じじぃの「逆転の発想がすべてを切る・ディスコ!極薄切断砥石」

半導体生産の工作機械で世界シェア7割を誇るディスコ社とは?カンブリア宮殿 (追加) バラ動画 FC2
http://kyouyoubaraetei.doorblog.jp/archives/52236719.html
how to make jewelry, diamond cut 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=HQm_rZNBXlI
Zippo Collection #16 Armor Diamond Cut - Rose Pink Gold ! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QVLMO0Aq0Ns
製品製造 | 株式会社ディスコ
http://www.disco.co.jp/jp/activity/manufacture/index.html
カンブリア宮殿 「ディスコ」 (追加) 2012年3月1日 テレビ東京
【司会】村上龍小池栄子 【ゲスト】ディスコ社長 関家一馬
“社長が寝ていても勝てる会社を作る!” 〜独自の仕組みが社員を成長させ、会社を強くする。
「もしここにトラブルがあれば、世界の半導体の生産が止まる」と言われる企業がある。東京、大田区に本社を構える「ディスコ」だ。元々は工業用の「砥石」を作るメーカーからスタートし、やがて切断・研磨の機械も製造するようになった。
半導体は、原料となるシリコン素材を「削る」⇒「磨く」⇒「切る」工程を経て作られるが、ディスコはそれらの工程を扱う「工作機械」を生産し、世界シェア7割を誇っている。今では「相談事はまずディスコへ」が半導体業界の常識。世界中の半導体メーカーがわざわざ大田区まで足を運ぶ「どんな依頼も無料で解決する」独自の開発システムとは?また、社員の業務を金額に換算し、評価する「会計制度」や、やりたい仕事を自分で落札できる「オークション制度」など、社員が自ら成長できるディスコ独自の仕組みも公開!
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20120301.html
ディスコの「砥石」「ダイヤモンド工具」
http://www.industry.city.shinagawa.tokyo.jp/net-mihonichi/products/04_01.html
地球イチバン 「ダイヤモンドの地球イチバンの街〜ベルギー・アントワープ〜」 2011年11月24日 NHK
【リポーター】とよた真帆 【ゲスト】高田純次パンツェッタ・ジローラモ 【司会】渡辺満里奈
“ダイヤモンド地球イチバン”ベルギー北部の港町アントワープは、取引量で世界最大のダイヤモンド市場の町である。ダイヤモンド原石の80%、研磨済みダイヤの50%が取り引きされ、総額は年間3兆円以上にのぼる。「ダイヤが歌う」「ダイヤが喜ぶ」と詩的な表現を好む天才ダイヤモンド研磨師。「信頼」を大切に代々の取引関係を大事にしてきたダイヤモンド商。ダイヤの町の個性豊かな人々の深いチエを探る。
http://www.nhk.or.jp/ichiban/history/h4/item1.html
ディスコ (切断装置製造) フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
株式会社ディスコ(英: DISCO Corporation)は、シリコンウェハー加工機器のトップメーカーである。広島県呉市で創業した。
1937年5月に工業用砥石メーカーの「第一製砥所」として創業する。1968年12月にダイヤモンドを練り込んだ超極薄切断砥石「ミクロンカット」を発表。当時の切断機器では砥石の破断が相次いだため、自社で切断装置を開発することになる。その経緯は電子立国日本の自叙伝で詳しく取り上げられた。企業文化として’ディスコの常識は世間の非常識’があり。製造規格には定量化部分と主観部分が混在するが、製品の独自性は真似が出来ないものがある。

