じじぃの「スキャンダラスな女・マリリン!世界悪女大全」

Marilyn Monroe 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1DG0cVUd0pI&feature=fvwrel
Marilyn Monroe-Some Like it Hot Trailer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2OhdD5n405I&feature=related
マリリン・モンロー・ノー・リターン/CKB・野坂昭如 動画 YouTube
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マリリン・モンロー 画像
http://pub.ne.jp/mokuson2/image/user/1233869918.jpg
『世界悪女大全 淫乱で残虐で強欲な美人たち』 桐生操/著 文藝春秋 2003年発行
自室寝室で全裸死体で発見された マリリン・モンロー (一部抜粋しています)
現代のスキャンダル女性といえば、なんといっても筆頭にくるのはマリリン・モンローといえるのではないでしょうか。20世紀最大のグラマー・スター、モンローは、1962年8月5日未明、自宅寝室で全裸死体で発見されました。
8月4日夜、ロスの邸宅街にある自宅で、マリリンは午後8時ごろ寝室に入りました。午前3時半に、家政婦のマレー夫人が部屋に明かりが着いているのを見かけ、不審に思ってドアを叩きましたが、返事がありません。夫人の知らせで駆けつけた精神分析医グリーンソンが3時40分にマリリンの遺体を見つけ、その直後、侍医のエンゲルバーグ医師が彼女の死を確認して、警察に通報しました。
検死報告によると、死因はバルビタールを飲みすぎたための急性中毒で、血液から4、5ミリグラムパーセント、肝臓から13ミリグラムパーセントのバルビタールが発見されました。エンゲルバーグ医師は、彼女に50錠のバルビタール剤を与えたと証言しましたが、ベッド脇にころがる薬ビンには、3錠しか入っていませんでした。
マリリンが前にも何度か自殺をはかり、そのたびに誰かに電話で助けを請うていたことが、調査でわかりました。今度も遺体は手に受話器を握っていたといいますが、ではいつもの狂言自殺のつもりが、薬がはやく効きすぎてしまったのでしょうか?
が、マリリン他殺説は後をたちません。ロス検死局の報告書では死因はバルビタールですが、その朝検死官が胃を調べたときは、バルビタール服用の再の屈折性結晶は出てきませんでした。自殺調査グループは、もし服用で死んだなら、彼女は47錠のバルビタール剤を数秒間で1飲みせねばならないと述べているし、バルビタール剤飲みすぎに特有の引きつけもなく、体を真っ直ぐにしてきれいに横たわっていました。
それなら大量のバルビタール剤を注射したのかという話になりますが、彼女の邸からは注射器は出てきませんし、遺体にも注射のあとはまったく残っていません。
検死官の報告では、死亡時間はエンゲルバーグが彼女の死を確認した日曜日の午前3時40分になっていますが、エンゲルバーグが着いたときにはすでに硬直が始まっており、彼女はその3〜6時間前、つまり土曜の深夜には死んでいたはずです。
映画界のスキャンダルでマリリンの死ほど人々の好奇心をそそった事件はほかにありませんが、彼女をめぐる神話のなかでも謎に包まれているのは、あのケネディ兄弟との関係でしょう。
生前マリリンが、ケネディ大統領や弟のロバート司法長官と関係があったことは有名です。彼女の死のひと月ほどまえ、ロバートは彼女と別れようとしましたが、彼女は司法省まで電話をかけてきたり、友人に「彼が私を避けつづけるなら、記者会見でみんなぶちまけてやる」と話しています。友人の話では、死の前日、ロバートが飛行機でロスに駆けつけてきて、マリリンに会っているというのです。
マリリンはロバートの付き合いの始めから、彼との会話を赤い手帳にメモしていました。彼と何を話したらいいか分かるためだというのですが、ロバートが閨房(けいぼう)でもらした政治機密までがメモされていたため、手帳をよこせと怒鳴るロバートと、渡さないと頑張るまりりんのあいだに、激しい揉み合いがあったといいます。
ケネディの義弟の邸で開かれたパーティで、ケネディ大統領とマリリンは知り合いました。大統領のニューヨークの定宿カーライル・ホテルのそばにマリリンもアパートを持ち、変装してホテルにかよいつめました。
大統領はマリリンに別れ話を持ち出す仲介にロバートを立てましたが、いつしかロバートも彼女と深い仲になりました。このころ彼女はメキシコで中絶手術を受けましたが、それはロバートの子だといいます。
作家サマーズは、4日夜ロバートから別れを告げられ錯乱したマリリンが睡眠薬をあおり、救急車で病院に運ばれてすぐ死んでしまったのを、急いで自宅に死体を戻してから医師や警察を呼んだのだと推量しています。ロバートのスキャンダルを隠蔽し、彼がロスから姿を消す時間を作るため、彼の義弟ローフォードが仕組んだことだというのです。
一方、ロス警察と検死官の隠蔽工作による犯罪隠しという説もあります。事件当日、彼女の邸に最初に着いた警官クレモンズは「彼女は親しい誰かに州者をうたれて殺されたんだ。有名な政治家一族を守るための犯罪隠しさ」と後に述べています。
検死報告にサインしたファイルも、マリリンの書いた手帳も消えてしまった。検死報告にサインしろっていわれりゃ、おれは従わないわけにはいかないさ」
奇妙にも事件直後、重要な証人2人が姿を消しています。家政婦のマレー夫人は事件の翌日急に部屋を引き払いました。彼の話では、少々金が入ったので、欧州に行ってきたといいます。
宣伝係のパトリシア・ニューカムは、事件当日、マリリン帝に駆けつけた取材陣ともめて会社をくびになり、彼女もやがて欧州旅行に出掛けました。帰国後は司法省につとめ、よりによってロバートの(!)隣室で働くようになりました。

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どうでもいい、じじぃの日記。
桐生操著『世界悪女大全 淫乱で残虐で強欲な美人たち』に「自室寝室で全裸死体で発見された マリリン・モンロー」が載っている。
1962年、マリリン・モンローが死んだとき、アメリカではキューバソ連が核ミサイルを配備したことでキューバ危機があった年だった。日本ではプロボクシングでファイティング原田が世界フライ級王者となった年だった。
モンローはアメリカのセックスシンボルだった。モンローは私にとってはあまり印象がない。野坂昭如マリリン・モンロー・ノー・リターンを歌っている。時代が少し違うのだ。
モンローの死が書かれた記事をみると、ケネディ兄弟が深く関わっていたことに驚く。
彼女はロバート・ケネディの子を中絶していたという。死の直前にロバートから電話がかかっていたことから、マリリン・モンローの死にロバートが深く関わっていたことが分かる。
モンローの死体を解剖したのは、ロサンゼルス監察医務院の日本人監察医師野口富恒だった。彼の所見によれば、
「毒物検出では、バルビタールが血液100グラム中4.5ミリグラム発見された。これは明らかに致死量であり、40ないし50錠の睡眠薬を飲んだことが考えられる」
となっている。
ロバートから別れを告げられ、錯乱したモンローが睡眠薬をあおり自殺したと思えるのだが。
しかし、彼女の部屋からはロバートとのとやりとりを書いた赤い手帳(日記)が消えていた。自殺に使うはずのコップは発見されていない。また彼女が死体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、電話局からは同時刻の通話記録はなかった。
モンローと深い関係にあったケネディ兄弟が共に殺された。
まさか、ケネディ兄弟の死がモンローの死と関係はないだろうが、いろいろとモンローとケネディ兄弟の間には謎が残る。
マリリン・モンローが死んでから、もうすぐ50年になる。