じじぃの「人の生きざま_63_G・ペレルマン」

グリゴリー・ペレリマン - あのひと検索 SPYSEE
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「宇宙の形を知る」 ポアンカレ予想に挑んだ天才達 2/2 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p-z9pBTQNoE
ポアンカレ予想】 グリゴリー・ペレルマン博士の現在 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=d8T1vynAjgo
The Poincare Conjecture 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AUoaTrQTM5o
赤の広場で 孤高に生きる知の巨人 2011.5.27 MSN産経ニュース
ロシアの数学者グリゴリー・ペレリマン氏が、73歳の母親の白内障の手術費用15万ルーブル(約43万円)を支払えず、居住している西部サンクトペテルブルク市当局は今月、無料で手術することを決めたという。
ペレリマン氏は並の数学者ではない。アンリ・ポアンカレ(1854〜1912年)が提示した位相幾何学トポロジー)の世紀の難問、「ポアンカレ予想」を証明した。しかも、米クレイ数学研究所がこの問題などにかけた懸賞金100万ドル(約8200万円)の受け取りを拒否したという孤高の天才だ。
米国での研究生活などを経て、数年前に母親との“隠遁(いんとん)生活”に入った。市の当局者が自宅を訪ねたときも応答がなく、玄関に無料で手術する旨を知らせる手紙を置いてきたという。
ロシア・ソ連といえば、犬を使った条件反射の研究で知られる生理学者パブロフ、景気循環の長期変動を唱えた経済学者コンドラチェフなど、歴史に名をとどめる研究者も少なくない。氏に会って、優秀な研究者がどう育成されてきたかを聞いてみたいと思うのは、記者だけではなかろう。もっとも、氏がメディアの取材に応じた例はほとんどない。名声も大金もなげうって、つましい生活を続ける知の巨人。やはり、ロシアは底知れない。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110527/erp11052702450003-n1.htm
数学界の天才 -グレゴリー・ペレルマン-
http://www.kanteiya.com/column/10/0710.htm
グリゴリー・ペレリマン ウィキペディアWikipedia)より
グリゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマンまたはペレリマン(1966年6月13日 - )は、ユダヤ系ロシア人の数学者である。ミレニアム懸賞問題の一つであるポアンカレ予想を解決した。
【概要】
サンクトペテルブルク生まれ。元ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。専門は幾何学・大域解析学 (Global Analysis) ・数理物理学。数学教師だった母親から幼少の頃から数学の英才教育を受け、サンクトペテルブルク大学で学びアレクサンドル・アレクサンドロフのもとでカンジダート(欧米では博士号に相当)を取得。
学生時代、当時の最年少記録である16歳で国際数学オリンピックの出場権を獲得し、全問満点の金メダルを授与された。この時、物理学にも興味を持っており、その才能は友人曰く「もし国際物理オリンピックに出場していれば(国際数学オリンピックを優先するよう仕組まれたため、国際物理オリンピックには出場しなかった)そちらでも満点(金メダル)を取っていたに違いありません」というほどのものだった。その後、ソ連崩壊を受けニューヨーク州立大学ストーニブルック校、カリフォルニア大学バークレー校で研究をおこなった。ロシア帰国後はステクロフ数学研究所に所属していたが2005年12月に退職届を提出し、2006年1月以降は同研究所に現れていない。実家で母親の年金で生活している。
ペレルマンポアンカレ予想
現在は故郷で母親と共にわずかな貯金と母親の年金で細々と生活しているらしく消息は不明だが、ひそかにケーラー・アインシュタイン計量 (Einstein-Kahler metric) の存在問題に取り組んでおり、数学者としての研究はいまだ放棄していないと言われる。趣味はキノコ狩りとされ、人付き合いを嫌い、ほとんど人前に姿を見せない人物であるが、学生時代までは笑顔の絶えなかった少年として周囲から記憶されている。
2010年3月18日に、クレイ数学研究所は、ペレリマンがポアンカレ予想を解決したと認定して、ミレニアム賞(副賞として100万ドル)授賞を発表した。彼は2010年6月8日の授賞式に姿を見せなかったが、クレイ数学研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管されるという。同年7月1日にロシアのインテルファクス通信がペレリマンの話として伝えたところによると、受賞を断った理由は複数あるが、ハミルトンのリッチ・フロー発見に対する評価が十分でないことなど、数学界の不公平さに異議があることをその主たるものとして挙げたという。これを受けてクレイ数学研究所は、同年秋までに賞金の使途を数学界の利益になる形で決定すると述べた。
ポアンカレ予想
ポアンカレ予想とは、
単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。
という予想であり、1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出された。以来ほぼ100年にわたり未解決だったが、2002年から2003年にかけてロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはこれを証明したとする複数の論文をarXivに掲載した。これらの論文について2006年の夏ごろまで複数の数学者チームによる検証が行われた結果、証明に誤りのないことが明らかになり、ペレルマンには、この業績によって2006年のフィールズ賞が贈られた(ただし本人は受賞を辞退)。

