じじぃの「はじめチョロチョロ・なかパッパ・東芝自動式電気釜!国産はじめて物語」

RC-18VGDの炊飯開始から41時間、真空ランプの切れる瞬間 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=y4Nc3-9J15Q
’79-93 家電CM集 vol.5 炊飯器 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=OXijKLwl69c
秋葉原で家電「爆買い」中国人観光客が急回復(12/01/23) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=C1F658p5Gis
炊飯器業界の市場シェアデータ速報 トレンドサーチ 価格.com
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炊飯器 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場である「光伸社」の三並義忠である。釜を三重化する方法を採用することで、実用的な炊飯が可能となった(これは空気の層による保熱機能で、温度を高めるようにしたもの)。
やがて1955年(昭和30年)に自動式電気釜という名で東芝から製品化されたときには、「二重釜間接炊き」という方式が導入された。これはバイメタル技術を利用したもので、自動式で電源OFFにする機能である。このおかげで、いったん電源ONにすれば、あとは自動的に電源OFFになるので、炊飯中に常時見張っている必要がなくなった。さらに、自動的に電源ONになるタイマーも別途併売された。これらにより、電源のON・OFFが自動化されたので、いったんタイマーをかけておけば、夜眠っている間に炊飯されて、朝起きたら炊き上がっているようになった。全自動化されて便利だったため、電気釜は大ヒット商品となった。(東芝内では製品化する際、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対、または製品化しても売れないという声もあった)
【国外から見た日本の炊飯器】
1980年代以降、中国、韓国など、米食を主体とする国でも、電気炊飯器が製造・販売されているが、価格競争重視のため単純な炊飯機能のみの単機能モデルがほとんどであった。
このため、日本に観光目的でやってくる高所得者層から出稼ぎでやってくる労働者まで、上手に美味しく炊ける日本国内向けの多機能炊飯器を土産に選ぶケースも多かった。しかし、日本国内向けに販売されている炊飯器はほぼ全て100V専用品のため電圧の差などの関係で日本国外ではそのまま使用できないケースもある。なお、秋葉原などの電気街に行くと、外国人観光客向けに115V/120V/200V/240Vなど、様々な国の電源に対応した多種多様の炊飯器が販売されており、観光客が英語などで表記されている炊飯器の箱を持っている姿が見られる。
また、これらの炊飯器は、日本の粘り気のある米(ジャポニカ米)を炊くために加熱パターンなどを最適化しており、特にインディカ米(タイなど東南アジアなどで広く栽培されている長粒種)をこれで炊くと、美味しく炊けない場合が多い。これは1993年米騒動の際に日本の消費者にも広く知られることとなったが、この問題では炊飯器が古くからの伝統的な食生活を崩していると見る者もいる。
本来、インディカ米には鍋で沸騰させた湯に投じて茹で、煮上がった所で湯を切って蒸らす湯取(ゆとり)という調理法を取る。これは日本の水加減を調節するやりかたとの違いが大きいが、これを炊飯器で再現させる事が難しい。このためインディカ米を日本の米と同じように(やや水を多めにして)炊く事となるが、伝統的な調理法と比べると、どうしても風味が違ってしまうようだ。特にチャーハンのように炒めて食べる場合には、炊飯器を使うと、出来た飯の炊け具合が良くない(表面がベタベタする)と言われている。
また、西アジアなど、内釜の底におこげができることを好む地域の場合、日本国内向けの商品では満足できない場合がある。このため、メーカーもこのような地域には、加熱パターンが異なる製品を投入している。

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『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』 レトロ商品研究所/編集 2003年発行
