ヘビーローテーション / AKB48 カラオケ練習用 ライブ映像 (リメイク版) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WTxWLGu7omY&feature=related
Story KARAOKE 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=IdgxgSQ46GY
KARAOKE的發明 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=u2QlJHAZjJY
カラオケ発明者の井上大祐氏がBBCの人気番組に登場-英語動画で無料リスニング学習 動画あり
1971年にカラオケを発明し、ビジネスとして成功させたカラオケの父こと井上大佑さんがイギリスBBCの日本のサブカルチャー紹介番組「Adam & Joe Go Tokyo」に出演し、バンドマンであったことがカラオケの発明につながったエピソードや、カラオケへの姿勢についてコメディアン、アダム・アンド・ジョー(Adam and Joe)と会話している動画です。KARAOKEは今や世界に誇る日本発祥の文化の一つです。
http://youtubelistening.blog116.fc2.com/blog-entry-186.html
KARAOKE Google 検索
http://www.google.co.jp/images?q=KARAOKE&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivns&ei=JpZhT_S_OqXJmAXC5ImKCA&start=10&sa=N&oi=image_result_group&sa=X
カラオケ発明者「井上大佑」タイム誌に掲載されました! S.I.P Corp.
http://www.sip-planning.com/karaoke/time.html
カラオケ発明者「井上大佑」イグ・ノーベル賞を受賞 S.I.P Corp.
2004年9月30日 アメリカ ハーバード大学の講堂で、「Ig Nobel Prize Ceremony(イグ・ノーベル授賞式)」が開催された。そして授賞式の壇上に立つ1人の日本人。そう井上大佑である。
イグ・ノーベル賞とは直訳すると「愚かなノーベル賞」。「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して与えられ、選考には本家ノーベル賞受賞者も加わる。
http://www.sip-planning.com/karaoke/ignobel%20.html
カラオケ ウィキペディア(Wikipedia)より
カラオケとは、歌唱またはメロディパート(主旋律)を担う楽器を演奏する際に、生演奏ではなく事前に録音された伴奏を再生し合唱・合奏する行為をいう。1970年代以降、演奏装置そのものを「カラオケ」と呼ぶ機会も増えている。
【カラオケの発祥】
カラオケのカラは「空」、オケは「オーケストラ」の略で、楽団・楽隊による生演奏ではなく、レコードやテープでで代用することを指し、放送業界で用いられている。一説にはNHK交響楽団員らの雑談から出た言葉という。
録音機材が発達する前は、放送は基本的に生放送で行われていたが、次第に録音素材が用いられるようになり、費用が掛るオーケストラを準備させずとも予め録音した「カラオケ」に歌手の唄を重ねることが技術的に可能になると、番組制作経費の削減目的で普及した。
1970年以前には、日本では既にハードウェアとしてはマイク入力つきの8トラック式小型ジュークボックスが、また、ソフトウェアとしては伴奏用ミュージックテープが販売され、これらを使って歌を歌わせる店が出現していた。初期の8トラック式小型ジュークボックス装置としては、1967年に発売された根岸重一による国際商品のミュージックボックスや、1968年に発売された浜崎厳によるミニジューク等がある。
バンドマン出身の井上大佑は、カラオケ関連サービスと専用装置を1971年に発明したと主張している。井上は8トラック再生機に、予め用意された調やテンポから選択して再生、歌唱できるテープを添付し、「8 Juke(エイトジューク)」と名づけてリース販売したことで、人気を博した。初期にはコイン式の有料再生装置で、テープ1本当り4曲、10本セットの計40曲で、料金は5分で100円でスナック等に設置された。
【オリコンカラオケチャート長期1位楽曲】
連続1位週数 曲名 アーティスト 1位達成年月日
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48週 ヘビーローテーション AKB48 2010年11月1日 - 2011年9月26日
42週 花 ORANGE RANGE 2004年11月29日 - 2005年9月12日
37週 キセキ GReeeeN 2008年6月23日 - 2009年3月2日
井上大佑 ウィキペディア(Wikipedia)より
井上大佑(いのうえだいすけ、本名:井上祐輔、1940年5月10日 - )は、カラオケの発明者を自称する人物。