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コロンブスのゆで卵』 TBS「コロンブスのゆで卵」取材班 勁文社 1997年発行
逆転の発想がすべてを切る! 「月の石」を切ることになった砥石(といし) (一部抜粋しています)
近年は、従来考えられていた刃物に限らず、水に高圧をかけてジェット水流で切るカッターや、レーザー光線を利用したレーザーメスなど、ハイテクを利用したものまで現れるようになり、各種の産業や医療に大きな貢献をしている。そんなハイテク刃物の1つに、「砥石で切る」カッターがある。本来、刃物を研ぐ道具である刃物を、切る道具として利用したものである。しかも、その砥石は、現代のハイテク産業を支えている重要なカッターとして君臨しているのだ。
広島県呉市。古くから砥石産業のメッカとして知られるこの町に、砥石カッターを製造する工場がある。1937(昭和12)年、第1製砥所として創業されたこの会社は、現在ディスコと名のっている。
1956(昭和31)年、砥石をめぐってライバル会社と張り合ううちに、この会社は日本初の極薄切断砥石を開発、この砥石は万年筆のペン先づくりなぢのケースでは、まさに極薄切断砥石の独壇場であった。
そして、1963(昭和38)年、一人の男が入社、この男の出現で、この会社はまた大きな変革と向かうのである。
男の名は関家臣二。この男の発想で、刃物を研ぐ道具だった砥石が極薄のカッターに姿を変えるようになるのだ。本来、刃物の脇役であった砥石を主役に抜擢した関家。彼はどういう経緯で、このような逆転の発想ができたのだろうか。
そこには営業マンとしての苦労と、自社製品に対する誇りと信頼が隠されていた。
都電を切りまくった男が考えていたこと
副社長(現在・代表取締役を退任)である関家も入社当時は営業に配属され、来る日も来る日も自社の舗装道路を切るアスファルトカッターや、オウム真理教サティアン解体に使われたエンジンカッターのような工業用の砥石カッターを売り歩いていた。しかし、当時は何かと国産品よりも舶来品が信用される風潮があり、思うように売ることができる状況ではなかった。
「日本製はすぐ壊れるから信用できない」
売り込みに行っては、こんな台詞を聞かされる毎日。関家は思った。
「なんとか砥石カッターの性能を向上させたい」と。
そんなある日、関家の目にあるものが映った。都電である。関家は都電を追って走った。そして、こう言ったのである。
「すいません。都電を切らせてください」
関家は廃車になった都電や使われなくなったレールを片っ端から切りまくった。様々な素材からできている車両は、まさに自社製品の性能を確かめ、向上させるための最高の素材だったのである。そして、切って切って切りまくった関家は、ここで自社製品に対して自信を深めた。
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そんなことを考えているとき、関家の目に映ったのが、なんとダイヤモンドであった。
関家は早速会社の技術者に話を持ちかけた。
「薄型の砥石にダイヤモンドを入れて、もっと硬くしてくれませんか?」
しかし、技術者の反応は冷たかった。
「コストがかかり過ぎるよ。ダメだな、そんなものは作れないな」
せっかくのアイデアも、現実化しないかと思われた。が、たった一人だけ、関家の情熱に動かされた技術者がいた。
「なんとかやってみるよ」
その日から、ダイヤモンドを混ぜた砥石の試作がはじまった。
そして、ついに砥石の完成である。関家のひと言から生まれた50ミクロン(0.05ミリの超薄型)ダイヤモンド砥石が、1969(昭和44)年「ダイヤモンドカット」として開発に成功したのだ。関家はこの一連の経緯を思い出して、こう語っている。
「やってみなければわからないものだなあと、このときよくわかりました」

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どうでもいい、じじぃの日記。
11/24、NHK 『地球イチバン』という番組で「ダイヤモンドの地球イチバンの街〜ベルギー・アントワープ〜」を観た。
第二次世界大戦アメリカに逃亡したユダヤ人が多いなか、ベルギーのアントワープに逃れてきたユダヤ人がいた。
アントワープにはダイヤの原石をカットして多面体に整形する職人が集まっていたが、ユダヤ人が技術と信用をもとにアントワープにおけるダイヤの取引のほとんどがユダヤ人の手によるものになっていった。
ダイヤモンド・カット・ダイヤモンド」(Diamond cuts diamond)ということわざがある。知恵者同士、強者同士の凄まじい戦いを意味し、削るものと削られるものが同じ硬さであることがいかに困難な作業なのかを表現している。
コロンブスのゆで卵』という本に「逆転の発想がすべてを切る! 『月の石』を切ることになった砥石」というのがあった。
昔、「ソノシート」というのがあった。ペラペラしたプラスチックのレコードで雑誌の付録によく付いていた。
ダイヤモンド砥石というのが、このソノシートの形に似ている。あんなペラペラしたソノシートのような砥石にダイヤモンドが入っているというのが不思議だった。
「コストがかかり過ぎるよ。ダメだな、そんなものは作れないな」
じじぃも、こんなこと、言いそう。 (^^;;