国産初の自動電気炊飯器 「東芝自動式電気釜」 (一部抜粋しています)
「はじめチョロチョロ、なかパッパ……赤子泣いても蓋取るな」。ご飯の炊き方である。火加減、時間、道具……私たち日本人は主食である米をおいしく炊くため、太古の昔からさまざまな工夫を重ねてきた。現代では100パーセント近い家庭で炊飯ジャーが使われており、昔のように火加減など気にせず、スイッチひとつで誰でも手軽にご飯が炊ける。その歴史は昭和30年(1955)年、東芝から発売された「自動式電気釜」の登場で幕を開けた。
同社で新製品開発リストに「電気釜」が挙げられたのは、昭和25(1950)年のこと。既に電気でご飯を炊くという概念はあり、二重釜の内釜底部に発熱体を仕組み、外釜との間にスチームを通して炊き上げるという電気釜が既に発売されていた。しかし自動式というにはほど遠く、普通の釜で炊くのと同じように手間がかかり、燃料費も高くついたため、一般家庭への普及には至ってなかったのだ。そこで東芝では「自動式の電気釜」の開発に着手する。
開発の過程で、同社は米を炊くということを、科学的にとらえ直した。加熱温度と米の湖化との関係を調べ、98度以上になると20分でいわゆる「米が炊けた」という状態になることが判明。98度の温度を作ることは、ヒーターで解決できるものの、20分でスイッチを切るにはどうしたらいいかという問題があった。タイマーで切るという方法も考えられたが、外気温度や水の量と無関係に働く危険性がある。そこで自動温度調節器=サーモスタットを使い、100度で20分間に蒸発する水量を使うという結論に至った。米を入れる鍋と、それを熱する釜の間に水を入れ、その水分がなくなれば、釜底の温度は上がる。そこにサーモスタットを仕掛ければ、完全に自動式の電気釜ができるというわけだ。
ところが試作品のテストを繰り返すうちに、夏はうまく炊けても冬は失敗するという事態が起こった。当時は現在のような低温実験室がなかったため、冬に庭に出したり、寒冷地などで実験を行なった。光伸社という協力会社も得て、昭和30(1955)年、ついに国産第1号の自動電気炊飯器「東芝自動式電気釜」が完成した。
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その後も電気釜は進歩を遂げ、保湿器付きのもの、マイコンが火加減を自動的に調節する機腫などが次々と開発され、現在では「IHジャー炊飯器」が主流になりつつある。「寝ていてもご飯が炊ける時代」から「さらにおいしく炊く時代」へ、今後も自動炊飯器はさらに技術革新を遂げることだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『国産はじめて物語―世界に挑戦した日本製品の誕生秘話』という本を見ていたら、「国産初の自動電気炊飯器 『東芝自動式電気釜』」というのがあった。
「昔のように火加減など気にせず、スイッチひとつで誰でも手軽にご飯が炊ける。その歴史は昭和30年(1955)年、東芝から発売された「自動式電気釜」の登場で幕を開けた」
昭和30年か。じじぃは小学生の頃でよく覚えていないが、ネットで「昭和30年」をキーにして調べてみた。昭和天皇が戦後初めて大相撲を観戦した。アメリカのカリフォルニアにディズニーランドがオープンした。日本住宅公団が設立した。広辞苑岩波書店から発売されベストセラーになった。石原慎太郎が助べえな小説『太陽の季節』を書いて話題になった。映画ではゴジラシリーズの第2作目 円谷英二監督の『ゴジラの逆襲』がヒットした。テレビではNHKで参加者の持つ特技、趣味などを当てる『私の秘密』が始まった。菅原都々子が「月がとっても青いから」を、春日八郎が「別れの一本杉」を歌っていた。自由民主党日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まった年だった。昭和30年代は白黒テレビが発売された頃でもあった。
平塚らいてうは言った。「原始、女性は太陽であった」
女性の苛酷な労働から解放したものに電気洗濯機や電気掃除機がある。電気炊飯器などもその1つなのだろうか。
中国が豊かになり、テレビでよく中国人旅行客を見るようになった。彼らが日本で買うもので必ずといっていいものに「自動電気炊飯器」がある。
こういった家電は原理が分かってしまえば、どこの国でも真似して出来てしまうものなんだろうけど。
でも、彼らの作っている家電製品が、実は元、日本発というのが結構多いんだろうな。
とか、思ったりして。