じじぃの「世界遺産・ベルサイユ宮殿と庭園!ソ連東欧紀行」

ヴェルサイユ宮殿1(ヴェルサイユ宮殿)日本語ナレーション 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DSiQpHsvfv8&feature=related
Chateau de Versailles 4,d'expression Francaise 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=N-w-LO-9PZg&feature=relmfu
完成から300年 華麗なる世界遺産 ヴェルサイユ宮殿と庭園 2012年1月2日 BS朝日
ヴェルサイユ宮殿は1662年に、ルイ14世が着工し、莫大の費用と49年の歳月を費やして1711年に完成した絢爛豪華な宮殿。2011年はヴェルサイユ宮殿完成300周年という記念すべき年でもありました。
http://www.bs-asahi.co.jp/versailles/
世界遺産ライブラリー [ヴェルサイユ宮殿と庭園] NHK世界遺産
パリの南西20キロに位置するヴェルサイユ。輝く太陽にもたとえられ「朕(ちん)は国家なり」という言葉を残したルイ14世は、王の絶対的な権力を示すため、17世紀、この地にヴェルサイユ宮殿を建てました。その建造物、彫刻、装飾の豪華さと美しさは、当時ヨーロッパ中の人々を驚かせ、100年にわたってヨ−ロッパにおける理想的な王宮宮殿のモデルとなりました。
「シリーズ世界遺産100」では、ヴェルサイユ宮殿の時計職人ベルナールさんの案内で、当時の王の暮らしぶりやお気に入りの庭などを紹介します。ルイ14世の1日は、「起床の儀」から始まり、儀式のように時計に合わせて正確に決められていました。分刻みの多忙な生活の中、王が安らぎを求めたのは午後の庭の散策でした。幾何学的な模様を描く広大な庭園には、セーヌ川から水を引くという大工事によって大小1400もの噴水が設けられたといいます。当時の給水設備が今でも使われ、時を隔てたヴェルサイユ宮殿を今も華やかに演出しています。宮廷の時を刻んだ、王の特別なカラクリ時計も紹介します。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards056.html
『雑学全書』エンサイクロネット 光文社 2000年発行
ベルサイユ宮殿にトイレがなかったワケ
フランス・ルイ王朝時代の代表的な建築物、ベルサイユ宮殿。その外観、内装は、まさに絢爛豪華の一語に尽きるが、この建物にはトイレがないことでも知られる。
これは、当時の王様をはじめ、宮殿の住人たちは、それぞれ専用のオマルを持っていたから。宮殿の生みの親であるルイ14世ともなると、264個のオマルを持っていたというから、これはもう立派なコレクションだが、困ったのは、専用オマルのない来客である。
結局、彼らは宮殿の庭で、人目をはばかりながら用を足すことが多かったというが、これでは庭が臭くなるばかり。
このあまりのマナー違反に腹を立てた庭師の1人が、ある日、立ち入り禁止の立て札を立てた。この立て札が「エチケット」で、礼儀・作法を意味するエチケットという言葉の語源はここにあったのである。

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ソ連東欧紀行』 森田昌幸/著 犀書房 1992年発行
パリ (一部抜粋しています)
翌日、1日かけてヴェルサイユ宮殿へ出かける。<ノルマンディ>からタクシーに乗る。シャンゼリゼ通りの石だたみを走る。耳がじーんとしてくる、凱旋門の横を通過する頃から車の量が少なくなってくるのでとばせる。ブローニュの森の近くの交差点で信号待ちをしていると、横に白い車が並んで止まった。どこかで見たような車種だと思ってよく見ると、ホンダの<プレリユード>である。左ハンドル仕様で若い女が運転している。どういうあけか運転席のドアに釘か何かで1メートルばかり傷をつけられている。しかも修理しないでそのまま走っている。日本人だったら即日修理に出すところである。フランス人でありながら日本の車に乗っているのは許されないのか、明らかにいやがらせの傷である。
