じじぃの「人の死にざま_776_G・キリコ」

ジョルジョ・デ・キリコ - あのひと検索 SPYSEE
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Giorgio DE CHIRICO 動画 YouTube
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Giorgio de Chirico 動画 YouTube
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The Melancholy and Mystery of a Street
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ジョルジョ・デ・キリコ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico, 1888年7月10日 - 1978年11月20日)は、イタリアの画家、彫刻家。形而上絵画派を興し、後のシュルレアリスムに大きな影響を与えた。
【日本への影響】
日本ではシュルレアリスム系の画家として、キリコとダリの人気はとくに高い。影響例として、吉原治良の作品と難波田龍起の初期の作品を挙げることができる。
フランス経由で紹介されたため、名前のジョルジョをジョルジュとフランス語表記で紹介している例もある。

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『ヨーロッパの不思議な町』 巌谷国士/著 筑摩書房 1990年発行
イタリアの不思議な町 (一部抜粋しています)
イタリアは不思議な国である。イタリアの町々には不思議がみちている。
こういっただけですぐに納得してもらえそうな気もするけれど、まだ早い。曖昧さがのこっている。不思議という言葉をまず限定しておかなければならない。
私が不思議というのは、例の、変だな、なぜだろう、と頭をひねるたぐいとはちょっとちがう。かりにイタリア語をあてれば、メラヴィーリャだろう。つまり「驚き」に近い。それも語源上、見ること、見えることの驚きにかかわっている。
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たとえばキリコのような画家がイタリアでしか育ちえない、という事実を思いおこしてみてもいい。この人の絵は不思議だ。見ること、見えることの驚きにみちみちている。絵画空間のなかにくっきりと切りとられている建物、光、影。あの塔や、あの柱廊や、あのモニュメントのかげには、何かが、誰かがひそんでいるという気がする。身つづけるほかはない。するとしだいに、見ること自体が見えてくる。頭はからっぽになる。なぜ? ではなく何? 誰? というもっと直接的な問いが、見えるもののなかから閃いてくる。不思議な空間だ。
キリコの絵画世界はむろん北イタリアの町々にかかわっているが、しかし、じつはこの国の全土にわたって、準キリコ的、偽キリコ的、あるいは超キリコ的な町々がちらばっているのではないか、と思われる。といっても、どの町もみな似かよっているという意味ではない。それぞれの町に別のキリコがひそんでいてもおかしくない、というレベルのことである。
事実、イタリアでは、すべてが個別的、個性的だ。多様性ということがこの地の特質でもある。それに、眼はけっして混同しない。イタリアの太陽の下では、不思議はいつも明白であり、他とはくっきり区別されて、眼にうつしとられてくる。
イタリアの町々の不思議さとは、まずこのようにして語りはじめられるべきものではないのか、そんなふうに思う。

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