じじぃの「人の死にざま_688_ジ・ローズ」

山崎ハコ ジプシーローズ.3/5 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MiyWIbeXrv0&feature=related
ジプシー・ローズは生きている by 因幡修次/ Gypsy Rose Lives! by Shuji Inaba 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=R_5lsP8PJ4A
解説・あらすじ 実録ジプシー・ローズ goo 映画
日本のモンローと呼ばれ、幅広いファンを熱狂させた踊り子ジプシー・ローズの神秘なヴェールで包まれた私生活を描く。脚本は大原清秀、監督は「団地妻 昼下りの誘惑」の西村昭五郎、撮影も同作の山崎善弘がそれぞれ担当。
【あらすじ】
ジプシー・ローズは、昭和10年、九州、久留米に生まれた。ローズが小学生のころ、太平洋戦争が終り、満州で芸者をしていた、という腹違いの姉が引き揚げてきた。ローズの母が死んでからは、この姉の世話になった。昭和24年、14歳のころに、長谷川一夫の新演技座のショーチームが博多にやってきた。ローズは、その魅力に惹かれ、姉の励ましもあって、チームとともに上京し、一座の小道具主任の家においてもらいながら、浅草の舞台に出るようになった。やがて、ストリップ演出の元祖ともいわれる正邦乙彦に認められて、徐々にローズの踊り子としての才能がひき出されていった。正邦の存在はローズにとって、マネージャーであり、演出家であり、教師であり、そして恋人でもあった。
http://movie.goo.ne.jp/movies/p18201/comment.html
『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ジプシー・ローズ (1935-1967) 32歳で死亡。 (一部抜粋しています)
戦後の焼跡に続々出現しはじめたストリップ小屋のストリッパーの中で、ドラムに合わせた強烈なグラインドでひときわその名をうたわれたジプシー・ローズ(本名・志水敏子)は、昭和30年から35年にかけて人気絶頂を極めたが、その後次第にドサ周りの運命を余儀なくされ、酒量がふえ、健康も害した。
彼女のマネージャー兼内縁の夫正邦乙彦は語る。
「なにしろストリッパーになるかパンスケになるかという時代でしたからね。テレやコンプレックスで酒をあおる踊り子も多かった。
      ・
晩年は僕と2人で山口県防府市でバーをやってたんです。『ジプシー』という名前のバーを。彼女は死ぬとわかっていながら酒を飲んでいた。死ぬ2、3日前から顔がむくんで、シャックリが止まらなくなった。それでも病院にはゆかず、スロージンを飲みつづけ、酒瓶を握りしめたまま死んでいったんです」
彼女が壮烈な生涯をとじたのは昭和42年4月20日であった。

                                    • -

ジプシー・ローズ Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%B8%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA&oi=image_result_group&sa=X