全体にとって、「大移動時代」の幕開けとなりそうだ。そんな時代の脈動を、中国から報告する。
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120101/bsg1201010501003-n1.htm
中国・丹陽市、日系車部品向け工業団地を造成開始 2010年11月29日 日刊工業新聞 Business Line
中国・丹陽市は12月にも日系自動車部品メーカー向け工業団地の造成を始める。敷地面積21万平方メートルに延べ床面積15万平方メートルのレンタル工場を建設する計画だ。投資額は明らかにしていない。工場は1小間1000平方メートルで、3年間賃料無料。中国進出を目指す中小自動車部品メーカーが多く、日系企業を誘致したい丹陽市がこうした状況に対応した。
丹陽市が造成する工業団地は上海から電車で1時間程度の場所にあり、近隣の港(鎮江)まで15キロメートルの距離。建設するレンタル工場15万平方メートルのうち、4分の1を年末から建設に入る。現段階で進出を決めている企業は10社という。
丹陽市は日本をはじめ韓国、欧州など600社以上の自動車関連企業が集積し「中国自動車工業協会に認められた唯一の自動車部品製造基地」(李剛男丹陽市開発区管理委員会主任)という。中国は自動車産業の育成には品質を左右する部品産業の集積が欠かせないとしており、丹陽市も外資を含めた部品メーカーの誘致に力を入れている。
日本の中小自動車部品メーカーの中国市場への進出をめぐっては、日本貿易振興機構ジェトロ)が12月に広州・武漢で実施する「中小自動車部品企業ミッション」に「定員60人のところ、80人が応募してきた」(ジェトロ海外調査部の藪内正樹上席主任調査研究員)との状況で、依然として高い関心度を示している。
http://www.nikkan.co.jp/kogyodanchi/k-news/overseas/k101129a.html
ガイアの夜明け 「ニッポンの生きる道"第2弾 どこで"モノづくり"をしていくのか」 2012年4月24日 テレビ東京
【案内人】江口洋介 【ナレーター】蟹江敬三
ニッポンの製造業が喘いでいる。一服したものの、まだまだ続く円高や、震災、さらには高い人件費など、六重苦ともいわれる逆風が吹き、日本で"モノづくり"の現場を維持することが困難になっている。この10年でさらに進んだ空洞化が一層加速していくのか・・・。そんな中、日本の"モノづくり"の灯を消すなと立ち上がった人々がいる。日本に残って戦う企業、敢えて外に出ることで生き残りを図る企業。次の10年を見据えて選択した、それぞれの"道"を取材する。
●中国にできないことをやって生き残れ! 〜NECパーソナルコンピュータ
●国内100万台生産を守れ! 九州独立宣言 〜日産自動車
●部品メーカーよ 群れを成して大陸へ渡れ 〜元トヨタマン・東和男氏〜
 海外移転が進む自動車業界。下請けで部品を作るメーカーは厳しい状況に追い込まれている。国内では仕事が減り、海外に進出しようとも一社単独ではなかなか決断できない。そこに、中国に"ニッポン中小企業村"を作り、まとまって乗り込もうと呼びかける男が現れた。トヨタ自動車で中国事業を担当してきた東和男さん(64歳)だ。去年7月に退社し、退職金をつぎ込んでこのプロジェクトに乗り出した。上海の近く、丹陽市に東京ドーム55個分の工業団地を造り、最大で400社の日本の中小企業を誘致する計画だ。さらに販路や人材採用なども東さんが手掛け、単体では海外進出に二の足を踏む中小企業の背中を押す。「小アジが群れになってクジラのように大きく動いていかなければ中国の部品メーカーに勝てない」と狙いを語る東さん。敢えて外に出ることで、日本の部品メーカーを守ろうという戦略だ。
 藁をもすがる思いで参加する中小企業が出始めた。愛知県内で塗装を手掛ける中小企業は、「国内だけにこだわっていては座して死を待つのみ。国内と海外を足してトータルでプラスになれば」と参加を決めた。
 しかし、参加する企業は東さんが期待するほどは伸びていかない。さらに、中国でのビジネスは決して予定通りは進んでいかない。次から次へと降りかかる難題で延び延びになるニッポン村の建設。元トヨタマンと決死の覚悟で乗り込んだ中小企業の二人三脚の挑戦、その理想と現実を追う。
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber3/preview_20120424.html
どうでもいい、じじぃの日記。
4/24、テレビ東京ガイアの夜明け』で 「部品メーカーよ 群れを成して大陸へ渡れ 〜元トヨタマン・東和男氏〜」を観た。
大体、こんなことを言っていた。 (手抜きしている)
海外生産比率
           2001年     2010年
自動車      40.6%  → 57.8%
パソコン     33.8%  → 48.6%
デジタルカメラ  25.9%  → 71.5%
パソコンの平均単価
2005年 14万3000円  →  2011年 7万8900円
自動車海外生産比率 (2010年)
日産   72%
トヨタ   57%
日産の世界販売台数(2011年4〜11月) 13.6% UP
日産の自動車は2011年、13.6%もアップしました。その一方で、日本の雇用とモノづくりを守るため、国内で100万台生産し続けると公約しています。
鍵を握るのは福岡県にある「日産自動車九州」という子会社。日産は栃木県と神奈川県にも工場を持っています。しかし去年10月九州工場を子会社化し、今後ここを主力にすると宣言したのです。
国内で生産する車のうち、5割以上をこの九州で生産することになります。その大きな理由が中国や韓国に近いため、安い部品を調達しやすく、輸出もしやすいメリットがあるからです。
九州の工場で、会社の役員が工場の従業員一人一人と握手している映像が出てきた。
