じじぃの「オリンピック・ノーベル賞・スパコン世界1位!人生に生きる価値はない」

はやぶさ/HAYABUSA」特報 動画 YouTube
http://www.youtube.com/user/HayabusaMovie?v=CYrZhrMNzXU&feature=pyv&ad=8267817879&kw=%20nasa#p/a/u/2/CYrZhrMNzXU
Japan Wows with World's Fastest Computer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XqOCai2jDu8&feature=related
ノーベル化学賞受賞者 下村脩氏講演 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bGzw5_-fYyc
2008年 ノーベル賞  科学技術 全て伝えます サイエンスポータル SciencePortal
2008年は小林誠益川敏英南部陽一郎の3氏が物理学賞を受賞、下村脩氏が化学賞を受賞しました。
http://scienceportal.jp/special/nobel2008/
ロサンゼルス発、よみがえれ我が祖国・日本! ノーベル賞受賞が日本人に自信と誇りと元気を甦らせるか?
やったぜ!ハヤブサの快挙、イチローの10年連続200安打に続き、今年のノーベル化学賞の発表があった。鈴木章氏(北海道大学名誉教授)、根岸英一氏(パデユー大学特別教授)の2人の日本人が受賞した。これで日本人の受賞者は18人となった。アジア地区ではダントツのトップ国である。
http://nipponeseclub.blog70.fc2.com/blog-entry-72.html
「2位」じゃダメだった、スパコン世界1位に、理研富士通が発表 2011年6月21日 asahi.com
理化学研究所理研野依良治理事長)と富士通(山本正己社長)は、共同で開発している京速コンピュータ「京」が世界1位になったと発表した。ドイツのハンブルクで開催している「第26回国際スーパーコンピューティング会議(ISC’11)」が6月20日に発表した「第37回TOP500リスト」で明らかになった。日本のスーパーコンピュータが1位になるのは、04年6月の「地球シミュレータ」(NEC)以来。
http://www.asahi.com/digital/bcnnews/BCN201106210005.html
『人生に生きる価値はない』 中島義道/著 新潮社 2009年発行
オリンピックとノーベル賞 (一部抜粋しています)
今年のノーベル賞に日本人が4人(国籍に従えば3人)受賞したというニュースが、秋の列島を駆け抜けた。このニュースを聞いて、私はいつものように、(たぶん)他の同胞とはまったく違った反応を示し、まったく異なった思案に暮れた。まず、不謹慎なことを告白すると、私はほとんど嬉しくなかったが、同時に連日のマスメディアのはしゃぎぶりをつぶさに観察して、決してそう言ってはいけないことも改めて確認した。
テレビを初め、あらゆるメディアは「日本人として」嬉しいとか、「日本人として」誇りに思うという言葉で塗り尽くされていた。そうした定形化に対して何の疑問(罪悪感)も覚えないようであった。マイクを向けられた街の声もみなそうであった。今回のノーベル賞のニュースに関して、私の思念はまさにここに向かった。こうした定形的反応は一見穏やかで悪意のまったくないものであるが、だからこそ、そこに隠された大いなる暴力ないし害悪を見抜かねばならない、と心の底から思ったのである。
現代日本において、「俺は自分を誇りに思う」という言葉はめったに聞かれない。それが、傲慢と紙一重であること、自己愛の暴露であることを知っているゆえに、誰でも警戒するからである。だが、不思議なことに、「俺は今回のノーベル賞受賞者を日本人として誇りに思う」とか「私はオリンピックで金メダルを取った選手を日本人として誇りに思う」という言い方に切り替えたとたん、傲慢という非難をくぐりぬけ、社会的に公認される。少し脳髄を働かせてみれば(ああ、なぜ多くの人はこれほどの頭も使わないのであろう?)、ここには、巧妙に変形された自己愛が潜んでいることは直ちにわかる。自分の家、卒業した学校、勤めている会社、郷里など、自分の集団を誇ることも、掛け値なしの自己愛に基づいていることは誰でも知っていよう。だが、詮索するに、この国では、自分自身ではなく自分の属している共同体における自分より優れた者を誇る場合には、「謙虚」とうまく差引勘定ができて、いかなる激しい検問も通過するのだ。だから、自分を露骨に誇る事に対しては全身で警戒する人でも、手放しで「母校の英雄」を「郷里の誉れ」を持ち上げるのである。
