じじぃの「近世帝国のユダヤ人・差別と迫害!歴史のアウトサイダー」

the zionist conspiracy part 1 of 12 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xqM_zOs0lsw&feature=related
The Holocaust that changed the world 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bIxQVPENU7k
The Lost Gospel of Judas 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QuGKA1sDd9M
ユダヤ ウィキペディアWikipedia)より
ユダヤ人(英語: Jew)とは、ユダヤ教を信仰する者(宗教集団)、あるいはユダヤ人を親に持つ者(民族集団)という2つの捉え方がある。中世以前は前者の捉え方がなされていたが、19世紀の国民国家出現以降は差別する側からもされる側からも後者の捉え方が出現した。明治時代に作られた日本語である「ユダヤ人」という呼称が現在はほぼ一貫して使用されている。それ以前や戦中頃までは「セム人」と称されることが多かった。ユダヤ人は「中東イスラエルに住む、ユダヤ教を信仰する民族」として認識されている。日本では信仰としてユダヤ教を信じる者は「ユダヤ教徒」と呼称され、「イスラエル国家を形成する民族ユダヤ人」とは別として認識・呼称される事が多い。キリスト教イスラム教徒にとってナザレのイエスを裏切ったとして、迫害されている民族である。
前近代のキリスト教圏においてユダヤ人(ユダヤ教徒)は政治家、農民など土地の保有と公的な職業に就くことを認められなかった。逆にキリスト教が禁じている金貸しを営むことが可能であったため、伝統的に金融業や商業に従事するものが多かった。また世界的に散らばり独自の情報ネットワークを持っていた。そのため現在でもユダヤ人には商人やメディア関係が多いとされる。アルトゥル・ショーペンハウアーは『フランクフルトでユダヤ人の足を踏んだらモスクワからサンフランシスコまで情報が行き渡る』と指摘していた。
【民族性】
歴史の中で他教徒から非常に多くの迫害を受けているが、現代に至るまでユダヤ人は滅ぶことはなかった。迫害は、当時のキリスト教社会が信仰の自由を許さなかったこと、キリスト教の一部の神学者イエス・キリストを殺害したのがユダヤ人としたこと、ユダヤ人はキリスト教社会やイスラム教社会で疎まれていた金貸しや錬金術師が多く、トラブルが多かったことが原因ではないかと考えられている。18世紀頃から宗教的迫害が薄れていったことで、ユダヤ人は自由な信仰、活動が可能になり、今では多くの大企業の設立者や天才科学者にユダヤ人が存在する。
【中世】
ヨーロッパ各地に散った後もユダヤ人はユダヤ教の信仰を堅持した。「キリスト殺し」の罪を背負うユダヤ人は、ヨーロッパ・キリスト教社会では常に迫害された。彼らは土地所有を禁じられて農業の道を断たれ、ギルドから締め出されて職工の道を閉ざされ、店舗を構える商売や国際商取引の大幅制限などで商業の道を制限されていた。しばしば追放処分を受け、住居も安定しないユダヤ人がつける仕事は事実上金融以外には存在しなかった(キリスト教会はキリスト教徒に対して金を貸して利子を取る仕事は禁じていた)。11世紀末頃にはすでにユダヤ人は「高利貸し」の代名詞になっていた。被差別民でありながら裕福になったユダヤ人はねたまれ、ユダヤ人迫害はますます強まっていった(ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場する金貸し、シャイロックユダヤ人という設定である)。
13世紀になってキリスト教徒とユダヤ教徒との交際が禁止されるなど、ユダヤ人は迫害を受けるようになり、社会不安が高まるごとにユダヤ人は迫害の対象とされていき、公職追放なども行われた。その後、特に14世紀のペスト大流行の頃からユダヤ人に対する弾圧として、ヨーロッパ中で隔離政策が取られるようになっていき、教会から離れた場所に設けられたゲットーと呼ばれる居住区に強制隔離されることが一般化した。
反ユダヤ主義 ウィキペディアWikipedia)より
反ユダヤ主義ユダヤ人およびユダヤ教に対する差別思想をさす。
反ユダヤ主義者の主張には、「ユダヤ教は強烈な選民思想であり、排他的な思想であり、イエス・キリスト殺害の張本人であり、金融業で財を成した」などがある。