最近の研究では、井上よりも先にカラオケを発明、商業化していた人物として根岸重一や浜崎厳(元ミニジューク大阪社長)らの存在が明らかになっており、井上には「初めてカラオケのビジネス化に成功した人物」という評価が与えられている。
【著作権の販売問題】
著作権は著作物の表現についての権利であり、そもそも発明のようなアイデアを保護するものではない。また、井上はカラオケの装置やシステムの発明について特許権を取得していない。したがって、たとえ「カラオケを創った男」という著作物の著作権を購入しても、カラオケの装置やシステムのロイヤリティーの配当を得ることはできない。なお、著作権の登録制度は権利の移転の公示等の目的で設けられ、申請があれば基本的に全て登録されるものであって、特許のように審査を経て一定の要件を満たした発明だけを登録するといった制度ではない。
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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
世界初のカラオケ第1号機 「エイトジューク」 (一部抜粋しています)
老若男女、そして年代を問わない娯楽の代表選手といえば、「カラオケ」。誕生からわずか30年で1兆円産業にまで発展し、今や「KARAOKE」は世界の共通語だ。アメリカでは鬱病の治療にも使われているというから、すでに娯楽の域を越えていると言えよう。
平成11(1999)年、アメリカ タイム誌が「20世紀に最も影響のあったアジアの20人」として、ガンジー、毛沢東、黒澤明監督らとともに選んだ日本人、井上大佑。彼こそ昭和46(1971)年、世界で初めて「カラオケ」を作ったその人である。
井上は高校在学中から神戸のダンスホールなどでバンドマンとして活躍。客の歌に合わせて伴奏をしていた。そんなある日、得意先の一人が「主張先の会合で伴奏を」と依頼してくる。井上は実際に行く代わりに、歌の伴奏を録音したテープを渡したところ、これが意外に好評。当時、聴くことを目的にしたジュークボックスはあったが、歌うことだけを目的としたものはなかった。かねてから「演奏に合わせて客に歌わせるのではなく、その人に合わせて伴奏をし、気持ちよく歌ってもらいたい」と思っていたこともあり、マシンにメロディを吹き込み、それに合わせて歌わせるという「カラオケ・ビジネス」を思いつく。
そして昭和46(1971)年、カーステレオにアンプとマイクをつけ、100円で5分間動くマイマーを組み込んだ、第1号カラオケ機器「エイトジューク」を誕生させたのである。
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井上が72年に設立したカラオケ機器を扱う㈱クレセント(平成10年に倒産)は業界の草分け的存在で、後に続けとばかりに73年頃からさまざまなメーカーがハード、ソフトの両面でカラオケ・ビジネスに乗り出していった。個室で歌える「カラオケ・ボックス」などのヒットもあって、あっという間にカラオケは国民的娯楽に成長していく。やがてアジアやアメリカをはじめとして広く普及し、世界中の人々が自分の声に酔いしれるようになったのである。
日本発の文化として世界に認知されたカラオケ。その発案者である井上はタイム誌において歴史的人物と肩を並べ、次のように評された。
「彼は20世紀の庶民に『声』を与え、毛沢東やガンジーにも匹敵するような変化をアジアにもたらし、マドンナやシナトラになりたいと願っている人々に福音をもたらした」
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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「世界初のカラオケ第1号機 『エイトジューク』」というのがあった。
「昭和46(1971)年、カーステレオにアンプとマイクをつけ、100円で5分間動くマイマーを組み込んだ、第1号カラオケ機器『エイトジューク』を誕生させたのである」
昭和46年か。ネットで「昭和46年」をキーにして調べてみた。大鵬が初場所千秋楽で32回目(最後)の優勝をした。沖縄返還協定の調印式が行われ、沖縄は日本に戻ってきた。キッシンジャー米大統領補佐官が中国を極秘訪問した。マクドナルド日本第1号店が銀座にオープンした。成田空港第二次強制代執行実施し学生と衝突して警官3人が死んだ。日清食品が「カップヌードル」を発売。NHKがテレビ全放送のカラー化を開始した。ジャイアンツがパ・リーグの覇者阪急を下し日本シリーズ7連覇を達成した。テレビでは「天才バカボン」、「ゲゲゲの鬼太郎」、「仮面ライダー」が放映開始した。尾崎紀世彦が「また逢う日まで」を、加藤登紀子が「知床旅情」を、欧陽菲菲が「雨の御堂筋」、「雨のエアポート」を、ジョン・レノンが「イマジン」を歌っていた。映画では「007 ダイヤモンドは永遠に」がヒットした。日本の円が固定相場制から円変動相場制移行した年であった。
「個室で歌える『カラオケ・ボックス』などのヒットもあって、あっという間にカラオケは国民的娯楽に成長していく。やがてアジアやアメリカをはじめとして広く普及し、世界中の人々が自分の声に酔いしれるようになったのである」
じじぃは朝起きて、顔を洗う時に鏡に自分の顔が写らないようにしている。まして「自分の声に酔いしれる」なんて、とんでもないことである。