じじぃの「人の死にざま_1229_W・キッド」

ウィリアム・キッド - あのひと検索 SPYSEE
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Captain Kidd 動画 YouTube
http://www.youtube.com/movie?v=V1cYCp8jCtg&feature=related
The Gold Bug, part 1, by Edgar Allan Poe 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=h33Lj7AI7ac
ウィリアム・キッド ウィキペディアWikipedia)より
ウィリアム・キッド(William Kidd)は、スコットランド西部生まれの私掠船、海賊船の船長。キャプテン・キッドの別名が広く知られている。
【フィクションと伝説】
キッドは処刑される直前、「自分はある場所に財宝を隠している」と叫び、その場所を説明しようとしたが、処刑人はそれを無視してキッドを処刑してしまったという。この逸話をもとに「今もどこかにキャプテンキッドの財宝が眠っている」という伝説が発生し、複数の作家がその財宝を題材とした小説を執筆している。ただし、現実のキッドが得た財貨は、さほど大きな金額ではない。
エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』、ロバート・ルイス・スチーブンソンの『宝島』がそれらの作品の代表作である。キッドが立ち寄ったとされるノバスコシア州のオーク島やキッドの活動拠点の1つであった、ニューヨーク湾に位置するガーディナーズ島で今も財宝探しが行われている。米インディアナ大学のチームによって、ドミニカ共和国の保養地カサ・デ・カンポ沖にあるカタリーナ島近海で、クェダ・マーチャント号とみられる船が発見された(2007年12月13日発表)。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
キャプテン・キッド (1650頃 - 1701) 51歳頃死亡。 (一部抜粋しています)
ポーの『黄金虫(こがねむし)』は、暗号を解いて、大海賊キャプテン・キッドの埋蔵した財宝を探し出す物語である。
17世紀末、インド洋を荒らすフランス海賊船に手をやいた東インド会社の請願により、イギリス国王ウイリアム3世は、当時の植民地アメリカのカリブ海で、フランス海賊船に痛撃を加えた船長ウィリアム・キッドに、インド洋における敵性海賊船の掃蕩(そうとう)を命じた。1696年のことである。
ところがインド洋に遠征したキッドは、かえってミイラとりがミイラとなって自分が海賊となり、数年にわたって敵味方を問わず襲い、また島々で掠奪をほしいままにし、海賊キッドの雷名をとどろかせた。
そして1699年、北米ニューイングランドに上陸したところを捕えられ、イギリスに護送され、裁判にかけられた。
キッドは自分の行為の正当性、裁判の不当性をさけびつづけ、教誨師(きょうかいし)の悔悟のすすめにも耳をかさず自分の無実を訴えつづけた。
が、与えられたのは死刑の宣告であり、テムズ湖畔ワッピングの海賊処刑台にひき出された。1701年5月23日のことである。彼はテムズ河を見わたして、「ここを上下する船長は、みんなおれの運命から教訓を受けるといい」と呪いの言葉を吐いた。
彼の身体が絞首台で宙に吊るされたとたん、縄が切れて地上に落ちた。教講師は彼に、この一刻の猶予を与え給うた神の慈悲に感謝せよ、といった。半分意識を失ったキッドはやっとうなずいたが、その身体はまだ吊りあげられて絶命した。
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キャプテン・キッドの屍体はタールに塗られ、鎖に吊るされてテムズ河の上にさらしものになり、本人が遺言した通り、その後数年、そこを上下する船乗りたちへの警告となった。

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