じじぃの「人の死にざま_860_ヨハネ(使徒)」

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12使徒
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レオナルド・ダ・ヴィンチ 最後の晩餐 画像
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エスの隣に座る使徒ヨハネ(向かって左)
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ヨハネ使徒 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
使徒ヨハネは、新約聖書に登場するイエス使徒の一人。洗礼者ヨハネと区別するために特に「使徒ヨハネ」と呼んだり、ゼベダイの子ヨハネ、福音記者ヨハネと呼ぶこともある。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。
ヨハネは兄のヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、ナザレのイエスと出会い、その最初の弟子の一人となった。
古い伝承では使徒たちの中で唯一殉教しなかったとされる。イエスの母マリアを連れエフェソスに移り住んだヨハネは、のちパトモス島に幽閉され、そこで黙示録を記した。釈放されてエフェソスに戻り、そこで没した。福音書を書いたのはパトモス島から釈放された後、老年に達してからで、弟子プロクロスが口述したと伝える。またアトス山修道院を開いたのは、ヨハネに伴われたイエスの母マリアであるとする伝説もある。
教会では伝統的には『ヨハネによる福音書』、『ヨハネの手紙一』、『ヨハネの手紙二』、『ヨハネの手紙三』、『ヨハネの黙示録』が使徒ヨハネによって書かれたとされてきたが、高等批評の影響を受ける近代聖書学ではそのような見解を支持しない学者が多い。ただし、保守的な立場では今も伝統的な理解が保持される。

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『世界と日本の怪人物FILE』 歴史雑学探究倶楽部/編集 学研 2010年発行
災厄と流血に満ちた黙示録の著者 聖ヨハネ (一部抜粋しています)
ヨハネの黙示録」――それは屠(ほふ)られた子羊(=イエス・キリスト)によって、神の手にある預言書の7つの封印が解かれたとき、7つの災いが人類に降りかかるという最後の審判の光景を、象徴的表現で描いた「新約聖書」の最期を飾る書である。終末預言としては最も有名であり、キリスト教徒以外にもその名は知られている。
だが、それを書いたとされる聖ヨハネ自身については、少なくとも日本ではあまり知られていない。
ヨハネはイエスの直弟子で、12使徒のひとりである。よく混乱するところなのだが、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネとは同名の別人だ。
父はガラリア(イスラエル北部地区にある湖)の漁夫ゼベダイで、同じく12使徒である聖ヤコブが兄になる。神の子として宣教を始めたイエスの最も早い時期の弟子で、イエスにつき従って各地を放浪した。
伝統の解釈では、イエスとともに宣教の旅についた頃のヨハネはまだ少年といってよいほどの年齢であり、イエスからは特別に「愛する弟子」と呼ばれていた。若年とはいえ、イエス自身の死後の母マリアの世話を依頼されるほど、厚い信頼を受けていたようだ。
また、イエスが囚(とら)われの身となる直前に弟子たちと食事をした、いわゆる「最後の晩餐」の折りには「み胸近く席についていた」と記されており、イエスからまるで弟のように可愛がられていたのではないかと考えられてきた。
レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、聖書の物語を絵にした画家たちが、聖ヨハネを髭(ひげ)も生えない美しい少年に描くことが多かったのは、これらの記述に影響されてのことだろう。
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だが「新約聖書」には、それとはまったく異なるイメージの聖ヨハネが描かれている。
たとえば「ルカの福音書」にはこんなエピソードがある。
エスは死期を悟り、エルサレムに向かう決意を固めた。そこで、先に使者をサマリア人の村に派遣し、イエスを迎え入れる準備をしようとしたのだが、村人はイエスを歓迎しなかった。
それを見たヨハネは、兄ヤコブとともに「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」などという恐るべき発言をするのだ。もちろん、イエスはふたりを戒(いまし)めるのだが、これも若さゆえの暴走と考えるべきなのか。少なくとも、そこに描かれたヨハネには、思慮深く、穏やかな聖人という印象はない。
このようなエピソードに表れているように、ヨハネヤコブの兄弟は、短気なうえにとてつもない激情型だったようで、イエスからは「ボアネルゲス」(雷の子ら)というあだ名を頂戴しているのだ。
実は、「ヨハネの黙示録」は聖ヨハネの書いたものではないという説もあるのだが、あの破壊と流血に満ちた阿鼻叫喚(あびきょうかん)の黙示録が彼の手によるものとされたのは、案外こんな気性に理由があるのかもしれない。

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