この日は日産の滋賀さん(COO)がやってきました。
滋賀さん、「日本の自動車産業の立地としては非常に有効な場所かな。それと、九州と海外がうまくつながることによって、円高に対抗できるモノづくりをしていきたい」
九州の賃金水準が首都圏よりもおよそ2割低いのもメリット。トヨタダイハツなどライバルメーカーも九州での生産を強化しています。国内のどこでモノづくりをするかということも、今後の生き残りのポイントになっていました。
滋賀さん、「これだけの雇用を抱えているモノづくり産業が根こそぎ日本から出て行ったときに、次に何が雇用の受け皿になるか想像がつかない。我々自身もそれを守っていく努力は最大限やっていく」
名古屋市にある自動車のスピードメーターなどの部品を作っている「光金属工業所」の建物の映像が出てきた。
社長の高木さん(女性・57歳)は、売上が減少していくのに危機感を感じています。
大手の必死の時代、さらに苦しいのが中小企業の部品メーカーです。そんな中小企業を救おうと立ち上がった男、東和男さん(64歳)。突拍子のないことを言い始めました。
「日本を海外から支えるしかない。そこで”特別バス”を用意しました」
男の言う”特別バス”の正体とは。
愛知県・幸田町にある「幸南工業」の建物が映像に出てきた。
愛知県中部に位置する幸田町。自動車部品メーカーが集まる町です。ここに創業42年の会社「幸南工業」があります。手がけているのは主に自動車部品の錆止め塗装。どんな形状の部品でも均等に塗装できる技術を持っています。幸南工業は自動車部品の塗装を請け負う3次部品メーカーにあたります。こうして塗装した部品を1次や2次の品メーカー150社に納めています。現場を取り締まるのは副社長の宮崎さん(65歳)。
宮崎さん、「日本国内では仕事が無い。これからもっと減る。海外も視野に入れていかないと」
しかし、海外に進出したくても、ノウハウもパイプもありません。
そんななか、スピードメーターの高木さんや塗装メーカーの宮崎さんたちが東さんのセミナーに参加しました。
東さん、「小アジが群れになってクジラのように大きく動いていかなければ、中国の部品メーカーに勝てない」
       ・
中国 上海市の北に位置し、南京市に近い丹陽市。丹陽市の市役所の建物の映像が出てきた。
こちらは丹陽市の市役所。東さんが訪れたのは丹陽市の産業振興の責任者 李さん。トヨタ時代からの旧知の仲です。東さんはこうした人脈を活かし、土地・建物を3年間、無償という破格の条件を引き出したのです。そこには丹陽市の思惑も。
李さん、「丹陽を中国で最もレベルの高い自動車部品の町にしたい。ですから、日本企業が揃って進出してくれるのを大いに歓迎します」
丹陽市の中心にあるビル。東さんはここに事務所を構え、日本部品村構想の実現に心血を注いでいました。今後は進出企業のため、人材の確保や取引先の紹介も行う予定です。
今はまだ利益が出ていませんが、この仕事に第2の人生を賭けたのです。
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まだ、建設途中で鉄の骨組がむき出しになっている工業団地の映像が出てきた。
2月中旬、現地では問題が起きていました。完成しているはずの工業団地は工事がストップしていました。
丹陽市のミスで業者への支払いが行われず、作業者がストライキを起していました。助けを求めて、幸南工業の宮崎さんが東さんの事務所にかけつけていました。納品の期日が迫っていたのです。
宮崎さん、「この仕事の受注がこけると、何億円の損害になる」
東さんが丹陽市の幹部のところに乗り込みました。部屋に入り込み、直談判です。
3月中旬、建設が遅れていた中国の日本部品村。幸南工業の宮崎さんが乗り込んで来ていました。すでに仕事を受注していた宮崎さん。工場が気になります。
見た目では、工業団地が完成近くになっている映像が出てきた。
悪天候が続き、工事はあまり進んでいませんでしたが、ただ1つだけ完成した建物がありました。幸南工業の建物でした。東さんが市の役人と交渉してくれたことで、優先的に建設が進んだのです。
この日、いよいよ、工場のスイッチを入れます。取引先が納品の期日を1ヵ月待ってくれました。しかし、これ以上の遅れは許されません。
およそ1時間後、塗装された部品が出てきました。社運がかかった中国での初仕事。出来はどうでしょうか?
宮崎さん、「OK! 初めての生産だから、日本と同じものができただけでとりあえず良かった」
そこに東さんがやってきました。大事に抱えてきたのは日本酒。お祝いです。
みんなで、「乾杯!」
そして、もう一人やってきた人が。あのスピードメーターを作る会社の社長 高木さんです。
高木さんも部品村への進出を決めたのです。今年の夏にはここで操業を開始する予定です。
高木さん、「日本では開発力や商品力をつけることを一生懸命にやる。中国ではそれらを作って販売する。その利益をもって日本でさらに開発していく。そのいい循環を作っていきたい」
今年中に、50社が参加する予定。そして3年後には400社が一丸となり、中国市場で稼いで日本を支えていく計画です。
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じじぃの感想
2005年 14万3000円  →  2011年 7万8900円
パソコンの平均単価が5年で約半値になっているんだ。すさまじいな。
「国内のどこでモノづくりをするかということも、今後の生き残りのポイントになっていました」
3.11 東日本大震災で壊滅的被害を受けた中小企業が、なかなか立ち直れないでいることと、関係があるのかもしれない。
「日本では開発力や商品力をつけることを一生懸命にやる。中国ではそれらを作って販売する。その利益をもって日本でさらに開発していく。そのいい循環を作っていきたい」
じじぃはじっと、見守るだけだ。頑張れ!