じじぃの「人の死にざま_671_C・ウールリッチ」

ウィリアム・アイリッシュ - あのひと検索 SPYSEE
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Rear Window - Trailer - (1954) - HQ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6kCcZCMYw38
The Bride Wore Black (1968) Theatrical Trailer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xbb7LBLJvoc
ウィリアム・アイリッシュ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ウィリアム・アイリッシュは、アメリカ合衆国の推理作家。本名はコーネル・ジョージ・ホプリー=ウールリッチ。主にコーネル・ウールリッチという名前で創作活動を行っていたが、一部の作品ではウィリアム・アイリッシュやジョージ・ホプリーという筆名を使用していた。日本ではアイリッシュ名義の『幻の女』が有名であるためか、ウィリアム・アイリッシュと呼ばれることが多い。
【経歴】
ニューヨークで生まれた。少年時代に母親のクレアと土木技師の父親が離婚し、しばらく父親とともにメキシコで暮らしていた。1921年ニューヨーク市の母親のもとに身を寄せ、コロンビア大学に入学し、ジャーナリズムを専攻したが、在学中から小説を書き始め、大学を中退する。
1933年、ブロードウェー西113番街の「マルセーユ・ホテル」で母親と同居を始めた。この後35年間に渡り、彼は住居というものを持たず、母と共にホテルを転々とする暮らしを続ける。
1934年から推理小説の短編をパルプマガジン向けに書き始め、しだいにその数を増やしていった。1940年の『黒衣の花嫁』から長編も書くようになり、サスペンス小説作家として地位を高めていった。1942年に「ダイム探偵マガジン」誌に、ウィリアム・アイリッシュ名義で「それは殺人でなければならない」を発表。以後この名前で知られるようになる。
1968年に死亡し、ニューヨークのハーツデールのファーンクリフ墓地に埋葬された。遺族はおらず、葬儀への参列者は5人だけだった。
彼は、在籍していたコロンビア大学にジャーナリスト育成の奨学金として85万ドルを寄贈している。
【裏窓】
1954年のアメリカ映画。ニューヨークのとあるアパートを舞台にしたサスペンス。ウィリアム・アイリッシュによる同名の小説を原作とする。現在、パブリックドメインとなっている。
黒衣の花嫁
1968年公開のフランス映画。フランソワ・トリュフォー監督。原題は原作の仏題である。
指輪交換の直前に婚約者を殺された花嫁が、5人の男たちを次々に殺していく復讐劇。常に何らかの形の「愛」をテーマにしていたトリュフォーだが、本作は愛がいっさい描かれない異色作となった。
ジャンヌ・モローが『突然炎のごとく』以来6年ぶりにトリュフォー映画に出演した。モローの脚を執拗に映すカメラが特徴的。自他共に認める脚フェチであるトリュフォーの情熱が遺憾なく発揮されている。
なお、原作の小説では主人公が5人目の男を殺すときに逮捕され、フィアンセが殺されても仕方がない悪人であったことがわかり、しかも真犯人は別の6人目の男だったという、より不条理な結末となっている。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
ウールリッチ (1903-1968) 65歳で死亡。 (一部抜粋しています)
黒衣の花嫁』(1940)、『幻の女』(1942)などのサスペンスにみちた傑作で、戦後の日本にも紹介され、日本の推理小説ファンを随喜(ずいき)させたコーネル・ウールリッチ、別名ウィリアム・アイリッシュは、若いころ一度結婚したが、数週間で妻に逃げられ、以後母親とともに暮らし、54歳のとき、母を失ってからは、陰鬱で孤独な晩年を送った。
糖尿病とアルコール中毒と、足に出来た悪性の壊疽(えそ)のために車椅子に乗り(足を切断していたともいわれる)、たまに紙袋にいれた安ワイン持参でパーティに姿を見せることもあったが、その席でも部屋の隅にポツンと坐っていることが多かった。
神を信ぜず、愛を信ぜず、おしまいには自分自身をも信じられなくなっていたようであった。だれかが彼に話しかけ、彼の古い作品を称賛などすると、彼はふきげんそうに、
「本気でいっているのきゃないだろう」と、つぶやくだけだった。
そして、1968年9月15日に死んだが、葬儀には少数の知人が参列しただけであった。
エラリー・クイーンは書いている。
「彼は"黒衣の"ウールリッチであり"幻の"アイリッシュだった」

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