じじぃの「愛蔵本伝える児玉清さん・面白本を読め!Mr.サンデー」

2009.05.03 Panel Quiz ATTACK25 (4 of 4) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zXSazE7-e0E&feature=related
週刊ブックレビュー 児玉清 本と歩いた18年 net.amigo
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児玉清 Google 検索
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『負けるのは美しく』 児玉清/著 集英社 2005年発行
「忘れられ○過去」 (一部抜粋しています)
先だって北海道の函館で行われた、NHK・BS2の「週刊ブックレビュー」の公開録画の特集ゲストに、小沢昭一さんをお迎えした。全6巻の『小沢昭一百景 随筆隋談選集』の刊行を祝してお招きしたのだが、沢山面白いお話を伺った中で、なにやら共通する思いで深く僕の心に響いたのは、小沢さんはあれだけ沢山の主演映画を、それも当時大変話題になった問題作を含めて撮っていたのに、すっかり忘れてしまっている主演映画があって、改めて友人に見せられて、俺こんなことやっていたんだと、びっくりした、というお話であった。
いかにも小沢さんらしいなあと大きく笑ってしまったのだが、いくらなんでも主演した映画を忘れてしまうことなんて、ないんじゃないですか、それは小沢さん一流のジョークでは、といいかけて思わず、言葉を呑みこんでしまった。
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ところで、話はここで別な方向へ進むのだが、記憶に残っているどころかもうとっくの昔に終わってしまった仕事なのに、いつまでもいつまでも心の奥に深く残っていて、それも折にふれ何の脈略もなく突如頭に浮かんできて、知らぬ間にそのことを考えている、といったことが僕にはいくつかあるのだ。そのひとつが、「テレビムック」という日本テレビの番組のレポーターというか謎解き人として、ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』の不思議といったものを取り上げたときのことなのだ。
もう20年近くも前のことなので、番組の詳しい構成やプロットはほとんど記憶の彼方に飛んでしまっているのだが、いつも頭に浮かぶ最初の光景が、スウィフトの住んでいたアイルランドの首都ダブリンにあるトリニティ・カレッジの昔ながらの校門のところに立って、大学から下校してくる学生を誰彼なく掴まえては、『ガリバー旅行記』のペンギン版を見せながら、ガリバーの旅の最終の目的地がどこであるかを知っているか、尋ねたときのことだ。正解は、この本の中でたったひとつ実名で出てくるジバング、つまり我が国日本なのだが、沢山の学生に質問しても誰一人正解者はいなかったのだ。なぜか、日本だけが実名で登場して、あとはブロブディンナグラピュタといったように、すべての国名はoutlandish、架空の国となっているのだ。これは僕もまったく同様だったのだが、『ガリバー旅行記』は子ども向けの絵本でだけで知っている人がほとんどで、真の『ガリバー旅行記』に関しては、原本を読んでいない人が圧倒的に多い、ということなのだ。つまり、絵本の『ガリバー旅行記』と原本とではまったく違うということを知らない人が沢山いるということで、これほどまでに原本の小説が誤解されている本も珍しいということになる。