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林先生の痛快!生きざま大辞典 「世界の天才たちが100年間挑んだ世紀の難問、誰がポアンカレ予想を解いたのか?」 2014年9月9日 TBS
【出演】林修吉田明世、中山由香、山崎樹範ふかわりょう 【解説】志田晶(東進ハイスクール
隠れた偉人のピンチを大逆転する痛快な生きざまから、現代を生き抜く知恵を学ぶ。
ポアンカレ予想に命を賭けた数学者の生きざまに迫る。
・パパ博士 ギリシャ 正確無比の天才
・スメイル博士 アメリカ 世界の数学者の崇拝
・サーストン博士 アメリカ 数学界の魔法使い
ペレルマン博士 ロシア 数学オリンピック 最年少金メダリスト
世界の天才たちが100年間挑んだ世紀の難問、誰がポアンカレ予想を解いたのか?
ペレルマン博士の説明を聞いた数学者たちは、まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解の解説がまったく理解できないことに落胆した。
http://www.tbs.co.jp/program/ikizamadaijiten.html
100年の難問はなぜ解けたのか 〜天才数学者 失踪の謎〜 2007年10月22日 NHK
宇宙に果てはあるのか?宇宙は一体どんな形なのか?
人類が長年、問い続けてきた謎に大きく迫るヒントが去年見つかった。100年もの間、誰も解けなかった数学の難問「ポアンカレ予想」が証明され、宇宙がとりうる複数の形が初めて明らかになったのだ。世紀の難問を解いたのはロシアの数学者グリゴリ・ペレルマン(45)。その功績により、数学界最高の栄誉とされるフィールズ賞の受賞が決まったが、彼は受賞を拒否し、数学の表舞台から消え去ってしまった。その真意をめぐって様々な憶測を生んでいる。「ポアンカレ予想」にはこれまで、幾多の天才たちが魅了され、人生のすべてを賭けて挑み、そして敗れ去ってきた。ペレルマンがその栄誉に背を向け、姿を消したのはなぜか。そもそも数学者はなぜ難問に挑み続けるのか。番組は、ポアンカレ予想が解けるまでの百年にわたる天才たちの格闘のドラマを追い、ともすれば取りつきにくい純粋数学の世界と数学者たちの数奇な人間模様を描いていく。CGと実写の合成を駆使し、“天才の頭の中”を映像化する知的エンターテイメント番組とする。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2007/1022/
NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影』 春日真人/著 NHK出版 2008年発行
エピローグ 終りなき挑戦 (一部抜粋しています)
2007年7月。私たちは再びロシア・サンクトぺテルブルグを訪れていた。世界に衝撃を与えたあのフィールズ受賞式から、まもなく1年が経とうとしていた。そして取材の旅は、ようやく終盤を迎えていた。
前回の訪問のあと、私たちはペレルマン博士に宛てて何度か手紙を書いていた。パリから、プリンストンから、そしてバークレーから、博士と同じ難問に取り組んできた数学者たちの魅力に触れるたび、そして難問に取り組む行為の意味を感じるたびに、それを言葉にし、旅の最後にひと目だけでも会いたいと記した。
だが予想どおりと言うべきか、残念なことに一度も返事はなかった。
今度の訪問にあたっては、私たちに助け船を出してくれた人物がいた。アレクサンドル・アブラモフ先生。ペレルマン博士を高校時代から見守ってきた恩師である。最初のロシア訪問でお会いしたときから、数学の魅力を伝えたいという私たちの取材意図を汲み、ペレルマン博士に推薦の手紙まで書いてくださっていた。
私たちが相談したとき、先生は言った。
「私もグリーシャ(少年時代の愛称)に直接会って話さなければならないことがあります。私は会えるような気がします」
かって明るく輝いていた才能豊かな教え子が、人付き合いを避け孤独な世界に入り込んだ今の状況が、アブラモフ先生にはどうしても信じられないようだった。
      ・
およそ5時間後、ようやく電話が繋がった。
「こんにちはお母さん。グリーシャをお願いできますか」
電話に出たのは、ペレルマン博士の母親だった。私たちは身構えた。いよいよ博士に会えるかも知れない。
「グリーシャかい? アブラモフです。いま近くに来ているんだよ。君に渡したいものがあるんだ。興味を持ってくれるといいのだけれど……。コルモゴロフとアレクサンドルの往復書簡集や他にもいろいろ持ってきたんだ。え、全然興味がないのか……。そうか」
心なしか先生の表情が曇ったように見えた。最初は明るかった声も、しだいに元気をなくしてゆくようだった。
アブラモフ先生は自らが仕事上のトラブルで苦しんだ経験や、半年間職を失っていた時期のエピソードまで話題にして、ペレルマン博士に語りかけた。
      ・
どれくらい時間が経ったのだろう。アブラモフ先生は静かに電話を切った。そしてすぐ「ダメだ」というように首を横に振った。
「これは私にとっての敗北です。なぜなら私は最近まで、かすかにではありますがグリーシャに期待していましたから。何とか、わずかでも話し合い、議論することはできました。彼の注意を社会に向けとうとしました。しかし彼はもはや、歴史上の偉人のように手の届かないところへ行ってしましました」
想定しなかしなかった事態だった。ペレルマン博士は、恩師の訪問さえ拒絶したのだ。
アブラモフ先生は大きなため息をついて車を降りた。タバコに火をつけ、たったいま起きた異常な事態を懸命に整理するかのように、私たちに説明してくれた。
「彼は25年前とはまったく別の人間になってしまいました。私には、いま彼に何が起こっているのかわかりません。彼の生きている世界は、私たちが生きている世界とは、もはや違うようです。 ポアンカレ予想を証明することは、私たちには想像すらできない恐ろしい試練だったのかも知れません、その試練を彼はひとりでくぐり抜けました。しかしその結果、彼は何かを失ってしまったのです」

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