じじぃの「人の死にざま_1488_ジョン・ロジー・ベアード(テレビ)」
John Logie Baird 1937 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O5ZSXPMlumc
5分でわかる日本のテレビ史
1897年、ドイツの発明家ブラウンによってブラウン管が発明され、1925年にはイギリスのベアードがニポー円盤による機械方式のテレビ実験に成功しました。
その頃、日本では電気工学者の高柳健次郎氏らが当時としては画期的だった電子式装置によるテレビの開発に取り組んでおり、1926年(昭和元年)12月25日、世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功します。
実験装置は、送像側に機械式のニポー円盤を、受像側に電子式のブラウン管を用いた折衷方式でしたが、1933年に、アメリカのツヴォルキンが電子式撮像管「アイコノスコープ」を発明すると、高柳氏らも独自でアイコノスコープを試作し、1937年には、走査線441本、毎秒30枚という当時としては世界最高水準の全電子式テレビ受像機を完成させました。
http://www.sptvjsat.com/sp_world/worldtop/history/five_minutes/01.html
ジョン・ロジー・ベアード ウィキペディア(Wikipedia)より
ジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird、1888年8月13日-1946年6月14日)は、スコットランドの電気技術者・発明家。
史上初めて動く物体をテレビで遠距離放送することに成功した。また、世界初の完全電子式カラーテレビ受像管も発明。ベアードのテレビシステムは電気機械式であり、後にウラジミール・ツヴォルキンやフィロ・ファーンズワースの完全電子式システムに取って代わられたが、ベアードのテレビ放送の成功や後のカラーテレビ開発における功績はテレビ史上重要である。2002年、BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」の投票で44位に入った。2006年にはスコットランド史上の偉大な科学者10人に選ばれ、スコットランド国立図書館(英語版)の 'Scottish Science Hall of Fame' に選ばれた。"Baird" はイギリスでテレビのブランド名として今も使われている。
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『人類の歴史を変えた8つのできごとII――民主主義・報道機関・産業革命・原子爆弾編』 眞淳平/著 岩波ジュニア新書 2012年発行
テレビ放送の開始 (一部抜粋しています)
走査線を使った画像読み取りと、画像の電気信号による送信、という手法がドイツで開発されてから40年後の1925年。イギリス(スコットランド)の発明家ジョン・L・ベアードが、走査線8本の装置をつくり、人の顔の画像を送受信することに成功します。
さらに彼は、翌1926年に、物体の動く様子を写した動画の送受信もなしとげました。その後、走査線の数は240本程度に増え、画像の質は少しずつ向上していきます。
初期のテレビは、こうして誕生したのです。
ちなみにベアードは、日本ではあまり有名ではありませんが、イギリスなどではテレビの基礎を築いた「偉大な発明家」として知られていること、もつけ加えておきましょう。
ただし、実際のテレビ放送で主流となったのは、ベアードの方式ではありません。
ベアードの手法では、走査線を、鮮明な画像をつくるのに最低でも必要とされる300本程度まで増やすことがむずかしかったのに対して、競合する方式ではより鮮明な画像の実現が可能になったこと、がその理由です。
この新たな方式こそ、その後長くテレビの主役となった「ブラウン管」と呼ばれる受像管であり、画像を電子的に操作できる撮像機の「アイコノスコープ」でした。
これらを組み合わせることで、ベアードの方式よりも走査線の数を増やし、鮮やかな画像を実現することができるようになったのです。
アメリカでは、こうした方法を使い、1936年にテレビの試験放送が開始されています。
そこでは、走査線343本で描き出された画像が、毎秒30枚送信され、人々は、画面上に映し出されたものが動く様を、はじめて見たのです。さらにその後も、送受信の技術は改良され、画質は徐々に向上していきました(『情報と通信の文化史』)。
そして第二次大戦が終結すると、テレビ放送は一挙に本格化していったのです。