校門で学生たちにインタビューしたときに、愕然としたのもスウィフトがかって住んでいた町の大学の学生たちですら、ほとんどがちゃんと原本を読んでいないことにショックを受けたのだ。このときの光景がいつも頭に脈絡なく浮かんでくるのだが、続いて頭の中でフラッシュするのが、リーフデ号で日本に漂着した、のちの三浦按人ことウィリアム・アダムズが海岸で日本人と初めて遭遇したときの僕の想像映像なのだ。未知の国に漂着したアダムズが飛び出してきた大ぜいの小さな体格の日本人をみたときの印象は、どうだったのか。ガリバーが小人国に漂着したのと同じだったのではないか。話はいきなり飛躍してしまったが、実はスウィフトが『ガリバー旅行記』を書くにあたって、資料としてアダムズがイギリスの妻に日本から送った数々の手紙(御存じのようにアダムズは三浦按針となって徳川幕府に仕え、結局故国イギリスへと変えることなく日本で妻をめとり、日本でその生涯を閉じた訳だが)や、17世紀に日本に滞在したエンゲルベルト・ケンペルの『日本史』を参照にしたに違いないことを証明する事実がいくつもあるのだ。もっと飛躍させれば、按針こそガリバーのモデルではないのか、ということなのだ。アカデミックな世界で葉、決して受け入れられないような仮説をもとに、アイルランド、イギリス、そして日本の三浦按針の所縁(ゆかり)の地を訪ねた番組の旅は、奇書ともいえるスウィフトの『ガリバー旅行記』の数々の不思議さが、ウィリアム・アダムズと日本と渾然一体となって俄かにリアリティを持って僕の心のなかで燦然と輝やきはじめたのだ。理屈や真実はともかく、こうした番組の仕事は決して忘れることなく、絶えず心に刺激と興奮と高揚をもたらすものなのだと改めてつくづく思う今日此頃なのだ。

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文藝春秋』 特集 大研究 悔いなき死 鮮やかにいきるための心得 2011年7月号
学者になりたかった役者 児玉清 執筆者 学習院大学名誉教授 篠沢秀夫 (一部抜粋しています)
児玉清君が亡くなった。その知らせを家内から聞かされたとき、私は呆然となった。入院したことは知っていたが、胃がんに侵されていたことは、まったく知らなかった。驚きとともに、かけがいのない友を失った悲しみがこみ上げてきた。私にできるのは、悲しみに押し流されてしまわないように、その前で立ち尽くすことだけだった。
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卒業を控えて、これまで演劇に打ち込んできたものの、私の役者を続ける気持ちは、やや薄らいでいた。タマちゃんの演技を見て、自分の役者としての才能を省み、タマちゃんのように足が長くないと駄目か、と思ったりもした。
卒業後は、自由業をしながらベストセラー作家になるつもりだった。ところが4年生になったら、鈴木力衛教授に「東大の大学院を受けなさい」と言われ、受けたら受かってしまった。ヤクシャのはずがガクシャに。
その次の年、タマちゃんは大学院に進んでガクシャになるつもりだったのがヤクシャになった。卒業式の日にお母様がなくなり、お父様に「就職しろ」といわれて、大学院に行くのを断念したという。タマちゃんは真面目で努力家だった。学者としても大成していただろう。
ヤクシャになる経緯は、後で知ったが、私と関わりがあった。「ブリタニキュス」を見て、タマちゃんに関心した知人が、タマちゃんの名で東宝ニューフェイス試験に書類出願し、それが元で合格となったのだ。

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Mr.サンデー 2011年6月26日 フジテレビ
愛蔵本伝える児玉清さん“遺言”
【司会】宮根誠司滝川クリステル 【ゲスト】作家 北方謙三、女優 西山茉希、ジャーナリスト 木村太郎
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/mrsunday/index.html
どうでもいい、じじぃの日記。
6/26、フジテレビ 『Mr.サンデー』での特集「愛蔵本伝える児玉清さん“遺言”」を観た。
大体こんなことを言っていた。 (最初の部分のみ)
宮根さん、「日本の今を読み解く、ニッポン新書。今夜のテーマはこちらです。"児玉清が遺したメッセージ"。実は今日、49日法要が営まれました。今夜は無類の本好きとして知られておりました児玉清さんの本棚、書斎を特別に見せていただきました。実は児玉さんの本棚から見えてきたのはこちらです」
本が教えてくれる人間欲