キリスト教と比べユダヤ教には、民族性を超えた普遍宗教としての性格は劣るという主張があるが、ユダヤ人というものは「ユダヤ教」の「宗教的共同体の一員」であるという性格を強く有することを考慮に入れる必要がある。
反ユダヤ主義の広がり】
歴史的にユダヤ人がそれほど迫害されてこなかったという報告があるにもかかわらず、一時期ユダヤ人迫害が非常に流行するのは、ロシア革命に伴って世界各国に流布された偽書「シオン賢者の議定書」によるところが大きい。世界を陰で操ろうと目論む人々(=ユダヤ人)がいるとする陰謀論は、これを認めるだけで「不愉快な社会的現象を説明」できてしまい、多くの人々を惹きつける。また、世間から隠された事実があるとするオカルト的考えも、人々にそれを知っているという優越感をくすぐる。シオン賢者の議定書は多数の類書があるが、単にお互いに参照を繰り返し話がふくらんでいるだけで、陰謀の直接的証拠は全くない。また、実際にユダヤ人が多く入会していた秘密結社フリーメーソンが陰謀に加担していたのではないかと指摘されることが多い。ナチス・ドイツユダヤ陰謀論を受け入れ、政権維持や宣伝に積極的に利用したのも、彼らがオカルト的なものを好んでいたからでもある。また、シオン賢者の議定書が作られた当時のロシア宮廷にはラスプーチンをはじめとするオカルト主義者が多数存在していた。
このように反ユダヤ主義的思想は学術的にはあまり褒められたものではないオカルトに類する話から影響を受けていたことが多い。したがって、反ユダヤ主義を論じる時に、オカルトの部分を切り離して論じるのでは真実が見えてこないことが多々ある。とはいえ、現代的な反ユダヤ主義をすべてシオンの議定書で説明することが、本来は最も重要なパレスチナ問題から目を逸らすことに繋がることも否定できない。
ユダの福音書 ウィキペディアWikipedia)より
ユダの福音書』とは、キリスト教新約聖書外典の1つである。
ユダの福音書』は、初期キリスト教父であるエイレナイオスの『異端反駁』(180年頃)にてグノーシス主義異端の書として言及されていたものである。その記述によれば、イエスを裏切ったイスカリオテのユダが実はイエス・キリストの弟子の中の誰よりも真理を授かっており、「裏切り」自体もイエス・キリスト自身が主導したものであるという。

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『歴史のアウトサイダー ベルント・レック/著 中谷博幸、山中淑江/訳 2001年発行
近世帝国のユダヤ (一部抜粋しています)
ユダヤ人とドイツ人はその共通の歴史を古代にまでたどりうる。ケルンでは古代末にすでにユダヤ人共同体を確認できる。おそらくこの時期、帝国の他の諸都市でもユダヤ人が存在したと考えられる。もっとも5世紀から10世紀にかけて、彼らの運命がどうであったかは、ほとんど何も知られていない。ケルンの場合、9世紀には文書の他に考古学的な資料も残っている。11、12世紀になると、ライン川沿いの諸都市でユダヤ人共同体のことが資料でいっそう頻雑に言及されるようになり、当時マインツやヴォルムス、シュパイエルでもユダヤ人共同体が存在したことを証明できる。ヴォルムスのシナゴーグ[ユダヤ教徒の礼拝堂]のもっとも古い部分は1014年に始められたが、ケルンで発掘されたシナゴーグの遺跡も同様に11世紀初頭に由来する。
1500年以上もの長きにわたるドイツ人とユダヤ人の共同の生活の中で、両者が問題のないよき隣人関係にあったのはごくまれである。16世紀中頃以降の金星のその歴史は、むしろ比較的まだよい時期にあたる。もちろんこの時期にも彼らは差別化されたマイノリティであることには変わりなく、追放によって時々死の危険に脅かされることもあった。アシュケナズィ[離散したユダヤ人のうちドイツ・東欧に移住した人々。他にスペインに移住したユダヤ人をスファラッディと呼ぶ]はつねに国庫のために搾取の対象となったが、同時に彼らは商人や金融家として、そしてついには初期近代国家の重要な信用保証人として、経済活動の本質的なファクターを構成していた。以上のことは、せいぜいごく一般的なことを言ったにすぎない。というのも、ドイツにおけるユダヤ人全体の歴史はひじょうに限られた枠内でしか構成されえない。それは領邦を越えたレベルでの連携の試みや、皇帝や帝国裁判制度の最高機関のもとでのユダヤ人の直接的なイニシアティブに目を向けるときに可能であるにすぎないからである。それ以外では、つねに帝国内の「諸国家」[領邦国家]や諸都市の政治、法律、宗教、社会に関わるさまざまな形態を考慮に入れる必要がある。この宗教上のマイノリティがおかれていた状況は、個々の都市や国家によって極端に異なったものであった。
