じじぃの「人の死にざま_579_鼠小僧」

鼠小僧 - あのひと検索 SPYSEE
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『野田版 鼠小僧』予告編 動画 YouTube
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浮世絵女ねずみ小僧・急げ風のように 動画 YouTube
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鼠小僧 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
鼠小僧は化政期に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯である。本名は次郎吉。鼠小僧次郎吉として知られる。
本業は鳶職であったといわれ、義賊の伝承で有名な人物。
【生涯】
歌舞伎小屋・中村座の便利屋稼業を勤める貞次郎(定吉・定七とも)の息子として元吉原(現在の日本橋人形町)に生まれる。10歳前後で木具職人の家へ奉公に上がり、16歳で親元へ帰った。その後は鳶人足となったが不行跡のため父親から25歳の時に勘当される。その後は賭博で身を持ち崩し、その資金稼ぎのために盗人稼業に手を染めるようになる。
文政6年(1823年)以降、武家屋敷の奥向に忍び込むこと28箇所32回に及び文政8年(1825年)に土浦藩藩主である土屋相模守彦直の屋敷に忍び込んだ所を捕縛され南町奉行所の尋問を受けるが、初めて盗みに入ったと嘘をついて切り抜け入墨を入れられ中追放の刑を受ける。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち) (1797-1832) 36歳で死亡。 (一部抜粋しています)
三田村鳶魚の『鼠小僧次郎吉』によれば、彼は、「最後は天保3年4月30日から、以前の水茶屋半次郎方に同居して居りましたが、5月8日に浜町の松平宮内少輔の屋敷に忍び込み、殿の御寝所近くに進み寄った時に、1人の侍婢が目をさまして、ひそかに殿に盗人の忍んで居ることを告げた。近習の侍どもが無造作に取押えてしまって、早速に其筋へ突出しましたから、北町奉行榊原主計頭の手付大谷木七兵衛が門前捕りにしました」
そして取調べの結果、次郎吉が大名屋敷ばかり、思い出したものだけでも139回以上にわたり忍びこみ、1万2000両を盗んだことが判明しました。
それは大名屋敷が外見厳重に見えるが、いったん中にはいってしまえば、警戒がきわめて散漫であることを知ってのことであったが、とにかく大名屋敷ばかり狙ったという痛快性が後世に鼠小僧の名を残すもととなり、はては「義賊」とうたわれるまでになった。
町奉行榊原主計頭は老中月番松平周防守の決裁を受けまして、異名鼠小僧、無宿入墨に、引廻しの上、品川に於て獄門に申し付けると宣告し、天保三年八月十九日、次郎吉は三十七歳を一期とそて刑戮(けいりく)されました。・・・・鼠小僧は引廻しの時に、顔に薄化粧をして、上に黒の麻帷子(かたびら)、下に更紗(さらさ)を着用、八端の帯を締めていたそうです」

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