児玉清さんの写真が大写しで映像に出てきた。
知的で、ダンディで、静かな児玉清さん、享年77。役者であり、名司会者だった彼は無類の本好きとしても知られていた。
そんなイメージでしかなかったあの人が死の2日前にしたためていた「檄文(げきぶん)」がある。
ペンで走り書きのように書かれた原稿用紙が映像に出てきた。
「この国の危機管理のお粗末さに日々唖然としている。予測不能な自然災害は当然起り得ることだ。たしかに今回は国内史上最高のマグニチュードであった。未曾有の地震であることはわかるが、問題はその後の対応だ。政府並びに関係各省庁の対応の至らなさは歯がゆいばかりだ。総理大臣も“決死で頑張る”とか精神論を披瀝するだけ、まるで昔の旧軍人総理となんら変わらない幼稚さだ。そんなことは当り前のことで、それは当人が、そう決心してことに当ることで、具体的にどのような手段で、今、そこにあるこの国家的な危機を乗り越えるために何をするか、また出来るかが急務なのだ。TVの現地報告で時々刻々訴えてくる窮状に対して何故即刻手を打てないのか。灯油、ガソリン、食糧に水。ピンポイントで一刻の猶予を許さぬ地域へヘリコプターで落下投下するとか、方法はいくらでもあるはずだ。世界を震撼させた原発問題も同じ。東電のエリート集団の後手後手にまわった慌てぶりを含め、まさに日本は完全に幼稚化した人間たちがリーダーシップを握っていることが露呈した。その命令下で働く人間たちこそ最悪だ。そして国民も。智恵と想像力と決断力のある大人のリーダーを今こそ日本は求めている」 (『文藝春秋』 7月号より)
私たちが知らない児玉さんがそこにいた。その怒りの源は一体何だったろうか。
児玉清さんの書斎の映像が出てきた。
その謎を解く鍵を求めて、カメラは初めて彼が愛した書斎に入った。
自分の机を取り囲むように、所狭しと積まれた本の数々。まるで図書館のようなその部屋であの檄文を書き続けたに違いない。
だが、驚くべきはまた別の部屋に作られた書庫だった。2万冊を超えるという蔵書の数々。そこにはいわゆる文学好きがあまり目を向けない大衆作品もたくさんある。
児玉さんは余命、いくばくもない病室でこんな直筆も残していた。
「面白本を読め!!」
まるで遺言のようなその言葉の意味。誰もが知るシドニィ・シェルダンマイケル・クライトンアーサー・ヘイリーなど、読み出したら止まらない。これらの小説を児玉さんは「面白本」と呼び愛した。
奥の書棚はまるで書店のように作家別に分類され、その名前を見ているだけでも興味が様々なジャンルに及んでいたことが分かる。大好きな作家の小説なら、翻訳されるのを待ち切れず、原書を読みふけることも多かったという。それほど面白本にこだわるわけは、その答は生前の貴重な映像に残されていた。
生前、児玉清さんが番組スタッフに自分の書庫の中を案内している映像が出てきた。
「ここはですね、日本の作家の面白本が置いてあります。本の世界では僕が行けないようなところでも、主人公に心を寄せれば大変な冒険ができるわけですよね。ですから本によって私のいろんな冒険心とか、好奇心とかそういうものを、本によって知って補っているというのかな。そういう感じで本の虜(とりこ)になっていると」
主人公に心を寄せた本を読めば、自分ができないどんな冒険でもできる。
子どものころ児玉清が主人公に心を寄せ、本を読めば自分ができないどんな冒険でもできると教えてくれたのは『雷電為右衛門』、江戸時代に活躍した不世出の力士を書いた講談本でした。
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じじぃの感想
児玉清さんが亡くなられてから50日経った。
フジテレビ 『Mr.サンデー』の児玉清さん追悼番組では、シドニィ・シェルダンマイケル・クライトンと通訳なしで直接話していた。
文藝春秋』 7月号に「学者になりたかった役者 児玉清へ」が載っている。
テレビ朝日 児玉清さん司会の『パネルクイズ アタック25』はよく観た。
「私たちが知らない児玉さんがそこにいた。その怒りの源は一体何だったろうか」
才能豊かな人だったのだろう。
ご冥福をお祈りします。