危機に満ちた14世紀は、中世後期のドイツのユダヤ人の歴史にとってももっとも決定的な転回点をもたらした。それは1348年から1350年にかけて生じたペストの流行とともに始まる。その時の伝染病と結びついてドイツ中にポグロムが起こった。ユダヤ人たちが井戸に毒を入れて多くの人々を死に至らしめたという噂が広まり、彼らに対する厳しい行動を取るきっかけや口実を与えた。人々はユダヤ人を町から追放し、打ち殺し、焼き、彼らの家々や宗教的・文化的な設備を破壊していった。都市ではユダヤ人の姿はしばらくの間見られなくなった。

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『ああ知らなんだ こんな世界史』 清水義範/著 毎日新聞社 2006年発行
スペインの歴史アラベスク (一部抜粋しています)
北アフリカのモロッコなどから、8世紀にイスラム教徒が侵入してきて、イベリア半島イスラム化したことは既に話した。その、やってきたイスラム教徒は、アラブ人やベルベル人だったのだが、その2つを区別せずスペインではモーロと呼んだ。
1492年にグラナダが陥落してレコンキスタは完了した。その時、イスラムの王家などはつぶされたのだが、スペインに数多く住むイスラム教徒は、改宗を迫られることもなく、従来通り住むことを許されたのだ。キリスト教徒とイスラム教徒が混じって住んでしばらくは平和にやっていた。
むしろ、1492年に迫害されたのはユダヤ教徒である。ユダヤ教徒には金貸し業をする富豪がいたりした(貧乏なユダヤ教徒もいるのだが)のでねたまれ、カトリック復興の熱狂もあって、キリスト教に改宗しないユダヤ人は国外に去れ、という追放令がその年に出たのだ。そのため、約20万人のユダヤ人が国を追い出され、そのうちの多くはオランダへと移り住んだのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
『歴史のアウトサイダー』という本をめくっていたら、やたらと「ユダヤ人」が出てくる。
昔、チャールトン・へストン主演の映画『十戒』を観た。へストンが演じるモーセがエジプト王の圧政から逃れ数万人のイスラエル人を連れて、約束の地「カナン」に向かう途中のシナイ山で神から十戒を授かるというストーリーだ。
「中世後期のドイツのユダヤ人の歴史にとってももっとも決定的な転回点をもたらした。それは1348年から1350年にかけて生じたペストの流行とともに始まる。その時の伝染病と結びついてドイツ中にポグロムが起こった。ユダヤ人たちが井戸に毒を入れて多くの人々を死に至らしめたという噂が広まり、彼らに対する厳しい行動を取るきっかけや口実を与えた。人々はユダヤ人を町から追放し、打ち殺し、焼き、彼らの家々や宗教的・文化的な設備を破壊していった」
ユダヤ人とは唯一の神ヤハウェ(神との契約を行なう)を信じるユダヤ教を信仰する人のことを言う。約束の地カナンに戻ったイスラエル人がユダヤ教を信仰することでユダヤ人と呼ばれるようになった。
彼らは、なぜヨーロッパで差別と迫害を受けたのか?
「イエス キリストの受難」だ。イエスを殺したのはローマ人ではなく、イエスの弟子ユダがイエスを裏切ったからである。ユダはユダヤ人だ。しかし、イエスユダヤ人だ。
キリスト教圏においてユダヤ人は政治家、農民など土地の保有と公的な職業に就くことを認められなかった。逆にキリスト教が禁じている金貸しを営むことが可能であったため、伝統的に金融業や商業に従事するものが多かった」
シェイクスピアの「ベニスの商人」に、金貸しのユダヤシャイロックが登場する。
「シオン賢者の議定書」というのがある。ユダヤ人が作ったといわれる「秘密権力の世界征服計画書」であるが、ユダヤ人をおとしめるために作られた本だ。
これらのことがユダヤ人差別・迫害の原因となり、20世紀にはヒトラーによるホロコーストの大虐殺を招くことになった。
1978年、エジプト中部の洞窟で『ユダの福音書』というパピルス文書が見つかった。
この『ユダの福音書』には、ユダの「裏切り」はイエス・キリスト自身が主導したものであるということが書かれている。
アインシュタインユダヤ人である。
これまでのノーベル賞受賞者の約3分の1がユダヤ人なのである。