じじぃの「人の死にざま_666_中村・貞以」

中村貞以の美人画 たんぶーらんの戯言
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中村貞以 古美術ささき 買取案内 骨董 アンティーク 美術品 絵画
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中村貞以とは コトバンク (一部抜粋しています)
中村貞以(なかむらていい) 1900−1982大正-昭和時代の日本画家。
明治33年7月23日生まれ。北野恒富に師事し,美人画にすぐれた。幼児のとき手に火傷(やけど)したため,合掌描きを工夫した。昭和7年院展で「朝」が日本美術院賞,11年院同人,41年「シャム猫と青衣の女」などで芸術院賞。画塾春泥会を主宰した。昭和57年3月12日死去。81歳。大阪出身。大阪経理学校中退。本名は清貞。

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『日本絵画の楽しみ方完全ガイド』 細野正信/監修 池田書店 2007年発行
中村貞以 『猫』 祈りにも似た「合掌描法」 気高く、匂い立つばかりに (一部抜粋しています)
髪の毛を軽くカールし、美しく整えられたヘアスタイル。そして白いレースのワンピース。姿勢よく前を見据える姿には、少女の気高さがあふれるばかりだ。洋服の細かい質感、膝に抱いた子猫の黒い毛……。
この緊張感ある美しく細い線が、手指に大やけどを負ってその自由を失った人の描いたものであると、誰が想像できるだろう。貞以 は2歳の頃、両手に怪我をしたが、どうしてそのようなことのなったのか、「母に聞こうと思いながらも聞けずに終った。この傷のために母は死のうとさえ考えたほどだから」と、後に自身が述懐しているほどの母の落胆だったという。貞以自身の悩みもはかり知れないものがあったことは想像に難くない。
女性像を描く際、貞以は次のように語っている。「人物画、特に婦女を描く場合、私は必ずといっていいほど、奈良や京都の仏像や仏画を見にいきます」と、また、「世間では美人画というてますけど、私のつもりでは、ただモチーフを婦女に借りるだけでして、風俗画というより人物画だと思います」とも語っている。
単に表面的な美しさのみを描くのではなく、内面からおのずとにじみ出る、その人の心持ちのようなものに焦点をあてているのだろう。だからこそ、冴え冴えとした月夜のように清らかで繊細な「美人画」を描けたのではないか。
貞以は、2歳の頃に手に大やけどを負い両手指の自由を失った。その貞以が師事したのは、近所に住む著名な浮世絵師だった。ここで2年間、写し物ばかりをしたという。新聞の挿絵を好んで写していたが、この修練によって、貞以は両手の間に筆を挟み、どんな細い線でも描くことができるという手法、「合掌描法」を会得した。
この後、19歳のとき、美人画の大家。北野恒富に弟子入りし、美人画をめざすが、合掌して線を描くという一途な集中力、そして幼い日の災難を克服した精神性の発露が、見る者に清澄な印象を与えるのかもしれない。仏画を見て美人画を描くというように、貞以が描く女性像からは、どこか宗教的な気高さのようなものを感じる。

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中村貞以 Google 検索
『猫』の絵は「YAHOO 代BID 『中村貞以展』」として載っています。
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