じじぃの「嫉妬に狂った女・カミーユ!世界悪女大全」

Camille Claudel 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FG6r-g1IhNE
Camille Claudel Trailer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=C5QhxSzz_CI&feature=related
カミーユ・クローデル Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A6%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB+%E7%94%BB%E5%83%8F&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=-HRPTeiqMYrWvQPEu7DiDw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CC4QsAQwAA
プレミアム8<文化・芸術>シリーズ巨匠たちの肖像「ロダン あくなき生命への欲望」 2009年12月8日 NHK HI
人物のいのちあふれる姿や内面まで表現し、「近代彫刻の父」と呼ばれたオーギュスト・ロダン。そこには、ロダンの優秀な弟子にして愛人だった、カミーユ・クローデルとの出会いや官能への目覚めが大きくかかわっていた。愛や苦悩まで、すべてを飲み込み、生涯のテーマ“生命”を追い求めたロダンの執念を、代表作「地獄の門」や「カレーの市民」などの最新研究から浮き彫りにする。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090905130030177/
『世界悪女大全 淫乱で残虐で強欲な美人たち』 桐生操/著 文藝春秋 2003年発行
嫉妬と悔しさで夜叉になった彫刻家 カミーユ・クローデル (一部抜粋しています)
19世紀末フランスに生きたカミーユ・クローデルは彫刻家を志し、パリで美術学校にかよいながらアトリエで創作に励んでいました。まだ芸術家をめざす女性が少なかった時代に、裸のモデルや職人たちを使う彫刻という仕事をあえて選んだカミーユが、繊細な外見と違い、相当に意志の強い女性だったことは察せられます。
彼女が19歳のとき巡り会った運命の男が、アトリエに指導にきた彫刻家オーギュスト・ロダン。このとき42歳、がっしりした肉体と長い髭と青い目の男で、すでに彫刻界に確固たる名声を築いていました。
カミーユにとってロダンは、高い所にいる大先輩。そんな先輩への憧れと、自信に満ちた大人の男としての魅力と、両方に惹きつけられたのです。ロダンから見ても、情熱的で豊かな才能に満ちあふれたカミーユはなんともいえず魅力的でした。
ただの師匠と弟子の関係が、男女の関係に変わるのに時間はかかりませんでした。カミーユにとっては初恋だったうえ、相手は強烈な個性を持った人物。彼女は求められるまま、情熱的にその恋にのめり込んでいきました。
カミーユロダンのアトリエにかよい、モデルを務めたり制作を手伝うようになりました。恋に落ちるやいなや身も心も燃えあがらせ、しだいに少女から女に変貌していくカミーユを、ロダンは精力的に作品のなかに昇華させていきました。「瞑想」「曙」「フランス」など、すべて彼女をモデルにしたものです。
ロダンカミーユとの逢引きのためフォリ・ヌーヴルという館を借り、事あるごとに公の席に彼女を連れていき、世間に認められるチャンスを与えました。普通なら幸福の絶頂にあるはずですが、カミーユはそうはなれませんでした。ロダンにはもう1人の女がいたからです。
20年以上も前から無名のロダンに尽くし、彼の子も産んでいるローズ・ブーレ。籍は入っていなくても実質的にはロダンの妻で、何度も作品のモデルを務めてきました。これまでもローズは彼の浮気に散々悩まされましたが、どんなに苦しくてもじっと耐えて彼が戻ってくるのを待っていました。
が、カミーユが現れたとき、彼女はこれまでにない危機感を感じました。2人が恋心だけでなく、彼女の入っていけない彫刻という世界で固く結ばれていたからです。嫉妬に狂ったローズは2人の愛の巣に怒鳴り込み、カミーユとの掴み合いも演じました。純粋で世間知らずのカミーユは、他の女と恋人を分け合うなど考えられませんでした。
ローズとカミーユロダンの前で対決し、自分たちのどちらかを選ぶか迫ったといいます。ロダンの選択がどちらだったかは、その後の結果から分かります。家庭的なローズと情熱的なカミーユ。安らぎの場と、芸術家としての霊感の場。そのどちらをも、狡いロダンは自分のものにしておきたかったのです。
どうして、どうしてわたしを選んでくれなかったの? 嫉妬と悔しさで夜叉になりながらカミーユは泣き明かしました。誇り高い彼女には、泣いたり哀願したり大立ち回りを演じることは出来ない。それでも心の奥に秘めた思いは、他の誰よりも強いつもりです。
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愛にも仕事にも疲れ果てたカミーユは、独り立ちしようと決意、フォリ・ヌーヴル館を後にしました。すでに実家からは勘当同然になっていたので、アトリエを借りて移り住みます。1人ぼっちのアトリエで、彼女は凍りつくような孤独のなかにいました。とうに若さや美しさは失われ、どんなに見事な作品を造ってもロダンの模倣と言われるだけ。
もともと内向的だった彼女は、ますます内面にこもるようになりました。なんとか作風を変えよう、ロダンから離れようともがきつづけます。食事、家賃、彫刻の材料費など、生活の心配もありました。相談する友もなく、神経はずたずたに疲れ果てました。
しだいにカミーユは、周囲の人々におかしな妄想を訴えるようになります。ロダンがわたしのアイデアを盗んだ、ロダンがわたしのもとにスパイを送り込んだ、ロダンの手の者がわたしを殺しにくる! 散らかり放題のアトリエで、服を着替えようとも、風呂に入ろうともせず、カミーユはせっかく造った彫刻を、槌をふるって破壊していくのでした。
このころ彼女が描いた戯画が幾つか残っています。1つは、両手足を縛られたロダンが独房に閉じ込められ、恐ろしい顔をしたローズが長い箒を手にして番をしている絵、あるいは裸のロダンとローズが後ろ向きにお尻の部分で互いに貼りつけられ、どうしても離れられない絵。いずれもローズに縛られたロダンの姿を、思い切りグロテスクに描き出しています。これがカミーユに出来る精いっぱいの抵抗だったとすれば、あまりにも哀れです。
そして48歳になった1913年、ついにカミーユは母の決定でアヴィニョンの精神病院に強制入院させられます。そしてなんと78歳で息を引き取るまで、そこを出ることはできませんでした。

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どうでもいい、じじぃの日記。
2009年12月再放送だったが、NHK HI 「ロダン あくなき生命への欲望」を観た。
絵と彫刻とではどう違うのかは分からないが、映像でみた限りでは、カミーユの作品とロダンの作品はかなり似ているようだった。
カミーユの作品はロダンに影響されて、似たものになっていったのだろうか。
カミーユロダンの子を妊娠して、中絶していた。このことをロダンは知っていたのだろうか。
ロダンという1人の男がカミーユを狂わせた。
ロダンにとってカミーユは単なる通りすがりの女に過ぎなかったのかもしれないが、カミーユにとってロダンは全てだったのかもしれない。
1人の天才の陰でこのように悲劇の女性が歴史に埋もれてしまっていることが、他にもたくさんあるのかもしれない。
日本でもフランス映画『カミーユ・クローデル』が上映されている。