じじぃの「科学・芸術_159_イギリス・ガリヴァー旅行記」

Abandoned Places Gulliver's Kingdom Japan 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uNr3lkL1DG0

ガリバーと日本(1) 2015/04/02 リアルETの英語学習
1月から3月まで週に1度,NHKラジオ第2放送で、「『ガリバー旅行記』とその時代」と言う番組を聞いていました。
ガリバー」というと小人の国(リリパット)で、体中を縛られている場面がすぐ思い浮かびますが、実は日本と深い関わりがあるだけでなく,日本にも来ています。
http://studyenglish.at.webry.info/201504/article_2.html
『負けるのは美しく』 児玉清/著 集英社 2005年発行
「忘れられ○過去」 より
記憶に残っているどころかもうとっくの昔に終わってしまった仕事なのに、いつまでもいつまでも心の奥に深く残っていて、それも折にふれ何の脈略もなく突如頭に浮かんできて、知らぬ間にそのことを考えている、といったことが僕にはいくつかあるのだ。そのひとつが、「テレビムック」という日本テレビの番組のレポーターというか謎解き人として、ジョナサン・スウィフトガリバー旅行記の不思議といったものを取り上げたときのことなのだ。
もう20年近くも前のことなので、番組の詳しい構成やプロットはほとんど記憶の彼方に飛んでしまっているのだが、いつも頭に浮かぶ最初の光景が、スウィフトの住んでいたアイルランドの首都ダブリンにあるトリニティ・カレッジの昔ながらの校門のところに立って、大学から下校してくる学生を誰彼なく掴まえては、『ガリバー旅行記』のペンギン版を見せながら、ガリバーの旅の最終の目的地がどこであるかを知っているか、尋ねたときのことだ。正解は、この本の中でたったひとつ実名で出てくるジバング、つまり我が国日本なのだが、沢山の学生に質問しても誰一人正解者はいなかったのだ。なぜか、日本だけが実名で登場して、あとはブロブディンナグラピュタといったように、すべての国名はoutlandish、架空の国となっているのだ。これは僕もまったく同様だったのだが、『ガリバー旅行記』は子ども向けの絵本でだけで知っている人がほとんどで、真の『ガリバー旅行記』に関しては、原本を読んでいない人が圧倒的に多い、ということなのだ。つまり、絵本の『ガリバー旅行記』と原本とではまったく違うということを知らない人が沢山いるということで、これほどまでに原本の小説が誤解されている本も珍しいということになる。
校門で学生たちにインタビューしたときに、愕然としたのもスウィフトがかって住んでいた町の大学の学生たちですら、ほとんどがちゃんと原本を読んでいないことにショックを受けたのだ。このときの光景がいつも頭に脈絡なく浮かんでくるのだが、続いて頭の中でフラッシュするのが、リーフデ号で日本に漂着した、のちの三浦按人ことウィリアム・アダムズが海岸で日本人と初めて遭遇したときの僕の想像映像なのだ。未知の国に漂着したアダムズが飛び出してきた大ぜいの小さな体格の日本人をみたときの印象は、どうだったのか。ガリバーが小人国に漂着したのと同じだったのではないか。話はいきなり飛躍してしまったが、実はスウィフトが『ガリバー旅行記』を書くにあたって、資料としてアダムズがイギリスの妻に日本から送った数々の手紙(御存じのようにアダムズは三浦按針となって徳川幕府に仕え、結局故国イギリスへと変えることなく日本で妻をめとり、日本でその生涯を閉じた訳だが)や、17世紀に日本に滞在したエンゲルベルト・ケンペルの『日本史』を参照にしたに違いないことを証明する事実がいくつもあるのだ。もっと飛躍させれば、按針こそガリバーのモデルではないのか、ということなのだ。アカデミックな世界で葉、決して受け入れられないような仮説をもとに、アイルランド、イギリス、そして日本の三浦按針の所縁(ゆかり)の地を訪ねた番組の旅は、奇書ともいえるスウィフトの『ガリバー旅行記』の数々の不思議さが、ウィリアム・アダムズと日本と渾然一体となって俄かにリアリティを持って僕の心のなかで燦然と輝やきはじめたのだ。理屈や真実はともかく、こうした番組の仕事は決して忘れることなく、絶えず心に刺激と興奮と高揚をもたらすものなのだと改めてつくづく思う今日此頃なのだ。

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『イギリスを知るための65章【第2版】』 近藤久雄、細川祐子、阿部美春/著 赤石書店 2014年発行
ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』 近代小説のはじまり より
子どものころに『ロビンソン・クルーソー』(1719年)や『ガリヴァー旅行記』(1726年)を読んだことのある人は多いだろう。『ロビンソン・クルーソー』は船が難破して絶海の孤島に漂着した主人公が、苦難の末に無事イギリスへ戻る冒険物語としてご記憶であろうし、『ガリヴァー旅行記』は小人国や大人国それに空飛ぶ島ラピュータなど、空想的な物語としてご記憶の方が多いと思う。しかしながら、こうした作品は決して子ども向けに書かれ矢ものではなく、れっきとした大人の読み物として書かれたものである。
これらの作品が書かれた18世紀のイギリス。とりわけロンドンでは、コーヒーハウスが男性の社交場として流行しており、このコーヒーハウスを中心にジャーナリズムが発達し始めていた。『ロビンソン・クルーソー』の作者ダニエル・デフォー(1660〜1731)も、最初はそうしたジャーナリズムの中から登場した。『ロビンソン・クルーソー』は当時ファン・フェルナンデス島という島から戻って評判になったアレクサンダー・セルカークという実在の男の話にヒントを得て、デフォーが創造した物語であるが、その特徴はまったくありえない話を本当にあったように、また本当にあったこととして詳細に語っているところにある。
一方『ガリヴァー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフト(1667〜1745)はダブリンの聖パトリック寺院の首席司祭として生涯のほとんどをアイルランドで過ごしイギリスのアイルランド政策に対して風刺的な文章を書いていた。スウィフトは『ガリヴァー旅行記』の中でも、イギリス人の主人公ガリヴァーを様々な国々に旅行させることによって、逆にイギリスの政治や文化それに社会を浮き彫りにさせて風刺しているのである。この当時同じような奇想天外な冒険物語はヨーロッパ大陸諸国でも書かれているので、『ガリヴァー旅行記』のような物語は決してめずらしくないが、イギリス社会の風刺という点がこの作品の特徴となっている。そして空想的な物語の体裁をとりながらも、その中の個々の模写については実に写実的になされていることもその特徴である。
イギリスの小説の中でも日本の読者が子どものときから親しんできた2つの全く系統の異なる小説をとりあげたが、実はこの2つの小説には共通した特徴がある。それは2つとも作者が「真実の話である」としてこれらの物語を書いていることである。奇想天外なフィクションとしか思えない『ガリヴァー旅行記』にしても、リチャード・シンプソンなる人物が原稿をガリヴァー氏から預かったとして、小説の冒頭で「文体は誠に平明簡潔でございまして、強いて欠点を申しますれば、著者が、そこは世上旅行者の常でありまして、詳細委曲を尽くしすぎているとでも申しましょうか。だがしかし、全編を通じて真実の気は蔽いがたく、ことに著者の正直さに対する世評は非常なるものでありまして、現にレドリック近郊におきましては、何事にもあれ確言する場合には、ガリヴァー氏の言のごとく真実である、と申し添えますのが、謎めいたものにさえなっているようであります」(中野好夫ガリヴァ旅行記新潮文庫)と述べている。