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なぜ、われわれは「日本人として」誇ることをやめないのだろうか? 誇らない人を無我夢中で排斥するのだろうか? それは、人生の楽しみがなくなるからである。すべての帰属意識に基づく誇りを禁止すると、人生の楽しみや喜びは半減以下になる。人間はランク付けの好きな動物なのだ。集団の中でより高いランクにいたい動物なのだ。同じ人間という動物の中で「勝ちたい」動物なのだ。それができなくても、せめて自分が属する集団の勇者に「勝ってもらいたい」動物なのだ。だからこそ、オリンピック選手はあれほど練習に励むのであり、芸術家や学者たちはえげつなく賞に群がるのだ。だからこそ、彼らを応援する者たちは彼らが勝つことをわがことのように喜び、彼らが負けることをわがことのように悲しむのだ。
このすべてをやめるとき、人生の空しさはその全貌を見せるであろう。パスカルの言葉を使えば「気晴らし」の最大のものが剥がれ落ちるとき、虚しさに圧倒されて、ほとんどの人はもう生きていけなくなるであろう。こうした共謀構造によって、われわれは自分の属している集団の成員を通して自らを誇ることをやめないのである。
私は最近、こうした「気晴らし」が心底アホらしくなってきた。どうも、そのカラクリを決定的に見抜いてしまったらしく、いかなる夢も、野望も、闘いも、名誉も「ああ、本当に気晴らしなんだなあ」と思ってしまう。株価が下がり、円が上がり、経済恐慌を恐れておたおたしているのも気晴らし、アメリカ大統領選挙も気晴らし、地球温暖化問題も気晴らし、振り込め詐欺を目論むのもひっかかるのも気晴らし・・・・である。
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オリンピックとノーベル賞も、「死」に怯え、人生の意味を探っても何も見いだせない人が、虚しさに押しつぶされてしまわないように、自らを騙し他人を騙して必死にすがっている藁なのである。この藁から手を放すことは怖ろしい。だから藁からできた「気晴らし」ゲームのカラクリを見破った物を見つけるや否や、思わず殴りかかるのだ。抹殺しようとさえするのである。
昨日(11月2日)、ノーベル賞受賞者3人をパネリストに「環境問題を科学は救えるか」というテーマのテレビ番組を観た。壇上の「英雄」たちは会場からのさまざまな質問に丁寧に答えていた。最後に1人のノーベル賞受賞者がしみじみ訴えた。「とにかく、きみたちがこれから60年、70年生きていく地球を大切にしてください」。そして、司会者がこの「すばらしい」メッセージを賞賛して幕。ああ、また大掛かりな「気晴らし」のデモンストレーションだ。あなた方は「そのあとは?」と考えてみようとしないのですか? そのあとは、どんなに地球を大切にしても、自分は死んでしまうのですよ。無に帰してしまうのですよ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館のなかで本巡りをしていたら、中島義道著『人生に生きる価値はない』という本があった。
「人生に生きる価値はない」か。
本の冒頭にこんなことが書かれている。
「哲学的領野に踏み込めば、人生におけるあらゆることにはまったく価値がないのだが、そう『語る』ことにはわずかに価値があるかもしれない・・・・」
どんなこと書いているんだろ。
本の中をパラパラめくって見たら、「オリンピックとノーベル賞」というのがあった。
「オリンピックとノーベル賞も、『死』に怯え、人生の意味を探っても何も見いだせない人が、虚しさに押しつぶされてしまわないように、自らを騙し他人を騙して必死にすがっている藁なのである」
2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの場合、アメリカに渡って、ほとんどクラゲ捕りの毎日。奥さんまで狩り出されて80万匹のクラゲを集めたという。
そして、学術論文に書いた記事「光るクラゲ」のおまけとして書いたGFP緑色蛍光タンパク質)がノーベル化学賞につながったのだという。
6月21日の朝刊に、
「『2位』じゃダメだった、スパコン世界1位に、理研富士通が発表」
が載っていた。
2010年には中国のスパコン「天河」が1位だったが、日本のスパコンが「圧倒的な性能」で1位に返り咲いた。
ノーベル賞や、「ハヤブサ」や、オリンピックや、スパコン世界1位なんか、夢があっていいじゃありませんか。
じじぃの場合、他に何も楽しみがないんだから。