じじぃの「人の死にざま_774_R・マグリッド」

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Rene Magritte - The Beauty Of Surrealism 動画 YouTube
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Surrealism and Rene Magritte 動画 YouTube
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だまし絵画像集 動画 YouTube
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ルネ・マグリット フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ルネ・フランソワ・ギスラン・マグリット (Rene Francois Ghislain Magritte, 1898年11月21日 -1967年8月15日) はベルギーのシュルレアリスムの画家。
マグリットは、20世紀美術のもっとも重要な運動の一つであるシュルレアリスムを代表する画家である。マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付けられた不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはいられない。
マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである(デペイズマン)。この点は、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリスムとは異なっている。
「言葉とイメージ」の問題を追求したマグリットの作品は、(ミシェル・フーコー)のような思想家にも発想源を与え、広告やグラフィックアートの分野にもその影響が見られるなど、20世紀の文化に与えた影響は大きい。日本においても1971年の回顧展をはじめとしていままで5回開催され、宇都宮美術館、横浜美術館豊田市美術館などに作品が収蔵されている。

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『ヨーロッパの不思議な町』 巌谷国士/著 筑摩書房 1990年発行
ブリュッセル/マグリッド (一部抜粋しています)
マグリッドの若いころのエピソードをひとつ思い出した。あるビアホールのなかで、扉のくりがたを眺めているうちに、とつぜん新しい「トロンプ・ルイユ(騙し絵)」の方式を啓示されたという、例の逸話である。キリコの『愛の歌』などの記憶も重なっていたのだろう。マグリッドにとってはそのビアホールの店内が、時間のとまったようなブリュッセル小世界が、そのときすでにどこの町であってもいい、遺跡のようにがらんとした、ノスタルジックな、物自体をあらわに見せているような、キリコに前例をもつ空間の創造をうながしたのだ。北のドイツやオランダの各都市でも、ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)の流れが生まれて、おなじように、がらんどうで郷愁にみちた町の絵が描かれはじめていた時期である。
マグリッドはいわゆる都市の絵に固辞した画家ではない。彼の世界は都市よりもずっと広いのだ。たとえば「宇宙」と呼んでも「心」と呼んでもよさそうな、はてしれぬ大空間のうちにひろがっている。マグリッドはブリュッセルの光景を具体的に喚起する作品をほとんど描いていない。この点では、たとえば同時代のポール・デルヴォーのほうが、はるかにブリュッセルの画家であったといえるだろう。デルヴォーの描く空間は、キリコやマグリッド自身の影響もあって、やはり時のとまった廃墟のような情緒にみちみちているにしても、その源泉はブリュッセルの、あるいはベルギー南部のいくつかの都市の、むしろ見慣れた光景のうちに求められる。駅や宮殿やモニュメントや、等質の夢の光に浸されたあの室内を思いうかべれば、そのことはすぐわかる。デルヴォーとは「記憶」の画家である。
だがマグリッドはちがう。もちろん彼の絵にも「記憶」はひそんでいるけれども、その根はすでに別次元の時間にまでひろがっているように思われる。
しかも、マグリッドはそれでもなお都市の画家であった、というべきだろう。彼の絵のなかにいわゆる町の光景はないが、市民のすがたならある。古びはじめた「近代」に属する特性のない男たち、山高帽の無名者たちのイメージである。マグリッドの描く市民派みんなおなじ顔をしていた。表情がない、いわば気をつけの姿勢をとらされている自動人形か、動かないマヌカン、人体模型のような存在だ。彼らはおなじマグリッドの画面にくりかえし配置される林檎の拳玉、盃やパンや紙幣や花々と似た資格で、生命をもたぬ物体として眺められているにすぎない。だがそれと同時に、彼らは明らかに都市人のコピーである。ブリュッセルの「近代」を人の型にはめこみ、剥製にして展示してみせたオブジェなのである。マグリッドはやはりブリュッセルの画家だ。それはまず、こうした山高帽とフロックコードの無名者たちを、いちはやくカンヴァスにプリントしたというかぎりにおいて。

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