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ヴェルサイユはかなりの人出でにぎわっていた。ヴェルサイユ条約調印の部屋にはいるには、やはり並ばなければならないので、やめて庭園を散歩する。ベンチに腰をおろし、朝食のルーム・サービスで残ったパンをかじりながらのんびり花壇を眺めていると、しばし心が休まる。庭園はすべて円か直線で出来ている。京都の金閣寺や宇治の平等院などの庭と比較すると、まったく別の発想だと思う。自然を取り入れるという考え方ではなく、完全に人工の庭である。そこには人間の知恵、人間の力に対する自信があふれている。人間は自然の征服者という観がある。その昔、ヴェルサイユの地は一面の湿地帯であったという。湿地帯を全部埋めつくして宮殿を建てたわけである。せめて一部でも湿地帯を残し、自然のままに観賞するという考え方はなかったのであろうか。放射状に走る道と並木、幾何学模様の花壇、円形の噴水などは自然を感じさせない。たしかに見てきれいだと思うが、大自然が人間に与える圧倒されるような感激はない。人の手がまったく加えられていないシベリアのタイガのほうが、人間に自然の雄大さを物語ってくれる。金閣寺平等院は小さくて箱庭的であるが、こちらに与えるものは、真面目さ、質素、反省、謙虚、寂しさ、はかなさである。ヴェルサイユの庭園を見て、謙虚な気持ちになったり寂しくなぅたりする人間はあまりいないだろう。逆に人間は何でも出来るという気にさせられてしまう。どちらがいいか、これはむづかしい。庭園全体を歩くと、また足が痛くなるので、宮殿の建物を見てまわる。
フランス国王ルイ13世が狩の場として使用したのが、このヴェルサイユの地であった。パリ郊外20キロほどに位置する。中央に鎮座するバロック様式の宮殿本体は、南北に翼が拡がって長さ600メートルにおよぶ。ルイ14世によって建築されただけあって華麗な宮殿である。フランス絶対王政の権力とは、かくも強大であったかと思い知らされる。皇居が何だか急に小さくなったように感じる。
しかし宮殿が栄光の中にあったのもルイ15世までで、その後はブルボン王朝の衰退と運命を共にし、1789年のフランス革命勃発時には、三部会がこの宮殿で召集され、第三階級出身の議員達が王権と対立し、王権を抑え込んで国民議会を樹立した。いわばフランス民主主義発祥の王宮である。フランス革命の大混乱の中で、食料不足に悩むパリ市民が、主婦を中心に<パンをよこせ>のスローガンのもと宮殿へ押しかけ、ルイ16世一家をパリへ引っ立てて行ったいわくつきの王宮である。いわくは19世紀にもあり、1871年普仏戦争に勝利したプロイセンは、カイザー・ウイルヘルム1世が<鐘の間>でドイツ皇帝の即位式を行い、ドイツ帝国の成立を宣言した。太平洋戦争で勝利したアメリカが、皇居で大統領就任式を行う以上の見せつけである。パリ市民にとっては痛恨の涙も出なかったことであろう。
19世紀の仇は20世紀になってフランスにより晴らされた。1919年6月28日、第一次世界大戦で勝利したフランスは、同じくこの宮殿で、ドイツに対する戦後処理の講和生薬を集結させる。いわゆるベルサイユ条約である。このベルサイユ条約でフランスは、ドイツが二度と立ち上がれないように抑えつけてしまった。ドイツのフランスに対する復讐は、この日から始まる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、森田昌幸著 『ソ連東欧紀行』という本を見ていたら、「ヴェルサイユ宮殿」が出てきた。
フランスはヨーロッパの中心の国だ。世界遺産も多いに違いない。
ネットで「世界遺産登録数」をキーに検索してみた。
1位.イタリア 47件、2位.スペイン 43件、3位.中国 41件、4位.フランス 37件になっている。日本は14位で16件だ。(2011年)
フランスに37ある世界遺産の中で最も人気があるのは、何と言ってもヴェルサイユ宮殿だ。ヨーロッパで最大規模の宮殿というだけでなく、他のヨーロッパ諸国の宮廷建築にも影響を与えた建築物である。ヴェルサイユの宮殿と庭園は1979年、フランスの世界遺産第1号となった。
「フランス国王ルイ13世が狩の場として使用したのが、このヴェルサイユの地であった。パリ郊外20キロほどに位置する。中央に鎮座するバロック様式の宮殿本体は、南北に翼が拡がって長さ600メートルにおよぶ。ルイ14世によって建築されただけあって華麗な宮殿である。フランス絶対王政の権力とは、かくも強大であったかと思い知らされる」
ヴェルサイユ宮殿はフランス国王ルイ14世からルイ16世の住まいだったところである。
マリー・アントワネットルイ16世に嫁ぎ、フランス革命で断頭台の露と消えた。
「たしかに見てきれいだと思うが、大自然が人間に与える圧倒されるような感激はない。人の手がまったく加えられていないシベリアのタイガのほうが、人間に自然の雄大さを物語ってくれる。金閣寺平等院は小さくて箱庭的であるが、こちらに与えるものは、真面目さ、質素、反省、謙虚、寂しさ、はかなさである。ヴェルサイユの庭園を見て、謙虚な気持ちになったり寂しくなぅたりする人間はあまりいないだろう。逆に人間は何でも出来るという気にさせられてしまう。どちらがいいか、これはむづかしい」
どちらがいいか、これはむづかしい、か。
比べて見るためには、一度、ヴェルサイユ宮殿に行く必要がある。
じじぃの夢は枯野をかけめぐる。