じじぃの「人の死にざま_738_P・スペンサー」

Dawlance Microwave Oven Chicken 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-S5AAwEU7NI
YouTube搭載型の電子レンジが登場「待ち時間に楽しめる」と好評 ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/7872
パーシー・スペンサー ウィキペディアWikipedia)より
パーシー・L・スペンサー(Percy LeBaron Spencer、1894年7月9日 - 1970年9月8日)は、アメリカ合衆国の技術者にして発明家。電子レンジの発明で知られている。
メイン州 Howland 生まれ。父は1897年に亡くなり、母も間もなく失踪した。このため、叔父や叔母に育てられた。中学校を卒業することなく12歳で見習いとして工場に働きに出たが、1912年にアメリカ海軍に入隊し無線電信を学ぶ。1920年代にはレイセオンに入社。
レーダーの中核機構としてマイクロ波を発生するマグネトロンは、1941年当時のレイセオンでは1日に17個のペースで製造されていた。その工場で働いていたスペンサーは、加工済み部品を組み立てるのではなく、はんだ付けと打ち抜きを同時に行うという効率的な製造方法を開発した。その他の改良も考案し、それらによってマグネトロン生産量は日産2,600個に激増した。この功績に対してアメリカ海軍は Distinguished Public Service Award を授与した。
1945年、スペンサーが作動中のマグネトロンの前に立っていると、ポケットの中のチョコバーが溶けているのに気づいた。そこで彼はマグネトロンの前にポップコーンを置く実験を行った(出力を正確に調整し、ビームの範囲外に退避した上で行った)。すると、ポップコーンが弾け、部屋中に散乱した。これがきっかけとなって電子レンジの開発を開始し、1947年にレイセオンから製品が出荷されるに至った。
スペンサーはレイセオンの上席副社長兼取締役に登りつめた。レイセオンで勤務する間に約300の特許を取得し、彼の名を冠したビルまで建った。

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『世界のヒット商品はどんな「ひらめき」から生まれたの?』 スティーブン・D. ストラウス/著、飛田妙子、萩岡史子/翻訳 主婦の友社 2003年発行
「レーダーから生まれた家電」。発明には忍耐が必要 (一部抜粋しています)
家庭にレストランに。電子レンジ
1940年7月10日ドイツ空軍はイギリスの貿易港攻撃を開始。イギリス本土決戦(バトル・オブ・ブリテン)が始まった。ドイツ軍の矛先はイギリスのレーダー基地に集中、そのほとんどを壊滅させた。この攻撃のさなか、時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルは連合軍に救援を求めた。新たなレーダーシステムが必要だ。しかも緊急に。悲痛な叫びはアメリカの小企業レイセオンの研究員パーシー・スペンサー博士のもとにも届いた。
スペンサーは基本的な解決法を提案した。磁電管(マグネトロン)を使ってレーダーを作るというものだ。
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戦争が終わると、やはりレーダーやマグネトロンの需要は激減したので、レイセオンは戦時産業から平和産業へと方向転換を図った。その一環として、スペンサーはマグネトロンレーダーを使った実験をしていた。独学でならした技術者で生涯120もの特許を取得したスペンサーが異常な現象に気づいたのは1946年のことだった。
ポケットに入れていた棒型キャンディが溶けたのである。不思議に思ったスペンサーは実験を進めた。今度はポップコーンの素をマグネトロン管ののそばに置き、少し離れたところから観察した。ポップコーンはぱちぱちとはぜて実験室内に散らばった。なぜこのようなことが起こるのかスペンサーにもよくわからなかったが、その理由を突き止めたいと思った。彼はマグネトロン管のそばに卵を置いてみた。固唾をのむスペンサーと同僚の目の前で、卵は子刻みに動き始めた。
このときも誰ひとり、何が起こるか予想もつかなかった。このような現象はいまだかって見たことがなかったからだ。同僚たちがもっと近くで見ようとおそるおそる卵に近づいたとき、彼は誰よりも先に卵を手に取った、マグネトロン管から発生する低密度のマイクロ波エネルギーが食物を加熱するとわかったのはこのときだった。
スペンサーはマグネトロンの力を利用する方法を模索し続けた。彼は金属製の箱を作り、マグネトロンを使って発生させたマイクロ波をその中に流して見ようと思った。そして、箱の中に何種類かの食べ物をいれてマグネトロンレーダーを当て、じっと待った。思った通り、食品の温度は急激に上昇した。
このアイデアこそ電子レンジの原点だったのである。これこそまさにレイセオン社が求めていた製品であり、技術者たちは一丸となってスペンサーのアイデアの開発改良に取り組んだ。レイセオン社はその年のうちに電子レンジの特許を提出し、1年後の1947年には初めて商品として電子レンジを市場に送り出した。
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そもそも間違いから始まったスペンサー博士の発明が今日の隆盛を見るようになったのは、レイセオンが短時間で食物を加熱できるという可能性を見極めて、粘り強く改良を重ね、消費者が必要だと実感するまで市場に送り続けた結果である。発明に対してこれほどの思い入れがあったからこそ、何百万もの人が日常的に使う道具になり得たのだ。
「こんなに多くの人びとが、ほんの少数の人からこれほどまでに大きな恩恵をこうむった戦いは前代未聞である」とウィンストン・チャーチルバトル・オブ・ブリテンパイロットたちを讃えたが、そのおかげで電子レンジが生まれることになろうとは夢にも思っていなかっただろう。彼のその言葉はそのまま電子レンジにも当てはまる。

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